宗教的な修行と言うと禁欲的なことをイメージされる方が多いかも知れません。
かなり一般的になったヨーガの一派に禁欲を求めるものがあるからでしょうか。
しかし、現在、普及しているヨーガは、クリシュナ師がやられていたものとは別物と言っていいような変化を遂げており、霊的にはむしろ危険なものが多いようです。
特に、チャクラだのなんだのと言って、精神を一点に集中させたりしていますが、これをすると、間気(エクトプラズム、肉体と幽体を接着させる半物質半幽質のもの)を一点を集めることになるので、間気に不調が生じます。
間気が不足したり、部分的に偏ったりすることは非常に危険な状態だと言えます。
すなわち、肉体と幽体を接着させているものが、正常な状態ではないわけですから、肉体と幽体が分離しやすくなるのです。
肉体と幽体が完全に分離した状態が、「死」なのですから、それがいかに危険がご理解頂けると思います。
話が少しそれてしまいましたが、禁欲も非常に危険なことと言えます。
肉の身体を着ている以上、肉の欲求というものは、地上の人にとって自然なものであり、それは適度に満たされていなければなりません。
性欲も食欲もその他の欲望も例外はありません。
もちろん、過度にそれを求めることは良いことではありませんが、それと同様、或いはそれ以上に禁欲は危険なのです。
肉体の状態を本来の状態とは異なる状態にしてしまうということは、強い圧迫を与えることになり、幽的な力が出なくなります。
もちろん、肉体の疲労や精神的な苦痛は、霊的な不調を招きやすくなり、邪霊に狙われやすくなるというマイナスもあります。
地上にいる以上、肉の身体を健全な状態にして、肉の脳からくる表面意識もなるべく健全な状態にしておくほうが良いのです。
それだけで、霊的に高くなるわけではありませんが、肉の不調が霊的な悪影響を与えないようにすることも大切なことなのです。
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肉の脳が影響力を持っている、表面意識というのは、人という霊的生命体の本質である魂とは何の関係もないと何度申し上げてもなかなか理解して頂くことが出来ないようです。
霊的修行者として、かなりのキャリアを積んだ方でさえ、表面意識のみで、他の人の霊的価値を判断しているのではないかと思わされることが少なくありませんから、霊的修行者ではない方にとってこの事実を理解して頂くことは大変難しいことなのかも知れません。
しかし、身体的なことであっても、精神的なことであっても、肉の影響を受けているものを不自然な状態にするような行為、肉の身体や肉の脳をいじめるような行為は、必ず霊的に悪影響があるということだけは、覚えておいて頂ければと思います。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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