今からちょうど3年前の6月。

私は、家族みんなで大事な友達の結婚式に出席しました。

それこそ、今回、本を送ってくれたあの子です。


その時はまだ、長男、長女の二人の子どもしかいませんでした。


都心の大通りに面した素敵なレストラン。

外の騒がしさはウソのように静かでした。

中庭には、淡い色をしたたくさんの紫陽花が咲いていました。

空を見上げると、新緑が茂り、サワサワと風になびいていました。


久しぶりに会った友人。

お互いに再会を喜びました。


その時、私は彼女からこう聞かれました。


「ねぇ、子育てってどう?楽しい?」


私は答えました。 


「うん、すっごく楽しいよ。なんかね、世界が広がる。」


この時のやりとりは、今でもよく覚えています。


私は、子どもを授かってから、たくさんの経験をさせてもらいました。

楽しいことも辛いこともいっぱい、経験させてもらいました。


子育てとは名ばかりで、本当は『親育て』なんじゃないかって、思っています。


そして今回、よんちゃんが亡くなって、また新たな世界を知りました。

正直、こんな経験、したくはなかった。

世の中の多くの人は知らない世界。


辛いな。

辛すぎる。

私は一生、このまま生き続けなくてはならない。


本当に、絶望や無力感、ありとあらゆるネガティブな感情でいっぱいです。


この世界に無理矢理連れてこられた私。

それでも、一生、逃げることはできません。


なぜ、私にはこのような出来事が起きてしまったのでしょうか。


その答えもきっと、見つからないと思います。

見つけようとも思いません。

何かスピリチュアルなものにすがって、それを支えに生きようとも思いません。


ただ今は、目の前のことをしっかりと受け止めて、自分の気持ちに素直になっていよう、そう思っています。


もう二度と会えないのはすごくすごく悲しいけれど。

よんちゃんは、確かに私のお腹の中にいた。

私のかわいい子ども。

私達家族を選んでくれた。

その事実もまた、変わらないから。


ここ最近は、よんちゃんの居なくなった、血腫が痛いだけのお腹にも慣れてきました。

開けられることのない、よんちゃんのタンスを見ることも慣れてきました。


まだまだ涙はこみ上げてきます。


それでも、この悲しみと生きることにも慣れてきました。

もう本当に、ちょっとずつだけど。


先日、職場の先輩に、診断書を貰って休みを伸ばそうと思うとLINEで連絡をしました。


先輩からは「乗り越えなくていい、通りすぎなさい。」と、返事がきました。


斬新で、笑ってしまいました。


でも、いい言葉ですね。


時は、私を置き去りにして淡々と過ぎると思っていました。


でも、だからこそ、癒えるものもあるのかもしれない。


乗り越えなくてはならない壁だと思わない。


ただ、それが消え去るのを、通り過ぎていくのを、ひっそりと、待つ。


よんちゃん。

お母さんの世界はどんどん広がるよ。


悲しいけど、ちゃんとこの世界を生き続けます。

たくさんの気づきを、ありがとうね。