運命は変えられるか | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

そもそも運命などというものがあるのでしょうか。

このブログの読者の方は、僕が毎日、自由意思のことばかり書いていますので、そんなものあるのかと思われるかも知れません。

結論を申し上げれば、あると言えばあるし、ないと言えばないということになります。


大きな意味では、運命というものはあります。

何度も申し上げているように、人という霊的生命体は、霊的カルマの解消のためにわざわざ幽質界から、しかもせっかく上層幽界や上級幽界にいるにも関わらず、地上で再生されるのですから、人生の随所にあるターニングポイントのようなものは最初からプログラミングされているようです。

例えば、誰と結婚するとは具体的に決まっていなくても、大体何歳くらいで、このような人と結婚して、そこで予定されていた霊的カルマにより、何らかの衝動が生じて、どのような結果になるということは決まっているようです。

それが何かは人によって全く異なっているのですが、必ずいくつか霊的カルマによる衝動が生じます。

夫の浮気に苦しむとか、子供の非行で苦しむとか、まあありとあらゆることに霊的カルマが関わっているということがあります。

そこに、霊的障害や自由意思や偶然の出来事などが複雑に絡み合って、人の人生は日々決定されていきますので、運命はあると言えばあるし、ないと言えばないとしか表現出来ないのです。


但し、あなたが想像するよりも霊的カルマの力は凄いです。

自由意思で選択しているように感じることも、霊的カルマが浮いている場合は、もう他に選択する可能性は皆無というような状態で、ある決定をしています。

だから、まさに衝動という言葉が当てはまるのです。

殺人や凶悪犯罪、今もニュースや報道番組で取り上げられている大きな事件などには、霊的カルマが関わっていることが少なくありません。

殺人などは法律上だけのものに限られません。人を無意識のうちに呪い殺すという霊的カルマを持っている場合もあるようです。


霊的カルマを解消するには、手前味噌で申し上げると神伝禊法しかありません。

禊法によって、潜在意識に隠れている霊的カルマを浮かび上がらせて、そこに霊的に高貴な力をあてて解消させるのです。

もちろん、何もかも完全になくなるわけではありませんし、日々、人は新しい霊的カルマを作る可能性がありますから、それらに対しては、日々の生活での修行によって解消していくのです。

日々、己のことを反省し、少しずつでも改善していこうと努力し、禊法の初伝、次伝、中伝と確実にステップアップしていけば、わざわざ地上に生まれてきた目的のほとんどは達成されるでしょう。

但し、人によってはあまりにも重い重い霊的カルマが残されていて、神伝禊法奥伝である霊の禊までいかなければ解消されないという場合もあるようです。

僕などはその典型例のようです。

或いは、元々生まれ変わるような霊的カルマを持たないにも関わらず、神霊やキリストに土下座までして地上に再生させてもらった魂であれば、霊的修行者としての一生を全うしなければ、まさに何のために生まれてきたのかという話になるでしょう。

過去にはそのパターンで生まれてきたにも関わらず、地上の生活に敗れて、死後、下に落ちていって今も上がってこれない霊魂が数多く存在しているようです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊を知るために 霊魂イエス ムーの大神人 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


終末の世ですから、誰がどのような経緯で地上に再生しているのかよく分かりません。

あなたが、毎日、電車で見かけるさえない疲れ切ったサラリーマン風のおっさんやバリバリのギャルメイクを朝から電車の中でしている女子高生が、実は、キリストの高弟で、人類救済のために、キリストに土下座をして地上に再生させてもらっているということもあり得るのです。

冗談ではありません。

あなた自身がまさにそうなのかも知れないのです。

もし、あなたがそうだったとしても有頂天になってはいけません。

本当にそうであれば、大変なことです。

それほどの重大な決意をして、それほどの重要な使命を持って、この世に生まれ変わったにも関わらず、霊的修行者としてやるべきことをやっていなかったら、どうなるでしょうか。


「師よ。本当に申し訳ありません。必死になって頑張りましたが、地上の肉の生活に敗れてしまいました。家庭環境が、受験が、境遇が、仕事が、結婚が、何もかも全てが、霊的修行者として生きることを阻んだのです。」


再生には当然、神霊も関与されておられるはずです。そのような言い訳が通用するのでしょうか。

その後の霊的生命体としての人生は僕が文字にするまでもないでしょう。


自由意思は、霊的生命体としての運命さえも変えられるようです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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