何にも思わない人種ではない。
一応それなりに、おそらく人以上に、さまざまなことを感じている自負はある。
ましてや、誰かの感覚がわかってしまう自分になっているから、
あたりまえに何かを感じることは多い。
人の憎悪、恨み、妬み、怒り、悲しみ、落胆、などなど・・・負の感情と呼ばれるやつは、とりわけ入ってくるもので受け取らないで見つめるだけ。という特訓は、ほんとに「死ぬほど」やった。
それでも人の本質は、その中にある。と分かっているから、ギリギリまで近づく。
そして、自分自身を浸食させてまで、何かを試みる。
まだまだそれの距離の取り方に苦戦をする。
入り込みすぎる。
そんな中にあるプラスの感情を観ることができると、それだけでどれだけも救われた気分になるから、だから私はこれをやめることはできないし、やめるつもりもない。
わたしだけじゃない、こういうことをやっている方皆さんが勝手に見られる姿だが、その方が感じているモノを拾うのだから、それ以上の苦しさになることは多々ある。
そして、それを見せないようにする努力もそれなりにしている。
なぜならば・・・ギリギリまで近づいて、それを感じようとした自分自身の責任だからだ。
今年の3.11だって例に漏れない。
先の様々な影響や、
私だってたのしみにしていたこと、できれば送り出したかったことの数々が、順々に中止になっていき、さすがに辛い一日の終わりとなった。
これも一つの自然の力である。それにかなわなかった。と言ったらそれまでだし、世論とか風習とか、時節とか環境とか。
それを加味して、私はさも分かり切ったようなことを話すことは多いが、
だからゆえに、ヒトゴトのようにとらえられて、悔しさもさみしさもないように見られることは本当に多いが・・・・
ある種、わかる分…そうしているしか立っていられない。ということも、いつか誰か知ってくれるのだろうか。と思うことは最近増えた。
知ってほしいわけではないし、いつか分かってもらおうとかいうこともない。
分かる人にはいつかわかる。
まあ、本来はみんな感じるようになれば、もう少し思いやりがあふれることは分かっているんだけれど、みんなは感じるチカラを違うことに使いたがるから。
それも、今の時代を浮き彫りにするし、そういうヒトには与えられない。ということがよくわかるし、それも気づいていかないといけない話なのかもしれない。
いずれにしても、当事者たちの思いを少しでも垣間見れる自分で、
それをどんな形であれ、諦めずに伝えていく自分でいられることに、まずはよかった。と思うし、こうやっていくことはきっとこれからも変わらない。
悔しいし辛いし、落ち込むし、泣くし、しんどい。
だけれども、時間はまた進んでいる。
落ち込んでいる暇はある。けれど、も少ししたら、そんな時間ももったいないってなるから、一旦それをかっこつけずに、ちゃんととらえて。
そこから浮上しよう。
こんな時こそ、キレイゴトじゃなく、ちゃんと生々しく受け止めよう。
私自身、最近は、早いサイクルで行ないますが、じっくり自分の状態をみつめる(内観)ことだけを試みる。ということは、実に苦しいながら、実に大切なことであります。
今だからこそ、やってみる自分でいてください。
そして、ゆっくりでいいのです、浮上しましょう。
落ちたら浮かぶしかないのだから、大丈夫。
さすがの私も、今回はいろんなことも重なり、ほんの少しダメージ大。
それでも、他の人に分かられるほどじゃない、程々で、浮上しますよ♪
日々是好日
徒然なるままに
ありがとう。