583th  霊術 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

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霊魂学の霊的修行者は希望すれば、霊術を教えてもらえます。

それは、所謂祓いであったり、霊的な障害を治すための治療の術だったりするわけですが、もちろん、世間では認知すらされていません。

しかし、これは霊魂学の学徒の立場からするともの凄いことなのです。

祓いや霊的治療が出来るようになるということ自体凄いことですが、実は術というものには必ず表裏があるわけですから、プラスの作用をもたらすことが出来れば、逆も可なりということになるわけです。

密教などでは、霊魂学の霊術とは異なりますが、大昔から呪いの術などの負の技が受け継がれているようです。

もちろん、霊魂学の学徒である僕たちは、祓いや治療目的の霊術しか教わっていないですし、負の技などやろうとしたら、たちまち邪霊の虜になってしまうでしょうが、正の面での効果が大きければ大きいほど、負の部分での効果も大きいということになってしまいます。

霊的トレーニングが世間で言う霊能力の開発を一切しないというのは、あるレベルを超える前に霊能力がついてしまうと、社会人としてまともな生活が送れなくなるいうことやすぐに未熟な霊魂や邪霊に取り込まれてしまうということなどが理由なのですが、霊術も同様のことが言えるでしょう。

極めて限定されたものしか使えないとしておかなければ、必ず負の部分を使いたくなる者が現れます。

悪い奴らを退治するためにだけ使えば良いじゃないかと仰る方もおられるかも知れませんがそれが危険なのです。

「デスノート」の世界と同じで、己が全ての善悪の判断者となって、悪と判断した人間をどんどん殺していくことになってしまう可能性があるのですから、危険極まりないのです。

いずれ、必ず自らが善の代表になったと勘違いして、自分に反対する者は全て悪と看做すようになるでしょう。

或いは、熱心な霊魂学の学徒であれば、自分に対する攻撃ならばいくらでも我慢するが、師や霊魂学に対する攻撃だけは絶対に許さないという話になっていくでしょう。

実はこれが一番怖いのです。

イエス師もラ・ムー師も自らや神に対して攻撃を加えたり、命を奪ったりするような相手にさえ、霊的な善の名において報復されるようなことはありませんでした。

だからこそ、その領域にまで達しない限り、霊能力を持ったり、全ての霊術を使えるようになったりしてはいけないのです。

そして、霊的トレーニングと同程度日々の生活における修行が大切なのです。

幼稚園児に核兵器のボタンを渡すことなどありえません。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学 霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 霊を知るために 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


霊的トレーニングですらまともにマスターしていない僕が言うのもおかしな話ですが、以上のことから僕はいつも日々の生活における修行をどのように行い、少しでも進歩向上するためにどのような努力をすれば良いのか考えさせられます。

霊的活動というのは、山奥で一人で行うものではなく、この地上の人間社会の中で行うのですから、人間社会できちんと通用しながらも伝えるべき真実は伝えるという非常に難しい作業を日々行い続けなければなりません。

だから、迷い、悩み、苦しみ、失敗を繰り返しながらも、歯を食いしばって前に進まなければならないのです。

神霊の光を後世へと残すために。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。