人間は、社会生活を始めるようになると、他の人との協調を余儀なくされます。自分勝手なことをすると、人の輪からはみ出してしまいます。
人は自分勝手には生きられないのです。
しかし、人間はもともと自分勝手です。だから人はストレスを感じるのです。
教育や躾の名のもとに、食べたくても時間が来るまでおあずけになり、遊びたくても時間が来るまで外に出してもらえません。
子供の心はストレスで満ち溢れています。それがやがて爆発します。
このストレスは、実は肉体の脳が感じているだけではないのです。
幽体にも心があり、その心も、同じようにストレスを抱えるのです。
やがて幽体の脳は、人に合わせて楽に生きることを考えるようになり、苦しまず、努力せずに、楽に一生を生きることが、より素敵な自己保存だと考えるようになってしまうのです。
一方、肉体の心は、他人との競争において負けることを屈辱として、自分を叱りつけながら頑張ります。
肉体の心と幽体の心は常に対立しているのです。
いつしか人は己の心の葛藤を抑えきれなくなってきます。いくら考えても自分の心の不自然な煩悶が理解できなくなるのです。
そうした時に宗教はそれを与えてくれるのです。
つまり、宗教は、神や仏、あるいは霊魂といった、肉体の心が分からない話を幽体の心にもすることにより、幽体の心を力づける働きを持つのです。
宗教の主張が多少間違っていても、肉体の心よりましです。本来、物質以外を認めなかった肉体の心に比べれば、宗教団体の教義は幽体の心にとっては砂漠の中のオアシスとも言えるのです。
「やっぱり自分のほうが正しい。幽界はあるの!」
幽体の個我は肉体の個我に勝利してしまいます。
人間が宗教を知るとは、幽体の心のストレスを解消することであり、それは幽体の発言権を増すことにつながります。
したがって、幽体を正しく教育する宗教でないと、その宗教は楽ばかりを求める自己保存の宗教と堕ちていってしまいます。
宗教は人々にとって明るい未来でもあり、暗い未来でもあります。
もちろん、宗教に出会わない人々も大勢います。
そういう人の幽体の心はストレスに満ちていて、それが魂の進歩を遅くしてしまうのです。
やはりここでも、キーワードは自由意思と霊的感性です。
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人は自身の心の矛盾を追求していくと、いつしか宗教と向き合うようになるようです。
その時に、あなたが自由意思により正しい選択ができるかは、全てあなた自身の霊的感性にかかっています。
守護霊や指導霊と交流しやすい状態の人は、より正しい選択をする可能性が高まるでしょう。
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人間は実は宗教的な存在であるということに気がついた時、人生の目的、人間の真実を知るための扉があなたの目の前で開かれることでしょう。
大切なことは唯ひとつ・・・・・。
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