精神現象学 リライト3

2020-04-22 15:57:24

テーマ:リライト

(2020年3月6日p.25~)そういう人たちは実体の望む

醱酵に身をまかせながら、自己意識を包み隠し悟性を除去する

ことによって、自らを、眠っている間に神から知恵を授かる

神のいとし子であると思い込んでいる。だから、その人たちが

実際そういうふうに眠っている間に受胎し分娩するのも、

やはり夢だ。

 ところで、現代が誕生の時代であり、新時期になる移行の

時代であるのを見ることはべつに困難ではない。精神は、

これまでの自分の生存と考えとの世界に別れをつげ、

それを過去の中に沈めてしまおうとしており、

自己を作り直そうと努力している。精神はたしかに

安らぐこともなく、常に前進する運動を継続しようとしている。

しかし、子供の場合、長く静かに栄養をとったあとで初めて

息を吸うとき、それまではただ増して行くだけだった

前進のあのなだらかさが中断される。

2020年4月13日

p.26~
つまり質的飛躍がなされる。

そしていまここに子供が生まれてくる。

それと同様に、自己を形づくる精神も、

やおら静かに新しい形に向かって育っていく。

自分の今までの世界という建物の小部分を、

次から次へと取り壊す。だから世界が揺れ動くのは、

個々の前兆によってしか暗に示されないのだ。

現存するもののなかに蔓延している軽率と退屈、

未知のものへの定かではない予感などは、

なにか別のものが近づいているという前兆だ。

全体の様相に変化のなかったこの漸次的な瓦解は、

電光のように一気に新しい世界像をそこにすえる

日出によって、断絶される。
 しかし、この新しいものは、

たったいま生まれたばかりの子供と同じように、

まだ完全な現実を所持しているわけではない。

このことをなおざりにしないことがぜひ重要だ。

初めて登場したというだけでは、

まだやっとその新しいものが無媒介で直接的であるに過ぎず、

ただ概念であるだけだ。[2020/04/20 p.27~]土台が

置かれた時に建物が出来上がっているわけではないのと同様に、

全体という概念にたどり着いたからといっても、

それは全体そのものではない。たくましい幹と、はられた枝と、

茂った葉を持った槲の木を見たいと思っている時には、

これらのものどもの代わりに槲の実を見せられても、

納得はしない。それと同じで、精神の世界の王冠たる学は、

おしまいまでいったからといって完成しているわけではない。

新しい精神の始まりは、多様な自己形成の姿が広大な範囲で

変革された産物であり、様々に入り組んだ道の賜物であり、

また様々な緊張と努力の賜物だ。この端緒は連なり拡大した

途をたどって、自己に帰って来た全体であり、全体が生成し、

単一になった概念だ。

#精神現象学#ヘーゲル#リライト

 

 

 

精神現象学 リライト2

2020-04-22 15:56:20

テーマ:リライト

(2020年1月12日p.24~)超地上的なものだけがもっていた

明るさが、此岸的なものの意味であるとされていた

気味の悪い混乱のなかにもいっぱいになるよう努力し、

在る通りの現在のものに、経験というこの注視に関心を持ち、

意味を見つけるようになるまでには長い時間を要した

(啓蒙主義)。しかしいま必要なのはこれとは反対のことだ。

つまり人の心は地上のものと堅固に結びついているので、

人の心を、地上を超えたものまで高めるには、天国を地上に

引き下ろしたのと同様のくらい無理やりの力が必要なのだ。

精神の示す姿はあまりにも弱々しい。(2020年2月21日p.24~)

だから、砂漠を歩くさすらいの人が、ただ一杯の水を欲しがるように、

元気を取り戻すために、とにかく神的なものを少しでも体感したい

と希っているように思われる。精神がこのささやかなものに

満たされているのを見つけると、精神が失ったものがどんなに

大きなものかが推測される。

しかし、このように享受することを控え、与えることを

惜しんだりするのは、学問にはふさわしくない。誰でも、

信心だけを求める人、己の地上での生存と思想との多様な姿を

霧の中に包み込もうとし、このようなはっきりしない神の姿に

はっきりしない愉悦を求めている人は、自分がどこにそれを

見つけるか考えてみるがよい。そういう人は何かに熱狂し、

それを誇りにする方法を自分の力で簡単に見出すであろう。

だが、哲学は、信心深くあることに注意しなければならない。

(2020年3月3日p.25~)まして、学を思い切る謙遜が、

すなわち前述の感動と混濁とが、学よりも上位のものだと

主張することになったりしてはならない。そのような

予言者的な物言いは、まさに物事の中心点に立ち、

深みにいると思い込んでおり、限定(ホロス)を軽視している。

だから、わざと概念と必然から離脱する、それらは単に、

有限性の中にしか存在しない反省だと捉えるからだ。

しかし空しい広がりがあるのと同じように、空しい深さもある。

また多様を集める力を持たず、ただの力としてあり続けるような、

実質のない深度もある。そういうものは皮相なものと同じだ。

精神の力の大きさは、その外化の大きさと全く同じで、

精神の深さは、精神がその広がりの中で伸び、その中で

自己を失うことができる程度と、全く同じだ。これと同時に、

この概念のない実体的な知が己の我執を実在の中に沈めたと言い、

真摯に哲学を学んでいるとのたまうならば、そこに

隠されているのは、神に頼る代りに、節度と規定を顧みず、

あるときは己のうちに内容の偶然性を、べつのときは内容のうちに

己の恣意を任せておくということだ。

#精神現象学#ヘーゲル#リライト

 

 

 

 

 

 

 

 

      

精神現象学 リライト

2020-04-22 15:55:01

テーマ:リライト

精神現象学 リライト2019-11-09 14:57:03

テーマ:リライト

(2019/10/28 p.23~)洞察よりも信心を与えるべきだということになる。

美しいもの(シラー)、神聖なもの、永遠なもの(シェリング)、

宗教、愛など(シラー、ヘルダーリンなど)は、

喰らいつく喜びを湧き起こすのに要る餌だ。

つまり概念の把握ではなく我を忘れることが、

冷徹に進んでいく事柄の必然性ではなく、

霊感が実体の豊かさを支え、それを常に拡げるものだとされる。

(全体としてロマン主義的な、感傷的な態度をさす。)

(2019/11/09 p.23~)こういう要求に答え、感覚的なもの、

卑俗なもの、個別的なものにとどまることから人々を切り離し、

視線を星の世界に向けさせようとする努力、

はりつめて熱狂的でいら立つ努力が提示される。

人間が神的なものを完全に忘れ果て、

塵と水ごときに満足しているかのようだ。

かつて人々は広大で豊潤な思想と形象を備えた天界を認識していた。

存在するすべてのものの意味は、

自分を天国へと導いてくれる光の糸のうちにあった。

この糸をたどってまなざしは、この現在に甘んじるのをやめ、

現在を超えて神的なものに、つまり彼岸的現在の方に向けられていた。

だから、精神の目は地上のものに向けられ、

地上のものにがんじがらめになることを強いられたのである。

#精神現象学