ナツワークが終わり、週末は、また一つ学ぶ時間、経営を考える時間に明け暮れる。
やるべきことをやるために。
行動するために、なにかの教えを乞う。
携わっている子どもたちは、みんなこの想いが強い。
むしろ大人の方が、よそ見をするのかもしれない。
歳を重ねるごとに、弱気になり、恥をかきたくないがために、自分の限界を決め、体のいい言い訳をして避ける。
どこにもいる、オトナの良くない姿。
自分一人が何をしても、何の変化も起きないことだってある。
それでも、わたしに触発されて子どもたちが動き出すさまを見て、
なんで、そんな逃げ方ができるというのだろうか・・・。
それは、全く私の信念に沿わないし、
自分として。なんてどこにもない。
怖いことだらけだ、いくら子どもたちがキラキラした顔で質問してくれても、知らないモノをちゃんと「知らないから、調べるね」
とすら言えない大人だって多い。
そりゃそうだ、オトナは知っているもんだと思って、子どもは聞いてくる。
当然、期待にこたえたい思いだって出てくるだろう。
それでも、しっかり調べて、しっかりその子たちが安心する状態を作ることの方が、自分のつまらないプライドを保つより大切である。
ただし、「知らない」とそっぽ向くオトナであってはいけない。
いつでも、学びを深められる自分たちでいたいものだ。
その姿を、子どもたちは見ている。
魅せよう、自分たちの在り方を。
徒然なるままに
ありがとう。
日々是好日。