今日は、
保護司の仕事で少年院へ行ってきました。
もちろん、
保護司には守秘義務があります。
ですから、
そこで誰と会ったのか、
何を話したのかについて、
ここに書くことはできません。
ただ、
今日あらためて感じたことがあります。
少年院に入る子たちを、
「特別に悪い子」
「自分の子どもや、身近な子どもたちとはまったく違う世界の子」
そんなふうには思わないでほしいな、と思うんです。
ぼくは、
もともと「悪い子」なんていないと思っています。
これは綺麗ごとで言っているわけではありません。
誰だって、
何かが少し違えばそうなっていたかもしれない。
そして彼らだって、
何かが少し違えばそうならなかったかもしれない。
子どもが大きく道を外してしまうまでには、
いろんな出来事や、いろんな出会いや、いろんな選択が重なっています。
だからこそ、
もうひとつ知ってほしいことがあります。
少年院を退院した子たちを、
できれば必要以上に怖がらないでいてやってほしい。
少年院を出るとき、多くの子たちは
「もう一度やり直そう」
と思って社会へ戻ってきます。
でも、本人がどれだけやり直そうと思っていても、
社会の側がずっと
「一度失敗した人」
としてしか見なければ、
その道はとても険しいものになります。
社会とのつながりを失い、孤立してしまえば、
再び非行へ戻ってしまうことだってある。
だから更生というのは、
本人ひとりだけが頑張ればいいものではないんだと思います。
ぼくたち保護司だけでもない。
もう一度社会で生きようとする人を、
社会がどう迎えるのか。
そこまで含めて「更生」なんだと思っています。
そして、今日そんなことを考えていて、
ふと思いました。
これは少年非行だけの話ではないんじゃないか、と。
テストで失敗する。
受験で失敗する。
学校へ行けなくなる。
人間関係でつまずく。
大人が思っていた道から外れてしまう。
もちろん、それぞれまったく違う問題です。
でも、ぼくには根っこのところで、
少しつながって見えることがあります。
失敗したら終わり。
一度はみ出したら戻れない。
そんな社会は、
子どもたちにとって、とても息苦しい。
失敗することが許されなければ、
やがて「何もしないこと」が一番安全な選択になります。
挑戦しなければ失敗しない。
人と関わらなければ傷つかない。
外へ出なければ、はみ出すこともない。
そんな子どもたちを育てたいわけではありません。
子どもの成長を木にたとえるなら、
芽を出したあと、ただまっすぐ上へ伸びていくことだけが
「正しい成長」ではないと思うんです。
ときどき曲がる。
弱いところもある。
うねうねしながら伸びることもある。
傷がつくこともあれば、
少し折れてしまうことだってある。
でも、そんな経験をしながら、
少しずつ太い幹になっていく。
それが本当の成長なんじゃないかな。
だったら大人がすることは、
無理やりまっすぐに伸ばすことではなくて、
折れたところに薬を塗ったり、
倒れそうなときに少し添え木をしたり、
伸びにくそうなら周りを少し整えてやったり。
そのくらいでいいのかもしれません。
ただ、ひとつだけ。
絶対に枯らさない。
その覚悟だけは、大人が持っていたい。
塾で子どもたちと接することも、
学校で子どもたちと関わることも、
不登校の子どもたちに関わることも、
地域で子どもたちを見守ることも、
そして保護司として少年たちと向き合うことも。
一見すると、全部違う活動です。
でも、ぼくの中では、
最後はいつも同じところへたどり着きます。
子どもは、何度でも育ち直せる。
曲がってもいい。
つまずいてもいい。
ときには大きく道を外してしまうことだってある。
それでも、
もう一度伸びようとしたときに、
ちゃんと陽の当たる場所が残っている社会であってほしい。
いろんな場所から子どもたちに関わっているぼくが、
いろんな視点から伝えていかなければならないのは、
きっと、こういうことなんだと思います。
かまた![]()





