産褥期も明けて、私自身が外に出る機会が一気に増えました。


妊娠中はずっと安静続き。

前回の事もあり、妊娠自体、必要最低限の方以外には伝えていませんでした。


だから、私が赤ちゃんを抱いている姿を見て、皆さん、とても驚いていらっしゃいました。



唯一、妊娠を伝えていた近所に住む高齢のおばあさん。

よんちゃんの時、一緒に悲しんでくれて、それ以降もずっと覚えていてくれた、元産婦人科の看護師さん。


赤ちゃんを連れて、無事に生まれたことを伝えると、両手をあげてとても喜んで下さいました。



その他のご近所の方も、涙を浮かべて喜んでくれたり、頑張ったねと言ってくれたり。


皆さん、私が死産をした時の事を覚えていてくれて、今回の件を喜んでくださって、ただのご近所さんなのに、暖かくて、本当に嬉しかったです。



子ども達の通う保育園の先生の中にも、涙を浮かべて喜んでくださる方もいました。

今まで関わりのなかった先生も、ずっと応援してくださっていたようで、喜びのお言葉をいただきました。


園長先生からはこっそりとお祝いもいただきました。

死産の時もお悔やみをいただいていたし、悲しみに暮れる私の心身を気遣って、子ども達の保育をしっかりとしてくださっていました。

今回も、安静にするため、積極的な保育を勧めてくださり、本当にありがたかった。



よんちゃんを亡くしてから、友人関係も希薄になっていました。

もちろん、今回の妊娠も殆ど伝えていませんでした。


でも、産後に連絡する機会があって、その時、ようやく、また新たな生命を授かり、無事に産むことができた事を言えることができました。


どの子も本当に喜んでくれました。


そしてどの子も、よんちゃんの事を覚えていてくれてました。

よんちゃんの話にも触れてくれて、私も嬉しかった。


なんだかやっと、また、前の様に話せるようになった気がしました。



職場の同期との集まりも、あの日以降、ずっと欠席をしていました。

でも、今回、恩師の退職祝いがあり、久しぶりにその会に出席することにしました。


数年ぶりに会う、同期。

私には同性の同期が居なくて、男性ばかりなのだけど。



会も中盤、周りの雰囲気が賑やかになってきた頃、同い年の同期が声をかけてきてくれました。


同期は私に、少し、言いにくそうに、


めち子さん、調子はどう?

元気にしていた?


と話しかけてきました。


その様子から、きっと、私が死産をしてからの事を気にしてくれているのだろうと察知しました。



そこで私も、


うん、何とかね。

実はさ、年末にまた出産したの。


と、伝えると、同期はちょっと驚いて、でも嬉しそうに、


そうなの?

良かったね!


と言ってくれました。



その中で私が、同期に、


昇任したばかりで妊娠、出産して育児休暇に入ってしまったし、職場には迷惑をかけてしまった。


と、内心、ずっと抱いていた申し訳無さを伝えたところ、彼から


そんな事は良いんだよ。

めち子さんと、旦那さんが幸せだったら、それが一番なんだよ。


と、言ってくれました。



私は、この言葉が本当に嬉しかったです。



私の職場は男性ばかりだけれど。

同期や恩師に恵まれていて。

みんな、それぞれにプロフェッショナルで。


この人達と同じ歩幅で、年数を重ねながら歩めることが嬉しい。


そしてなんだか、いろんな意味で背中を押してもらえた気がしました。





死産をした時から、本当は分かっていました。


私の周りにいる、たくさんの人達。


皆がみんな、私の事を心配してくれていることを。




でも、辛すぎて。


もう、心を閉ざしてしまって。


会えなくて。




だけど、今回の出産を通して、やっと私自身が、心の扉を再び開けることができた気がします。


そっと、ゆっくりと。



開いたその先には、暖かい優しさがいっぱいで。




いや、本当は、閉ざした扉の前にも優しさはいっぱいあった。


ちゃんと気付いていた。


でも、それさえも拒絶したくて。


閉ざしていた。




だから、私だけじゃなくて、周りに居た皆さんも、私が無事に出産したことを知ると、なんだかホッとした笑顔を見せてくれました。 



きっと皆、どう声をかけたら良いか分からなかったんだと思う。

でも、それは分かっていたから。


お互い、なんだかまた、打ち解ける事ができた気がする。




ようやく、ここまできた。


長かった。



ここまでこれて、本当に、良かった。






今日も生きていること。


これからも生き続けなくてはいけないこと。



よんちゃんが死んでしまったのは本当に悲しい。


それは今もずっと、変わらない。



でも、生きていかなくてはいけない。



私の周りにいる沢山の人々。


私が死産をした事実を知っている。


それはつまり、私には亡くなった子がいる事を知っている。



殆どの人は、よんちゃんの名前も知らないけど。


ある意味、よんちゃんがこの世に存在したした事を覚えていてくれている。



その人たちの存在に、優しさに、感謝をしながら。




これからも頑張るよ。


よんちゃん。



お母さんは、頑張るよ。