「簡単」「単純」「気軽」「手軽」にモノ申す。
言葉の力を知らずに、
ほんとの意味での言葉のエネルギーを知らずに、
安易に、安直に、短絡的に、気軽に、手軽に、表現するヒト・コトを見かけます。
若かろうが年を取っていようが、いくつでもです。
そして、コトと次第を考えずに、バカみたいなことを簡単にやってのける。
大人の責任か、子どもの知恵が増しているからか、いずれにしても、
今生きている自分たちの責任であることは確か。
まあ…そんな風に考えている人が増えてたら、
トイレットペーパーが無くなることも転売屋もいなくなるけれど。
ただ、そんな情けない気分になりながらも、自分がやることは忘れないでいようと思っています。
言葉を扱うものとして、
自分の講座生にも十分伝えてきました。
それでも、やはり私の元で習った生徒でも、
お気軽に・安直に・何も考えもせず、発し放ち扱っている人もいます。
あまりにそれが目に余るものだとしたら、どうしたらいいものか・・・
日々考える時間に頭を悩ませ
「誰かに何かを教える」
ことへの厳しさを痛感します。
やめたくなることなんて、しょっちゅうです。
まあ・・・そんなことを当の本人たちは、感じてはいないのですが…ね。
当然、頑張ってる人もいるのは事実としてあります。
例えば、
・ちょっと頑張ればできると思って、簡単な気分で霊能者を目指したい。というヒト。
(その弊害なんて考えもせず、すごい人になりたい、ただそれだけ)
・スピリチュアルをお手ごろに扱えると思っていること
(スピリチュアルは、精神性・精神世界です。一生分からないぐらいなのに。だから勉強し続けるのに)
・体のことを、安易に安直にケアできたり、接触できたりすると思っていること
(安易に安直扱われているのを、好まない人ほど、安易さ安直さ、気軽さを求めて取得する。自分はずさんに扱われることを好まないのに)
・誰かのためになりたいとか、だれかの役に立ちたい。とか言っちゃうこと
(自分と相手との間に、マウントがありませんか?)
モノもコトもヒトも対等です。
もっと伝わる表現ですれば、「同列」ってやつです。
真の捉え方ができたら、安易に・安直に・気軽に・手軽になんてできません。
まあ…といっても、そんな訴えをその個人個人に伝えるつもりなんてありません。
いじわる?いえいえ・・・自分で考えろ。です。
ただし…私は非常に不満ですがねw
そこに扱われているモノやコト、ヒトの本心が伝わってくるだけに、
非常に不満になることもありつつ、俯瞰することに精一杯なため、
時々こんな風に小爆発が出ちゃいます。
ヒトをモノ扱いしている人の魂の処遇も
モノ扱いされているヒトの心の暗がりも
雑に扱われたモノの怒りも、
そういうことがわかる役目なので、甘んじてさまざまなコトの流れを観ますが、それでも辛いものです。
わたしから怒りがわくときは、つらい時。です。
どうしても期待してしまう自分としては、
そうじゃないときは、つらさがやってきます。
だけれど、それも私が期待していることがゆえなので。
これは私自身の責任。
ただ、誰かの責任は、
自分への意識だけは、いつも「安易」「安直」「お手軽」でないことを
心掛けてもらえるように、私がやることを務めていきます。
ただ、今日はやっぱりほんの少し残念な気分でもあります。
日々是好日
徒然なるままに
ありがとう。