呪詛・呪いについて(その1) | 霊眼通信

呪詛・呪いについて(その1)

呪詛とは、即ち呪いをかける事であります。
皆さんが生活して行く中で、日々いろいろな出来事が起きていますが、その中でも「最近、何か変だ・・・。」「体調が極端にすぐれない・・・。」「何だか呪われているような気がする。」などなど、上げれば切りがありませんが、そのような事を感じたら赤信号です。
社会生活の中では、悪くも無いのにただ嫌いと言う理由で、人を陥れるような輩がいたり、欲絡みや悪い目的があって呪詛するなど、様々な悪人がいます。
そこで、何回かに分けて呪いについてお話をしてみたいと思います。
ですが、最初に言っておきますが、私がこれから話す事は飽くまでも、呪いをかけられた場合にどうするのかと言う観点でお話をいたします。
したがって呪いをかけたい方に対する手解きでは無い事を、最初に申し上げておきます。
つまり肝心な呪文や呪作法、或いは準備に至るものについては、ここでお話する事を論外と致します。


そもそも恨みや嫉み、呪いなどと言う言葉はいつからあるのでしょうか。
ちょっと考えてみて下さい・・・・・・・・。
答えを言ってしまえば、それは人に感情が芽ばえた時から歴史が始まったのです。
そんな太古の昔からあると言う事は、考え無くても判り切った事だと思いませんか。
実際に恨みや嫉み、呪いと言った現象が無ければ、とっくにそんな言葉は死語となって忘れさられているはずなのです。
つまりそうした世界が本当にあるからこそ、脈々と人の歴史の中で引き継がれ、今でも生き続けている言葉なのです。
もちろん半信半疑な方も多い事と思いますが、タイトルにある悩みを抱えている方々の為に、何回かに渡ってご説明したいと思います。


まず、恨みや嫉み、或いは欲得と言う感情については、説明しなくても判ると思います。
仮にAさんがあなたにそんな感情を抱いていたとします。
そうした感情がエスカレートする事で、「呪う」と言う実際の行動をとる事になって行く訳ですが、客観的に見た場合、本来ならその時点でAさんは悪霊の囁きに犯されつつある事を知らなければいけません。
ですが、Aさん自身は最早そんな事を考える余裕も無いのが殆どのケースです。

昔から「人を呪わば穴二つ」或いは「人を呪わば呪われる」と言う言葉がありますが、これらはどのような事を指して言っているのでしょうか。
言葉の意味は、人を呪って死なされば、やがて自分も呪われ、死んで墓穴が二つになる。
或いは人を呪うと自分も呪われると言う事なのですが、そこにはどのような現象が見え隠れしているのか。
それを理解しなければ、真の意味で「呪い」と言うものがどのようなものであるのかが判った事にはなりません。


少々前置きが長くなりましたが、これからお話する事は、私のように霊眼を持った者にしか見えない現象であって、常人には見えない世界の話となります。
ですが、私もブログに少なからず社会的信用を掛けて行う話となりますので、どうか1人でも多くの皆さんに、前向きに捕らえて頂ければと願っております。
けして、まやかし話ではありません事を最初に申し上げておきます。
また、くれぐれも私に挑戦を挑んだり、ご自身が見よう見まねで試しに呪術を行うなどの軽率な行動はしないようにお願い致します。
では、まず幾つかの呪いを例に上げて、それらがどのようなものなのかお話を致しましょう。


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呪い: ①念じる事で相手を倒す。


本人の念、つまり想念による呪いと言う方法になります。
これは、日々相手の事を憎み、強いては想念によって憎み倒すと言う、最も単純なやり方です。
何故、想念で相手が倒れるかと言うと、想念により本人が気づかないうちに、悪しき御霊達が動くと言う所に、事の実態があります。
つまりこのようなケースの多くは、想念を送っている本人には、御霊達がどう動いているのかなど考えも寄らず、恨みの念だけを膨らませ、そして本人もやがて悪しき霊達の手により、憑依犯されて行く事を知っていなければいけません。


また、憑依されているが故に、恨みと行動がエスカレートして行くと言う事もあります。
これはタマゴか鶏かと言う話と同じで、日々恨み通すと言うのは、最早その時点で異常事態なのです。
人には慈悲と言う心がある訳ですが、世の中には時に、凶悪犯罪のような現象として起きた事を、慈悲に価しないと考える方も居るでしょう。
当然その方の器の問題もありますが、それ以前に犯罪者の大半は、悪霊に憑依されて事件を起こしている事に気付いていなければいけません。
よく、「殺せれば誰でもよかった・・・・・。」などと言う加害者の発言を耳にしますが、単に「頭が狂っている」と言う言葉だけで片付けてはいけないのです。
そして慈悲に価しないと言う事は、その怒りが新たな怨念となって行きます。
常人には見えない、御霊達の動きがある事を知って頂きたいと思います。


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呪い: ②西洋式の魔術(魔法円)や呪いの護符などで相手を倒す。


前者は呪術により悪霊を呼び出し、相手に憑依させる方法で、後者は護符により相手の守護霊達の動きを止めて行く方法です。
本来、護符は悪霊除けに使用したり、良くなるように願いを込めて使用する物ですが、時に御霊達の動きを封じる為に使用する事もあります。
護符の使用方法はいろいろあるのです。
ですが、このような魔術や護符と言った両者は、熟達した技と能力が必要になりますので、簡単ではありません。
仮に悪霊を呼び出せたとしても、その者を自由に動かすだけの力量が無ければ、逆に自滅の道をたどると言う事になりかねません。


また、護符は書くときのルールもあり、しかも効く物と効かない物があります。
これは、日々御霊を観察できるだけの能力者でなければ判らない事ですが、実際に効果の無い護符は、見ていると御霊達が平然とその前を素通りして行きます。
或いは、効果の弱い護符の影響力範囲は、せいぜい50cm~1m程度です。
したがって、こうした技を使用するには、かなりの霊眼と熟達した力量が備わっていないと無理であると言う事になります。


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呪い: ③加持祈祷(修法)により相手を倒す。


加持祈祷と言えば、西洋式の魔術も同類の見方ができますが、仏教における加持祈祷は、それよりもかなり確立されたものであると言えるでしょう。
もちろん加持祈祷とは、本来は大衆に加護を与える為に行われるものですが、裏返せば呪いにも使えると言う事です。
本来、加持と祈祷はそれぞれの意味がありますが、同時に行う事で相乗効果が上がります。
当然、その呪法は難しく、誰でもできる訳ではありません。
またいくら修行を積んで、呪法を身につけたと言っても、御霊が見えて想念で御霊達と相互通信ができるようになっていなければ、ただの作法と朗読に過ぎません。
これは飽くまでも、御霊達にどのように動いてもらうかなのです。


このように、それぞれ手法こそ違いますが、すべては御霊達に関係している事であります。
ですから呪いに関して、行う者も、それを防ぐ者も、術者は相当な技量と能力を必要とします。
残念ながら霊を感じると言う程度の能力では、無理があると言わざる他ありません。
ましてや常人であれば、絶対に踏み行ってはいけない領域である事を申し上げておきます。


・・・・・・・・・次回に続く