夜、寝る頃には「少しずつ、前向きになれたかもしれない。」と思い、眠りにつきます。
でも、朝目覚めると、胸が苦しくて苦しくて。
東側の窓に差し込む、朝の優しい木漏れ日を見ても悲しくて。
あの日から、清々しい朝など無い。
どうにか起きて、夫と子ども達を送り出し、散らかった部屋を片づけ、洗濯をし、よんちゃんの事を考える日々を送っています。
あれから1か月が過ぎたから、もう特に予定もなく。
最近は、チラホラ「出産おめでとうございます!」とか書かれたハガキやプレゼントが届きます。
妊娠中に、プレママプレゼント応募したもんなぁと思って、無心で捨てたり。
児童手当の現況届も届いて、もちろんよんちゃんの名前はないから悲しくなったり。
出かける気分にもならないし。
ボーッと、物思いにふけっています。
よんちゃんは、そろそろ妊活始めようかなぁーって時にポンと来てくれました。
正直、もうちょっと先を予定してて、タイミングずらしてたのに!この子はよっぽど早く来たかったんだねぇ〜なんて、思ってたんです。
そしたら、お空に帰るのも早くて…
これがあの子を性格で、生き様だったのかなぁ。
人は皆、いつか死を迎えます。
避けられる人なんていません。
私もいつか死にます。
よんちゃんはとても短い人生でした。
でもこれが、彼の歩み切った人生なのであれば、親としてそれを認めて、これからも接していってあげないととも思うんです。
なんか、なんて表現したらいいかわからないけど。
そうすることで、私も私の人生を、ちゃんと歩める気がします。
今を共に生きる3人の子ども達も、いつかは私たち夫婦の元を巣立ちますからね。
この悲しみの要因のひとつに、手に入らなかった幸せへの未練もあるのでは無いかと思ったりもします。
よんちゃん自身との別れ以外に。
したかったこと、やりたかったこと、たくさんあった。
4人の子どもを育てるのが夢だった。
最後のマタニティライフもゆっくり楽しみたかった。
大好きな産院で赤ちゃんと過ごしたかった。
今年度は長男も進学したから家に居たかった。
とか、言い出したらきりがない。
でも、どちらかというとこれは、私主体の希望だもんな…
私の都合。
なんか、自分が嫌なやつにさえ思える。
人生の舵は大きくきられたのに、私は、今、自分がいる目の前の景色に目を向けていないのではないか。
思い描いていた景色ばかりを想像しないで。
ちゃんと、今の景色を見て。
でもな、やっぱり難しいよ、難しい。
だって、悲しすぎるの。
胸が苦しくてたまらないの。
だって、どれもよんちゃんと一緒にしたかったんだよ。
でも、これがよんちゃんの、ひとりの人の人生。
短かったけど、人生の終わりを見届けたんです。
私は、この子の一生、最初から最後までの全てを、お腹の中で感じることができたのです。
親として、この子の生き様を認めよう。
そしてこれからも、この子のことをこちらの世界から祈り続けていこう。
私の幸せではなく、この子の人生にもっと目を向けて。
そう思えば、なんだかちょっとだけ、この現実を受け入れられるんじゃないかなぁ。
なんて。
ブログは良いですね。
思いをまとめて(乱文ですが。笑)気持ちをちょっとだけ整理できる。
たまに読み返して、乱れた自分の心を起動修正できる。
前向きになれたときの自分が、また悲しみに突き落とされた自分を救ってくれる。
あぁ、しかし難しい。
がんばって這い上がったと思っても、またすぐ胸が締め付けられて、なんにもできない私に戻ってしまうのよ。
やっぱり、あなたとの幸せいっぱいの未来を思い描いていたから。
なんかいかんなぁ、頭と心がゴチャゴチャするよ。
気持ち、整理できてんのかな…矛盾してるな。