交通事故加害者のできること
交通事故加害者のできること
多くの日本人は裁判所が何であるか、警察と検察の違いなどほとんどわかってないと思う。
同時に世の中には刑事事件と民事事件があるが、その違いも「いまいち」解ってないだろう。
そこで、交通事故で追突事故を起こし、それが一見3重衝突で、その加害者になったと同時に、
自賠責保険は入っていたけれど、任意保険は入ってなかったのが、仮に私(私の車A車)として考えてみよう。
信号が青に変わったので、前の車(以降B車と言う)が出たのでそれを見てから私もじわっと動きだした。
ところが気が付くと、B車が急激に迫ってきたので、ブレーキを踏んだが間に合わず、私はB車に追突した(と思いこんだ)。
車から降りると、B車の運転手が降りてきて、私に「すみません」と言っている。
同時に、その前のC車からも運転手が出てきて「ああびっくりした。でも大したことはありませんから」
と言っている。その時ABCの車間隔は1メートルと言うところだろうか。
こんなことをケーススタディーしてみよう。
AもCも多少のへこみはあるが大した損傷ではない。
真ん中のBは前後がへこんでる。
警察を呼び、現場検証が始まると、Bの運転手がほぼ一人で、Aに追突されて、BもCに追突したと言っている。
私AはただB,Cに申し訳ない気持ちで、そうなんだろうなーと考えている。
Cは信号待ちで止まっていたら、突然後ろから衝撃があったので、後ろからの衝突と言うよりは横に並行している高速の出口の誘導路から何か落ちたのかと思ったと言うが、外に出て、後ろの車が追突したんだと思った。
私はあろうことか任意保険に入ってなかった。これは私のミスだ。不幸中の幸い、自賠責保険には入っていた(当然だが)。
その日は、物損事故と言うことで事故処理は終わった。
私はBCに不注意を謝り、「体に異常があれば病院に連れて行く」と言ったが、二人とも「問題はない」と言う。「修理は私がしたいので、その見積もりを取ってほしい」と依頼した。
翌日、Bの父親Xから電話があり、「念のためBを病院に連れて行ったが、首に多少の痛みがあるがシップすればいい程度なので気にしなくていい。車の修理をどうするか話をしたい」
というので、指定のファミレスに私は一人で行くと、Xは親戚だと言うYを連れてきていた。
そこで、私は「良く利用している自動車修理工場があるので、そこで見積もりを取ってもらえないか」と依頼し、Xから快諾を得た。
以下次号。
半農半Xと半農半芸は似ているのか違うのか?
半農半Xと半農半芸は似ているのか違うのか?
私は45年ほど前から、半農半芸という言葉を使っている。
いつ頃からだろう、半農半Xという言葉が流通するようになり、
私は「はは-ん、私の言っていたのを素直にまねできないからちょっとひねったのかな」
ぐらいに聞き流していた。
しかし、昨日facebookで友達申請してきた人も「半農半X」を自称し、偶然か今朝のNHKラジオでも髙坂 勝氏が、「半農半X」のススメを話していた。
これは偶然ではないと思い、私の「半農半芸」と巷の「半農半X」がどう違うか、或いはどう同じなのか考えてみた。
まずネット検索で出てきた「半農半Xという生き方」 (ちくま文庫)塩見 直紀
について述べたブログから
≪半農半Xとは、塩見直紀さんが1990年代から提唱されてきた生き方で、近年、それが若い世代へどんどん波及していき、一時期僕の中でも相当ブームになった生き方なんです。
「自分や家族が食べる分の食料は小さな自給農でまかない、残りの時間は「X」、つまり自分のやりたいこと(ミッション)に費やすという生き方」です。
そう、つまり何か固定のナリワイを持ちながらも農的生活を送ることで、生活全体に充実感を持たせるという考え方なんです。≫
と書いてある。今朝のラジオ高坂勝氏も概ねそう言っていた。
ここで私なりに言い換えると「半農半X」の農は第2種兼業農家的(農業が従)農であるということ。に見える。
その意味に限れば、どうも私の「半農半芸」とは違うようだ。
私は当時(45年ほど前)、「週休二日以上の休みと、1日4時間以下の労働で家族の生活費を農業で稼ぎ、
平日の空き時間や週末、それ以外にある長期休暇を自分や家族や社会や人類の未来のために楽しみながら関わる。」と多くの人に説明していたように思う。
更に「農」の定義も、「農」はあらゆる産業の幹で、他の産業は枝葉にすぎない。だから農業ができる者は何でもできると考えていた。
つまり、私の半農は専業高収益農家モデルなのだ。さらに、その先の多角化であらゆる産業が選択肢にある。というものだ。
だから、参議院選挙で環境政党を3度立ち上げ、うち2回は立候補し、最後の一回「農民連合」では、高知と神奈川を毎日飛行機で往復しながら、午前中は高知県の生姜畑で虫取り草取り、午後は神奈川県選挙区で選挙遊説、一泊して午前中は選挙遊説、午後は高知の畑と言う通勤農業通勤選挙ができたわけだ。
もちろん、半芸で使う金や時間が減れば、半農に使う時間も激減させられる。その分自給野菜も作ることが可能だから、更に金は要らなくなる。それは今流行りの「半農半X」に近いが、私し的にはXの一部が自給農業のような気がする。
私は半農半Xが増えるのは、「個人の生活やそのちょっと周りだけを考えれば済む『世界が補償』されている」なら、良いことだと思う。
しかし、山積し、なおかつその加速度が増す人類社会の課題が「半農半Xが本当に保証されなくなる」ように世界を覆い尽くす方が早いのではないか。という危惧に目が行く。
芸がXに代わることで、なんか逃げの姿勢が見え隠れするのは私だけだろうか?
日本での動物の権利の現状(その1)
日本での動物の権利の現状(その1)
(2019年6月27日の記事)
1週間ほど前にパタリロと生姜と小夏と、土佐市のレモン山で生き別れになった。
連日心当たりのところで名前を呼びながら探したが、見つからなかった。
3日後に小夏が、小夏山にいたので連れて帰った。
しかしパタリロと生姜は帰らない。
近所から見かけたとの情報で、捜査範囲を広げたが見つからない。
3日前夕方、土佐署に電話したら、1時間ほどして高知市の小動物管理センターにいるのが二人らしいとの情報を得た。さっそく電話したが営業時間外らしい。
翌日(昨日)電話したら、管理費が7千円ほど要るというので、それを構えて引き取りに行ったら、
それは一頭当たりだという。
二頭の話をしているのに、その具体的返事が何の断りもなく一頭当たりとはどんな発想ならできる返事なのだ?
県民のことを何も考えない県行政がここにある。
佐川町の佐川町の中央西福祉保健所で事務手続きをして、そこの許可が出たら、引き渡すという。
何でワンストップで手続きができないんだ?
と思いながら1時間かけてそこに行った。
中央西福祉保健所につくと、受付で「動物の保護に関する部署の人」を呼んでもらった。
まず担当者が二人出てきた。のが気に入らなかったが、一つ目の要件を言った。
「動物が縛られる法律があればその該当個所を見せて説明してほしい」と。
一人(Aとしておく)がそれを調べに行った。
ところが、もう一人(以後Bという)が所在無げに座っている。
私はBに、責任を持って返事ができる者が一人いればいいから、早くほかの仕事をしなさいと言った。
「祖語のないように2人いる」とBはいう。
私は、「責任と決断力のある担当者が一人いれば祖語は起きないし、起きたとしても解決できるはずだ。君は不要だし他の仕事もあるだろう。県民の血税で働いているのだから、もっと時間を有効に使って仕事をはかどらせなさい。」といったが、
Bはどうのこうのごねて居座っている。
そうこうするうちに、Aが関係の法律の抜粋を持ってきた。
「動物の愛護及び管理に関する法律」
である。
そしてAが説明を始めたが、それは人が動物を飼育したり販売する時の条文だ。
私は「あなた方は、日本語が理解できるのか?」と聞いた。
二人ともわかるという。
そしてまた同じ説明を始めた。
私はまた「あなた方は、本当に!日本語が理解できるのか?」と聞いた。
いらついているから当然声もも大きくなる。
そして二人はまた同じ説明を始めようとする。
これでは前に進まない。
そこで、私の言う言葉を聞きとったように一度、メモ帳に書いてみろ。
と言って書かせた。
Aは
「動物が縛られる法律があればその該当個所を見せて説明してほしい」
と書いた。
「ではそれを声を出して読んでみろ」と私がいうと、AもBも正確に読んだ。
そこで私が、意味は分ったよね。
「ではその手続きをしてくれるか?」というと、また先程のことを繰り返そうとする。
「日本語が解ってないじゃないか?」私の声はフロアーに響き渡ったが、2-30人いる職員の誰一人サポートしようとはしない。
「君たちは「動物を飼育したり管理したりそれで商売をしている人がすべき義務」などについて説明している。」
もう一度指さしながらゆっくりメモを読んでみろ。
Aが「動物が縛られる法律」と読んだところで、
「その意味は中学生でもわかるはずだ。君が持ってきた法律のどこに動物の義務が書いてある?
そこにあるのは人の義務であって、動物の義務は一つもない。
私が言った通りの「動物の義務を明記した」法律を持ってきて説明してくれ。」
以下次号