神伝の法 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

神伝の法。それは、神または神霊より伝えられた技法です。

禊法、鎮魂法、トオゥ・ライ・シェイ、幽育、呼吸法等。

人は、それを行じることによって、より高級な魂となり、高級霊魂の指導を受け、人生の目的や使命を達することができるようになります。

それは、一言で申し上げれば真理を知るための法と言えます。

自分の正体である魂のほんのほんの一部でしかない地上の人間が、なぜか神伝の法を行じることにより、魂そのものをより高級にすることが出来るのです。

何とも恐ろしい技法が、地上に示されたと思うのですが、終末思想が氾濫し、混迷を深めていく現代だからこそ、究極というものが示されたのでしょう。


実は、神伝の法は、大昔からあり、一部がいろいろな形で現代にも残っています。体系として残っているものもあるようです。

それらは、一部が抜き取られて、霊能力や霊的な不思議な力を得る教科書として売られているようです。

僕の友人は幽体離脱セミナーというようなものに高いお金を払って参加したことがあるようです。

幽体が肉体から完全に離れてしまう状態が、霊魂学が言うところの人の死です。

そのセミナーがどのようなものか全く知りませんが、そのような恐ろしいことに多額のお金と時間をかけてしまうのが残念でたまりません。

しかし、霊的な事実を知らず、また、自由意思によって知ろうともしないのですから僕には何も出来ません。

或いは、霊査で間気が著しく不足していて、肉と幽がきちんとくっついていないという緊急事態が分かっていても、本人がそれを信じないのであれば、僕が出来ることは一切ありません。

僕に出来ることはやったのですから、もうこれ以上、自由意思に干渉することは出来ません。

身内であろうと長年の友であろうと関係ありません。

人は自由意思によって己の地上での人生を決定し、死後の半永久的とも言える長い長い生活をも決定するのです。

決して、神や仏が決めるのではありません。

まして、地上のただの人間である僕が、他人の自由意思に干渉するなどそんな思い上がったことが出来るはずもありません。


僕は祓いや霊的治療という霊術を学んでいます。しかし、残念ながら身内や親しい人の中でそれを使うことが出来る対象は妻だけです。

彼女はよく分からないと言いながらも霊魂の存在を信じているからそれが可能なのです。

そして、更に、自由意思で基礎行を行い、呼吸法を実践し、ほとんどのトオゥ・ライ・シェイに参加しているからこそ霊術を行なうと効果があるのです。

まだ、彼女は、鎮魂法や禊法の合宿に参加したことがありませんが、たったそれだけのわずか1年足らずの自由意思の行使によって、通常の人に比べれば、はるかに幽体の状態は良くなっていますし、普通の人よりも幽体からオーラが出ていますし、霊査で霊的な不調が分かれば、僕の霊術によってすぐにある程度リカバーすることが出来るのです。

それは、霊的なことにおいて、手遅れになるという可能性が、普通にまじめに生活している人よりも何十倍も何百倍も、もしかしたら何千倍も少ないということを意味します。


また、話がそれましたが、いずれにしても、安易に本を読んだり、霊的な事実を知らないどなたかがやられているセミナーによって、気を動かすだの集中させるだの、チャクラがどうだの、瞑想はどうだのということを行なうことは非常に危険なことです。

正常な思考や感情や理性が失われてしまったり、ノイローゼになったり、次から次へと病気にかかったりと、霊的には勿論のこと、普通の生活を営むことにも障害が出てきます。

まして、本当に霊が見えるだの聞こえるだのとなってしまっては、もうどうしようもありません。

あまり書きたくありませんが、その人の霊的な状態が悪ければ悪いほど、いわゆる霊能力がついてしまう可能性は高いのです。

守護霊を見ている、天使の声が聞こえると、ご本人が思っていても、幽体や幽気や間気が健全な状態でなければ、それは必ず邪霊のテクニックによって見せられ、聞こえているに他なりません。

極めて危険なことだと、何度も同じことを申し上げていますが、残念ながら自由意思の行使によって無視される方が少なくないようです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊を知るために 霊魂イエス ムーの大神人 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。

人は霊魂が見えたり、聞こえたりすることを求めるべきではありません。

幽質界でいくらでも霊魂を見ることができ、相手の想念など言葉を使わなくても自然に読み取ることができ、空間を一瞬で移動でき、どのような姿にも自分の容姿を変えることが出来るのに、霊魂を見たり、その声を聞いたりするために、地上に再生されてきたわけがありません。

冷静に考えて頂ければどなたにも理解して頂けるはずです。


人は、日々己を見つめ反省し、改善することによって、幽質界にいたままでは超えることが出来ない壁を超えるために、苦しみと不幸が満ち溢れているこの不便極まりない地上に、わざわざ生まれ変わったのです。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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