「うつり」の話をよくさせていただく一年でした。
遺伝と似ているようで、少し違います。
その本人の生きてきたそれらは、子だけでなく、次の世代にうつっていくということ。
伝染と似ているのかもしれません。
メカニズムなんて解明できませんが、
自分がやってきたことを、経験してきたことを、子供がそっくりそのまま、受け継いでいたりしませんか?
親子だから。近親者だから。
それだけで済ませていいことではなく、だからどうするのか…一年いろんな形で伝えてきました。
私は、私自身のことが子にうつっていることを、めったに体感することはできません。
ただし、この12月は、それを体感することになり、とても動揺し、
とても学んだ月でした。
あくびはうつる。
なんでだろう。
きもちもうつる
なんでだろう。
うつるって。。。体感も脳みそも、意識も記憶も、すべて連動しているもの。
そして、常にいろんなことに派生しているということ。
小5は、私によく似ている。
怖気づくことなくモノをハッキリと言い、大人に嫌がられる。
持論があり、それを曲げることは、相手の論に納得がいったとき。
やわらかい雰囲気を作れない。
弟みたいに、いつもたのしくいられない。周りをうまく盛り上げられない。
かつて、師匠に「サイコパスな子になる」と言われ、それに怯えて過ごした。
どうしよう、自分の遺伝子からサイコパス。
発達障害とサイコパス。耐えられるだろうか。
そんなことを考えていたのが、4年ほど前だ。
今では、何のことだったか?
まあそうだったとしても、誰かに聞きながら、考えていこう。
そう思える。
それでも、今月の息子たちとの交流で見えた、
長男が持っている『モノ』を少しほどくことができたこと。
これが私の今年の、いや数年間の始末になったはず・・・・。
学びと、会社、サロン、様々なことを通して、私自身がいろんなことを身につけた一年。
離婚して3年、長男が一番我慢をして、長男が一番いろんな思いを学んできた。
その中から出てきたのが、
自分の劣り。生まれてきたことはよかったのか、無価値観。
誰かに何か、いつも悪いことをしているのではないか。
そんな思いが彼の中に芽生えていたのだという。
それを、いろんな形で、吐露した小5。
ああ…私が無価値観で大きくなったから、そりゃ当然「うつる」よね・・・
ましてや、天真爛漫とまで言われる、次男となにかしらをいつも比べていたということ、
それでも、次男は兄をなんでもできるヒーローのように見ていて、
だから最近は、後追いばかりなのに、兄はなぜ好かれているのかがわからない。
なぜなら、「自分に価値がないと思っているから」
その価値を伝えるのに、毎月の一泊二日じゃ伝えきれない。
そう思っていた何かが、元夫に通じたのか、
今月は、毎週一泊二日だった。
手に余るぐらいだ、子育てできるだろうか・・・いやできるはずもない。
ただ、店をして、いろんなことをやりながらかかわる私を、魅せるしかないのである。
観察眼、よく聴いている、全身で観て、全身で聴く。
そんな彼に私ができることは、全身で自分が取り組んでいる姿を見せる事。
そういうときの見える化は大切。
物心ついた時から、お店をしている母の姿を、今月は十分に堪能していた。
遊ぶだけ、甘やかすだけ、腫れものあつかいするだけが、子育てじゃなく、
私がずっとやり続けてきたことを、魅せ続けることのほうがよほど、私たち親子らしい。
無価値観を感じさせないことは、当たり前に仕事の空間に子供らを置くことも、一つ。
いてもいいのだ、というより空気のようにいられる彼らのすごさを、
改めて、私も感じたし、感謝が生まれる。
この子らのこういう姿があったから、私は8年お店を続けてこられた。
私が自分を無価値だと思わなくなることが、いらないうつりを断つ一番の方法だ。
そんなことをまた子供から教わった、師走最後のころ。
日々是好日。
つれづれなるままに
ありがとう。
未来って、すごい!!