わたしができること。
その人から出る「想念」が読めること。
中身じゃなく、どんな想いで相手に放っているかを、読めるチカラ。
という方が分かりやすいかな・・・。
百人一首が好きな子どもでした。
過去の人たちがどんな気持ちで、句を詠んでいたのかl、
いつも興味深く国語便覧を開く子どもでした。
#近江勧学館にて
持統天皇の句が好きです。
想念って・・・・?
心に考え思うこと。心に浮かぶ思い。考え。思想。
心に思い描くものに注ぐ「感情」「意識のエネルギー」のことを指します。
「今の心」
「相手を想う心」
と書きます。
スピリチュアル的に、想念とか念とかって、良くない使い方をする人が多いです。
良くないもの、
良くない思い
使うと呪われる
自分に返ってくる
そんな想いが多く出ると感じます。
それを強く意識して、ちゃんと捉えて、良くない使い方をしない努力をする人もいます。
とてもいい心がけだと思います。
ただし、自分の中に「なにか」を溜めながらだと、無意味に近くなる。
その「なにか」にも
「想い」「エネルギー」がこもっています。
想う事も口にすることも行動することも同じエネルギーなら、
もし、誰かの不幸を強く想ったとき、相手に大きな攻撃性のあるエネルギーを送りつけています。
わたしに何かチカラがあるとしたら、
”その「なにか」を読み解くことができる。”
という、ものです。
いつもやるわけじゃないです。
そんなに人の何かを読み解き続けるほど、暇ではないので、
いつもだと思わないでください。
ただし、こちらが読む気はないけれど、否応なく読めてしまうことは、在ります。
その人の中にある「想念の強さ」を感じたときです。
いろんな意味で、なにかを誰かを、強く強く想う心がある場合は、
それを感じ取ります。
俗にいう、良いことも、悪いことも。
外でいい顔して、中身ドロドロのヒトは、よくお見掛けします。
そんなの、あなただけじゃないし、むしろそれに気づいたあなたは、そうじゃないかもしれない。
「私は大丈夫だ」なんて思っているヒトの方が危うい、想念を持っていたりします。
もうすでに自分の変調に出ているのに、気づかずに、そのままやり過ごしている、可能性すらある。
見るに見かねるときは、言います。
「早死にするよ」
とか
「子どもに影響するよ」
とか
「気を付けていた方がいいよ」
とか
「考え方を変えてみようよ」
とか・・・・
どんなに嫌がられようと、伝えるのが私の役割。
なかなか損なもんです。伝えると、ヒトが離れることが、多々あるのでw
別にこちらは何の得もしないのに・・・ですw
それでも、関わった人たちが
自分のその関係者の人生を、
ココロから平和に、豊かに過ごしていただくために、
わたしは想念が分かって伝える役回りなのだから、
それはわかりえる間は伝え続けます。
できるなら、人に対しての否定的な想いがでたら、
キレイゴトじゃなく、自分の中でその否定的な想いを自分自身で受け止めて、なんでそれが湧いたのか感じましょう。
そうすると、誰かにそれを送り込むことなく自分で解決させていけたりします。
すこしずつですが、誰かへの想念を、自分の納得がいくもので送ることができていきます。
愛を持って生きる。
わたしはその人のすべてを丸裸で見る。
というわけじゃなく、
そのヒトが放っている、想念を眺めつつ、
解読していくことが多いです。
そういう想念を眺めつつ、
文字、感覚、ことば、行動、映像、画像、何もしない。
さまざまで読めちゃうので、
それらを眺めつつ、
今日もいろんなことを想います。
あなたの想念が、あなたが受けている想念が、
お互いに気持ちのいいもので、生き来する毎日でありますように。
日々是好日
徒然なるままに
ありがとう。