何が変わるか | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

ネットではなく、直接の友人で霊的なことに興味を持っている人に、以前、霊魂学や霊的トレーニング を紹介したら、そのトレーニングで何が出来るようになるのというようなことを聞かれました。

このブログを読んでおられる方にも結局、何がどうなるのかということを知りたいと思っていらっしゃる方が少なくないでしょう

「神伝の法って何ですか。」

「それで、霊的に進歩向上するとどんな風になるのですか。」

「霊能力や超能力が良くないと言いますが、そんなことなぜ言い切れるのですか。」

「結局、訳のわからない理屈で煙に巻いて、お金だけ取ろうとしているんじゃないんですか。」


先日亡くなられた、インドのサイババ氏は、物質化現象で有名になりました。

物質界で生きている地上の人間にとっては、目で見える、耳で聞こえるといった物質的な刺激があるものが受け入れやすいようです。

それをトリックだと言う方の中にも、なぜか予言は当たれば信じるという方がおられます。

そして、一番信じるのが、自分自身が、物質的なものではないものを見れるようになったり、聞こえるようになったりした場合です。

そのようなお気持ちはよく分かります。

僕も、霊能力者と言われる方と接するようになった時に霊的なことを信じるようになったきっかけは、自分しか知らないはずのことを指摘された時でしたし、確信するようになったのは、自分自身で比較的頻繁に予知夢を見るようになった頃からでした。

しかし、僕の場合は運良く、その先のことに興味が移らなかったのです。

予知能力らしきものが身について、霊感らしきものが出てきたとして、それでそれが何なのかと思ったのです。

何度も書いていますが、伊勢神宮との関係で、小さい頃から神の存在を何となく信じていたことや父の死の際に虫の知らせを実感したことから、霊的な世界と言うのは存在するような気がしていましたし、それがある日ある時確信に変わった瞬間というのが明確にあったのですが、非常に幸運なことに同時に複数の霊能力者をかなり身近で観察することが出来たおかけで、誰もが何かしら間違っていると感じてしまったのです。

物質化現象や予言や自分自身の霊感で、霊的な世界は間違いなくあると感じ時に、それを根拠にして、何から何まで信じてしまうということが怖いと思っています。

ホット・リーディングやコールド・リーディングもあるのです。

予言が当たることもあるのです。


大切なのは、肉の脳や肉の目や肉の耳が直接刺激を受けないところに真実があるということです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊を知るために 霊魂イエス ムーの大神人 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


僕は、日々、霊的トレーニング を行なっています。

いろいろと目的があって数種類のものを行なっていますが、メインはやはり神伝禊法奥伝と神伝鎮魂法奥伝です。

これらの技法は、地上の人間には必要ないのではないかと思えてしまうほど高度なもののようで、やっている本人も何が起きているのかさっぱり分かっていません。

ただ、やらせて頂く以上、きちんとマスターしたいと思ってはいるので、自分なりにどのようにすればマスター出来るのかを常に考えているのですが、その試みが果たして正解なのか不正解なのかは全く分かりません。

霊査を受ければ、比較的上手くいっているのか、大きく間違っているのかという程度のことは分かりますが、細かいことは分かりません。

肉の脳はぼおっとしているだけですし、表面意識はいつまでたっても未熟です。

徳を積むわけではないですし、人格者になるわけでもありません。

勿論、霊能力や予知能力など身につくことはありませんし、物質化現象も起こせません。


しかし、やっぱり何かが大きく変わっているのです。

表面的には変わっていないと思いますが、ものすごく変わっています。

何がどうということではなく、理屈ではなく、それが分かるのです。

そして、霊魂学関係の文章を読んだ後の感覚も10年前と数年前と今ではかなり違います。

霊魂学は霊的な事実を追求するものですから、物質の脳で理解できるものではありません。

しかし、基本的な知識、根本的なことは肉の脳でも知っていた方が良いですし、その上で霊的トレーニング を実践し続けていれば、何かが変わりますし、物事に対する視点も変わってきます。

霊魂学は神伝の法の実践によって、いかなるものかが少しずつ、ほんの少しずつ見えてくるもののようです。

そして、それが新しい壁を呼び込むことにもなるのですが、地上での生活などほんのわずかな期間だと考えれば、そのような短い時間でいくつもの壁が現れるのは本当に幸せなことだとも言えます。

その壁は、いずれどこかで、必ず超えなければならないものなのですから。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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