自分勝手な祈り | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

地上の人間はずっと自分勝手な祈りばかりしてきました。

しかし、至上の神が姿を見せたことはありません。

地上の人間には、神と語る能力も神を見る能力もないからです。

そもそも、あまりにも住む世界が離れています。

地球と宇宙の果てというようなレベルではありません。

宇宙の果てですら物質界なのですから。

普通の人では、神霊や霊質界におられる高級霊魂とも話すことなど出来ません。

神霊と交流するにはそれに相応しい神体が必要ですし、高級霊魂と交わるにはそれに相応しい霊体が必要です。

神伝の法でも実践しない限り、地上の人間がそのような霊的状態になることはありませんから、歴史上かなりの修行をされた方であっても、通常は、自身の守護霊や指導霊と交流出来れば凄いと言うことのようです。

至上の神はともかくとして、それでも神霊や高級霊魂の方々は人々が地上で苦しみ、常に救いを求めていることはご存知のようで、その時々に高貴な力を降ろされたのですが、それを地上の人間が感じて感謝しても、すぐにそのことを忘れてしまうようです。

更に、自分勝手な祈りはしても、その代償として、神々の御心を知り、神々のために働きたいと祈ることはほとんどないようです。

自分の勝手を祈るばかりで、神々の思いは知ろうとすらしません。

霊質界の高級霊魂は、何ら代償を求めず神霊のために働きますし、僕たちの守護霊や指導霊もそれが神々の御心だと分かっているので、上司の霊魂の指示に従って必死に働きますが、その代わりに何かをして下さいとは一切言わないようです。

神々のお役に立てば嬉しいのであって、その結果、多くの霊魂や地上の人が喜ぶから嬉しいのです。

単にそれだけのことのようです。

これが、高級な霊的世界での愛です。

地上の価値感の愛とは質が全く異なっています。

地上の人間は肉の維持があるので、自分の住む所や食べる物を全て他人に与えてしまうということはありません。

自己満足や何かの償いや生活の余裕から、自分自身が困らない範囲で一部を与えることしかしません。

それは、霊的世界では愛とは言わないようです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊を知るために 霊魂イエス ムーの大神人 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


地上の人間は、いつも自分勝手な祈りだけをして、神々のためには全く働かないくせに、初詣で神社に行っては、百円玉や五百円玉を賽銭箱に放り込んで、今年こそはと自分の願望を押しつけ、叶わなければ、もっとご利益がある神社やパワースポットがあるはずだと、ネットや雑誌を読み漁ります。

その結果、パワースポットで低い幽気をべっとりとくっつけて、間気は不足して肉と幽がずれ、幽気はきちんと流れず、幽体は傷だらけで、オーラなど全く出ない状態で、あの世へ行って、悪いことなど一つもしていないのに、なんで天国に行けないんだと怒りまくります。

あの世へ行って、あの世があることがやっと分かっても、霊的真実を求めるなどということは全くしません。

そんな霊魂ばかりが幽質界に増えて、今やほとんどの地上の人間や邪霊たちは、自由意思を行使して、地上に神霊の力が降りることさえも一切拒否しようとしています。


わずかに残された地上の小さな小さな光さえも消えてしまうその瞬間に、神々はどのような判断をされるのでしょうか。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


ブログ村ランキングに参加させて頂いています。

1日に1回クリックして、応援して頂けるととても嬉しいです!

   

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへ
にほんブログ村