483th  筆舌しがたい喪失感の後に | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

いつも書いていますが、僕は毎日、しかも何種類もの夢を見ます。

霊魂学的に申し上げれば、夢は肉体の脳の妄想だということですから、霊的なことをあまり気にする必要はありません。

但し、何事にも例外はあります。

夢に守護霊や指導霊が何らかのメッセージを送ることがあるようですし、霊的修行者であれば時としてそれ以上の高貴な存在から何やら力が降ろされたりといろいろあるようです。


僕は霊的なことをほとんど感じませんが、一昨日見た夢には何か意味がありそうだと感じました。

手短に書きますと、夢ですからストーリーに脈略がなく、突然、僕は家も所有物も全てを失ったという状況に置かれました。

何もないのは困るとばかりに、少しでも何かが残っていないか奇妙な空間を彷徨いました。

そして、遂にほんのわずか残された自分の私物を見つけたのです。

すると、なぜか、今まで経験したことがない強く激しい思いがこみ上げて来て、僕はしばらく号泣してしまいました。

問題はその後なのです。

なぜか、言いようの無いような爽快感い包まれたのです。

スッキリしました。


夢が覚めた後、僕は思いました。

何かずっとこびりついていたような霊的カルマが浮き上がったのではないかと。

実は、数年前に、僕は公開霊査で非常に重い霊的カルマがあり、それは禊法中伝でも解消する事ができない、霊の禊が必要だが、いつ合宿が行なわれるか分からないという主旨のことを言われたことがありました。

それから、数年たって、ちょうど丸2年5ヶ月前に霊の禊を教わることができたのですが、もしかしたら今頃やっとあの時ご指摘を受けた霊的カルマが浮き上がったのだろうかとふと思ったのです。


て、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)霊を知るために 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


そのような段階の禊法や鎮魂法を日々行じるようになっても、肉の脳は霊的な変化を感じることは出来ません。

感じないようになっているのに感じるようになってしまっては、邪霊の関与が濃厚ですから、大変なことになります。

ただ、今回は僕はふとそんな風に感じました。

勝手に思っただけですので、事実については知る由もありませんが、とにかく表現のしようがないスッキリ感があったことだけは確かです。


何かがまた大きく変わろうとしている。

そんな感じがします。

更に過酷な人生が待っているのでしょうか。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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