霊魂学は善悪を基準としていません。
このことだけを書くと勘違いされてしまいますよね。
道徳と倫理。これはある程度尊重すべきです。無視すべきではありません。
もちろん、法律は守るべきです。
常識もわきまえるべきです。
しかし、この道徳や倫理というものは、人間が社会生活を営むために作った基準であり、国によっては全く逆のことが望まれるということも多々あります。
人を殺してはいけないし、人の物を盗んでもいけません。
当然のことです。
ところが、最低限の基準はあるにせよ、それ以外は人間が物質社会において都合によって作ったものなので、善悪というものは基準にならないのです。
有名な言葉があります。
大量に人を殺せば英雄になれるが、一人を殺すと殺人犯になる。
以前、本で読んだ内容なので正確な文言は忘れましたが、いずれにせよ、戦争で大量殺人をした人が英雄になれるのはなぜでしょうか。
自分の国以外の人であるならば、大義名分さえあれば、人を殺せば殺すほど誉められるということがあって良いものなのでしょうか。
これが人間が勝手に作った善悪というものなのです。
本来、人を殺すことが善になるはずがありません。
だから、霊魂学 は善悪を基準としないのです。
理由は簡単で、曖昧な上に、人間による恣意的な基準だからです。
治世者が歴史を捻じ曲げるのと全く同じです。
善悪など治世者の意思でいくらでも変えられるのです。
霊魂学 は物質界における道徳や倫理を尊重しながらも、霊的な基準をバックボーンにしています。
そして霊的な基準は霊的な進歩向上を前提としています。
そこには、法則というものが土台にあります。
このあたりから、霊魂学
はぐっと難しくなります。
一般的な宗教は、道徳や倫理を土台にして、愛や奉仕や先祖供養などの受け入れやすい事柄を前面に出しているので、本当のことを言ってしまっている霊魂学
に初めて触れた方は混乱しやすいのだと思います。
更に詳しいことを知りたい方は、わかりやすい霊魂学
や霊魂イエス
を読んで頂ければと思います。どうぞ、じっくりと読んで下さい。
善と悪について真剣に考えた時に、真理とは何かというテーマにぶつかるはずです。
そして、真理を求めると、何が大切で何が大切ではないかの取捨選択がおこなわれるはずです。
善と悪。
そこには真理はありません。
真理はあなた自身で見つけて下さい。
「求めよさらば与えられん」
※ 契山館
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、日々の生活における修行
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