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「はじめに」

 

 

 

 

Aくんの話の続きです。

 

地元の病院ではらちが明かず、他の病院に転院することになりました。

本格的に世界中が新型コロナウイルスに襲われてきた頃です。

 

あちこちの病院に当たってみたそうなのですが、どこもダメで

最終的に受け入れてくれたところが、新宿にある大きな病院でした。

彼にとっては不幸中の幸いだったかと思います。

 

コロナで志村けんさんが亡くなった病院でした。

 

彼の病名もさちと同様なかなか判明せず、3週間後くらいに分かりました。

大きい病院だけにコロナの受け入れやコロナの研究などに時間が

費やされてしまったそうです。

 

コロナとAくんのがんに関しては別だろうと今でも思いますが、

当時はそれだけコロナという未知の感染症に各病院が飲み込まれて

いたのだと改めて思います。

 

あとは【がん研】などの施設に細胞を送ったりしていて時間を要したのでしょう。

 

新たな入院先が決まって、僕ともうひとりの仲良しのBくんとで

お見舞いに行きました。

雪のちらつく寒い3月のことです。

 

彼は独身だからいろいろと不自由しているだろうと思って、

「何か必要なものはないか?」

と訊いたら、寝間着が欲しいと。

 

寝間着は僕の方で2着くらい買って、

Bくんは野球関係の本や雑誌を揃えて持ち込みました。

 

久し振りに再会したAくんは、顔の腫れも引いていつもの感じに戻っていて

少し安心しました。

 

A君はその後も入退院を繰り返すわけですが、タクシーを使うのも可哀想なので、

土日とかは何度か送り迎えをしました。

それが今はね、まさか自分の奥さんがそうなるとは・・・。

 

で、彼の病名は【古典的ホジキンリンパ腫】でした。