よんちゃんが亡くなって、1か月が過ぎました。


ボロボロだった身体の痛みは、ようやく癒えつつあります。


それと反比例するかのように、気持ちは暗く。


泣くことが増えた気がする。


動けるようになって、いろんな場所に行くことも増えたからかもしれません。


お腹の中にいたよんちゃんと歩いた道。


お腹の中にいたよんちゃんと行ったお店。


過去の写真を見ては、ちょっとずつ大きくなっていった自分のお腹を見つめている。


どこに行っても「あの時はまだ生きていて、一緒に居たのに。」そう感じてしまいます。


美しい景色を見ては「よんちゃんにも見せてあげたかった。」と思う。


遠くから救急車の音が聞こえては思い出す。

よんちゃんは、この音を聞きながら旅立ったのだと。


家族5人で過ごしているとき、ふと、「一人足りない…」とリアルに感じるときもある。

よんちゃんが、生きてこの場にいたことはないにも関わらず。


皮膚が痙攣したり、ガスが動いてお腹がぴくっとしたら、胎動を感じていた頃のクセでつい、手を伸ばしてしまう。


よんちゃんの、お腹の位置を思い出す。



死産を経験してから、私はグリーフケアに関する本などを読みあさりました。


その中に、こういう言葉が。


 親を亡くすのは、過去を失うこと。


 配偶者を亡くすのは、今を失うこと。


 子を亡くすのは、未来を失うこと。


そっか、私はよんちゃんのいる未来を失ったのか。


未来は、ずーっと、続きます。

私がいつか死んでしまうまで。


苦しいなぁ。


今まで、おじいちゃんやおばさんとか、いくつかの別れを経験していました。

でも、こんなに苦しいと思ったことはありません。


未来って、明るいモノを思い描くから。

失ったモノが多すぎる。


着る主を失った、かわいいお洋服。

いつ生まれても良いようにと、キレイに中身の整とんをされた、開けられることの無い衣装ケース。

新生児用のオムツ。

4人分お揃いで買った食器も、ひとつだけ新品のまま。

飲みかけのサプリも、もう飲んだって意味がない。


子供の学校や保育園のフォロー等の計画も崩れ。

仕事ももうすぐ再開する。

 

物理的にも、精神的にも、あらゆるモノを失った。

たくさんの希望を、幸せを、失った。


もう二度と手に入らない。

今は、今しかない。

もしもまた赤ちゃんを授かったとしても、それは違う。


今まで生きてきて、それなりにいろんな辛いことがあった。

「神様は乗り越えられない試練は与えない」という。

私は、その言葉に気持ちを奮い立たせてがんばってきた。

私なら、大丈夫だと、自信を持っていた。


でもね、無理だよ。


乗り越えられる訳がない。

そんな気力もない。


もう、人前で泣くことも慣れました。


もう、乗り越えようなんて、思わなくなりました。


もう、いいんです。


悲しいから、隠さず、そのまま生きよう。


私は私のまま。


この悲しみと共に、ゆっくり生きよう。


今はそう思って日々を過ごしています。