神様にかつて教えていただいたこと。

 

「誰かのせいにするのなら、自分のせいにするなら、私たちのせいにしたらよい」

 

ヒトは誰かのせい、何かのせい、何かのことのせいにしたがります。

 

あの人のせいで、

あれのせいで、

あんなことにならなければ・・・

のようなことを思ってしまうことは、よくあるかもしれません。

 

そういう方に、神様は「おやおや~」とおっしゃいます。

 

そして、

 

自分のせい、自分のモノのせい、自分が起こしたコトのせい、にしたがります。

 

自分のせいで、

自分のモノのせいで

自分がやったことのせいで、

 

自分という・・・「第3者」がいるということを忘れて、

何事もすべて自分のせいにして生きている人もいます。

 

じぶんのせいにする人に対しては、

「あなたは何様ですか?なぜ、すべて自分のせいにできるほど、何もかも持ち合わせていると思っているのですか?」

と言われます。

 

自分という存在には、「自分」という他人がいます。

 

その人のせいにすることも、誰かのせいにすることと同じです。

 

ダレのせいでもない、むしろ自分のせいでもありません。

 

 

なぜならそれは、ただ「起きた事実のみを見る」ということから避ける行為でもあるからです。

 

ただそれが起きたのです。ただそれだけです。

起きたことを見て、ちゃんと次に進むために、

だれのせいでもなく、あなた自身のせいでもなく、ただそれだけなのです。

 

 

そして、それをどうするかなのです。

 

一緒に考えていきましょう。

 

わたしの地元の村社です。

天照大神 荒魂を奉る 日本でも数少ない神社のひとつ。

この時点で、自分のへんてこりんさを知るんです。

 

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日々是好日

つれづれなるままに

 

ありがとう。