私の感覚について・・・

 

参拝の色々を載せると聞いていただくこと。

『視えること』についての現状。

 

霊感は、五感で感じることが多いと思っている。

私の現状・・・。

 

触覚・・・

背後に立たれる感じ。や自分の体に入ってくる不快感。

すれ違いざまに、なにかに触れたような感覚。

霊的、ガイド、かみさまなどなどで、感覚が異なるが、触れた気がする。 

というのには、変わりないことが多い。

体が重くなる、軽くなる。もその不随だろうか。

 

味覚・・・

何かをいただくことはないが、口の中になんとも言えない味が広がることが多い。

たとえば、血の味とか。苦い味がすること。

時に、口の中にお酒の味が広がることもある。

 

視覚・・・

目ではない、眼で見ること・視ることが多い。

肉眼のように見える。のとは全く違う。

頭頂部、前頭葉にみえたような気がする。

というのが当てはまるが、おでこで見ているというのが例えやすい。

映像とか、メッセージとか、文字とか、映像とかは、その都度私の背後に映し出されることが多い。

後頭部よりもっと先に、映写機があるような…そんな感覚。

後は、文字から出てくるメッセージを読むため。

水色のボールペンを使う理由は、単純に霊視しやすいから。

 

 

聴覚・・・

もちろん、耳から聞こえるのとはちがう。

どこかも後ろからの音を感じ取っている感覚。

聞くとき、視るときは、目を閉じることが多いが、それは通常の目と耳の感覚を取り去った方が聞こえる感覚が大きい。

 

嗅覚・・・匂いは、鼻から入ってくる気がする。

脳や前頭前野の活動だったりもするのだろうが、

さまざまなにおいが鼻にまとわりつく。


当然、鼻もムズムズするし、不快になることもある。

変わった香りがきた気もするし、カビのような香りがすることもある。


それは、どこからくるのだろうか。そんな風に考えて対応することは、多い。



わたしの霊感とか、霊視とかは、

今はバランスで育んでる。

ぬきんでる感じはもう無いが、

広く多角的に判断するために、全ての感覚を使うことが多い。


ONE PIECEでいうところの、

「見聞色の覇気」を使えるようになるのが理想。だろうか…。


 

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五の感覚が整って、始めて六感が出始める。

もっと不思議な、もっと変わったことは、たくさん発生する。


皆さんは、俗に言うそれに羨ましさなどを見いだしたりしますが、

五感を磨く努力と、六感が発生した時でも、動じない覚悟。みたいなことも必要になるので、

ないほうがいいよ。とスピリチュアリストが言うのは、わたしもそう思います。


それでも、六感を磨いてみたい場合は、

天性の感覚がなくてもできると思います。

現にわたしも、途中からの覚醒だから。


ただし、六感にたどり着いた場合は、速やかに動かないといけない。という事例も発生する。

多分止まることが許されなくなる。



バランス型になって、さまざまな精度が上がったのはもちろんだが、

人はやはり何かで、ぬきんでたいもので、

時折、自分の才能の無さに呆れ返ることすら、ある。


それでも、自分自身を信じる力。として、自信と勇気を持って、活かしていくために、できることを考えたい。と思うようになった。


あなたが何かの感覚で困ってる場合は、いつでも相談に来て欲しい。

バランスよく扱えたら、きっとそんなに人生困らない。


だから、その術は、きっと教えられるから。



また堅苦しい話だったかな笑笑



日々是好日。

徒然なるままに、ありがとう。


まゆでした。