(2020年9月25日)形式が完成していなければ、

学は一般的な判明性(悟性的であること)が欠損

していることになり、一見したところでは僅少な

個人の秘教的な所有物であるかのように思わせる。

というのは、学がまだやっとその概念の中に現存し、

またはそのうちなるものが現存しているだけなので、

秘教的所有物と述べたのだ。またその表出が十分に

展開されていないため、学の現存が個人的なものと

なっているので、二、三の個人と述べた。

完全に規定されたものであって初めて、公開的なものであり、

概念把握されうるものであると同時に学習され、

全ての人々の所有物になる。学が理解が容易な

(悟性的な)形式を持つことは、全ての人々に差し出され、

全ての人々にとって同等とされた学への途だ。

悟性を通って理性的知に到達するということは

学を志向する意識の当然の要求だ。