呪詛・呪いについて(その2) | 霊眼通信

呪詛・呪いについて(その2)

先日、幾つかの呪いについてお話いたしましたが、今日は呪いを行うと霊的にどのような動きが生じてくるのかをお話いたします。
まず、仮にあなたが呪詛を行ったと致しましょう。
すると、その日の晩から相手の一族の御霊達がガンガン降りて来ます。
これは呪詛が行われた事を、相手の先祖一族が知るからです。
数としては数霊から20霊前後ですが、あなたの寝ている部屋はもちろん、四六時中あなたに付きまっとって邪魔をするようになります。
夜、あなたの寝室は20霊前後の相手のオーブで埋め尽くされ、まるでスクランブルをかけた戦闘機のように部屋の中を飛び交います。
始めは、あなたの守護霊達が守ろうとしますが、最早多勢に無勢となり、やがてあなたの守護霊達ではどうにもならなくなってしまいます。
そこであなたのご先祖様一族も、あなたを守ろうとしますが、こうなると相手の一族とあなたの一族との霊界戦争状態になって行きます。
したがって、このような状態になった方の部屋には、40霊~50霊程度の御霊が飛び交う事になります。
当然あなたが寝ている時は、憑依され悪夢を見させられます。金縛りは当たり前の現象となるでしょう。
しかもあなたの内蔵(特に心臓・胃・肝臓)と言った臓器に叩きを行われ、日々内蔵が疲れるようになり、やがて病に発展して行くようになります。
また、相手も同じような現象になって行きます。
つまり相手が倒れるか、あなたが倒れるかと言う事になりますが、もしも相手の守護霊や一族が強ければ、言うまでも無くあなたの負けとなるはずです。
呪いをかけると、自分自身も呪われると言う事がお判り頂けますでしょうか。


呪いは即ち、守護霊はもちろん一族対一族の霊界戦争に発展して行くと言う事です。
私は過去に、何度もこうした御霊達を見て来ています。
そこで、摩利支天信仰や十一面観音信仰などの必要せいに迫られるようになって来ます。
摩利支天は、燃えさかる炎の中にその姿があり、しかし相手には炎でしか見えず、誰なのか判らないと言う強力な「天」なのです。
その摩利支天の中に己を置く事で、相手に悟られないようにすると言う技があります。
また十一面観音や千手観音は、四方八方に顔を向け、その手には弓矢を始め多くの武器を手にして殺戮して戦います。
もともと観音様は、とてつもない慈愛と温もりを全面に押し出していますので、その内に秘めて押し殺している怒りや感情は言葉では言い尽くせないほどのものがあります。
つまり裏を返せば、ひと度その怒りに触れたなら、人などいとも簡単に殺せるほどの力があります。
ですが、一般の人々がこれらの佛に動いて貰うのは、とうてい不可能な事と思います。
よほどの信仰と、日々の鍛錬やお務めがなければ無理な話なのです。


嘗て、空海の呪詛合戦は今でも有名な話として残っていますが、けして神話やおとぎ話ではありません。
現に密教やそれぞれの宗派の中には、調伏法なるものなどが脈々と受け継がれています。
ですが御霊達を降伏させ、相手を呪殺すると言う事は、その前に自分自身の準備も万全でなければいけません。
つまり守りができていなくてはいけないと言う事です。
守り、即ちここで「護身法」が必要になってくるのです。


霊眼通信 (舞子の春)

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護身法:


護身法の1つに「九字護身法」があります。
いわゆる九字切りと言うものですが、「臨・兵・闘・者・皆・陳・裂・在・前」などについては、今更ここでお話をしなくても、多くの参考があるでしょうから説明を省きますが、九字切りで重要な事は、降りて来た悪意ある御霊に対して想念と佛の加護を以て切り払う事です。
したがって、9種類の印契は佛を表し、その加護によって厄を払いのけると言うものです。
ですが、ただ「臨・兵・闘・者・皆・陳・裂・在・前」と言って手印を結ぶだけでは、ただの発生練習と指の運動に過ぎません。
肝心な事は、降りて来た御霊達に対し、想念で九字切りを強烈にアピールできるかと言う事と、その時点で自身が佛の加護を得られる状態になっていなければいけません。
仮に、そう言う状態を作る事ができていないのであれば、九字切りは何の意味も無いただの指の運動となり、相手の御霊達にそっぽを向かれるのが関の山です。


2つ目の護身法としては、お香やお経による浄化と身固めです。
ですが、呪いをかけられた場合、お香とお経による身固め効果は、せいぜい一晩です。
もともとお香自体の効果が1日程度で、特に呪詛された場合は、お香だけでは防げません。
プラス、お経の読呪により浄化効果を上げるようにします。
このお経の読呪法は、お経を読みながら同時に佛の姿と、対する御霊が第6チャクラを通じて見えなくてはいけません。
それができない場合は、いくらお経を称えても、ただの朗読となり浄化作用の期待はできなくなります。
お経と言うのは、多くの僧侶や霊能者を始め、広く一般の人にも読まれています。
しかし、その手の修行をしている方の多くは、朗読、または自分からの一方通行となっている場合が殆どのようです。
佛と一体化すると言う事は、つまり双方向なのです。


3つ目の護身法としては結界や護符、お守りによる防衛です。
私が結界の話をすると、よく「塩」はどうですか?
と言う質問を受けますが、塩結界の効力は1日から、グラフで言えば右肩下がりにせいぜい3日程度です。
それも結界として用いる場合は、1年も2年もその辺の台所にあった塩をそのまま使ったのでは、まったくもって駄目です。
新しい粗塩に、呪文をかけながら火にかけ清めて行きます。
ですがそう言う話をすると、今度は早速台所のフライパンを使って塩を炒る方がいますが、それもまったくもって駄目駄目です。
せっかくの粗塩が、年期の入ったフライパンの邪気と共に黒焦げになるだけなのです。
結界に使用する塩は「聖塩」でなければならず、聖塩の作成には厳格なルールと呪作法があります。
そうして作成された聖塩は当然、塩結界として威力を発揮します。
ですが、結界を張る広さに塩の量も比例するのは言うまでもありません。
1メートル四方程度のものと、数メートル四方では、違いは明らかです。
こうして作成された結界には、見ていると御霊達も殆ど近寄りません。


では、お守りはどうでしょう。
以前にもお話をしたかも知れませんが、その辺の500円程度で買った、印刷のお守りでは殆ど効力はありません。
きちんとその人の為にご祈祷し、霊的に結びつけたお守りでなければ意味を成さないのです。

さて、少々長くなりましたが、次回は藁人形などについて触れてみたいと思います。


・・・・・・・・・次回に続く