いまのソコがあなたの場所?
ねえ・・・それ、ほんと?
I'm sorry I'm alive
(生きていてごめんなさい)
そんな口癖の人がいます。
なんで生きているのだろう。
いつもそんな風に考えていました。
生きていたくないのではなく、
生きている理由が欲しくて、そんな問いを欲しいのだと思っていました。
ただ生きたい、それだけなのに、いつの間にか人生で、「理由」を追求してしまったのです。
その問いに、いつも考えて、出る答えは、大したカッコイイものじゃないけれど、生きるためのことを、伝えました。
それでも、それでも、自分の居場所ができても、今度はその居場所にいることに悩みまた、「生きるとは何か?」を考えます。
そしたらまた、生きることを、居場所を考えます。
居場所の追究です。
どう在るべきか、どうしたらいいか、を共に考えます。
だって、「居場所」が。
本当に身を委ねられる居場所が欲しいのだから。
生きること、居場所探し、ずっとそれを考え続ける人生になるのです。
答えは出ている、それでもまだ納得いかないのなら、一生探すのです。
生きたい。を認めて、次に動き出すしかないんです。
あなたのことを理解しているのは、あなたしかいない。
あなたのことを分かっている。というヒトは、
「理解の誤解」をしているだけです。
その「理解の誤解」を生まれさせたのも自分。
だけど、勝手に「理解の誤解」をしているヒトもいます。
「生きたい」と向き合いましょう。
「居場所が欲しい」と訴えましょう。
その相手と共にという想いが通じれば、そこに「理解の誤解」はうまれません。
すこしでも「理解の誤解」が生まれているようであれば、
残念ながら、どちらかのまたは、どちらか共の、
「自己都合と自己解釈や歪曲…省略や思い込み決め付け」
が発生しています。(↑私の恩師の口癖w)
それが出ているとちゃんと感じたなら、
自分のために、
大切な相手のために、それを修正しましょう。
今のままでいてもいいことない。ということを、して、
自分の首を絞めてしまう前に、
自分を信じて、相手を信じて、あなたを信じている誰かを信じて、
I'm sorry I'm alive
(生きていてごめんなさい)
ではなく、
I'm glad you're alive
生きてて嬉しい
に変えましょう。
日々是好日
徒然なるままに
ありがとう。