点描曼荼羅

というのをやってみた。

全て点で描く。

絵の苦手なわたしが、

しかも細かいことが苦手なわたしの作品。

 

初めてにしちゃ、なかなかいけてる。 

 

 

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もっと意地を捨ててみることにした。

 

今日会えた人に、明日会えないかもしれない。

そんなことは、いつも思っているけれど。

 

最近は、また少し違う意地が付いてきた。

 

いやしあんだから、

ポリアモリーだから、

経験豊富だから、

法人化にするから、

子供手放してるから、

神さまの遣いだから、

 

いろんな理由が意地となって、積み重なった。

 

人として、そんなに

なに一つ変わっちゃいないのに、

偉そうになってきてる自分に、

我ながら、辟易するんです。

 

でも、やれてない人を見ると、もっと辟易する。

 

やれてないのに、何言ってんだ?

 

とか、

 

偉そうに。

 

とか、

 

いっちょまえに、思うこともありますし、

 

人気がすごく欲しい。とは違うし、

 

言ってることが違うと、

なんだかなー。と思うけど、

 

どれも、答えもなけりゃ、発言も自由だし、

 

なにをやっていようと、

本来は、自由なのだろう。

 

そこに照準を当ててるのは、わたしで、

実にくだらないことをしてるのも、わたし笑笑

 

 

自分も含めた現状を冷静に把握するということこそ、

物事を治めるための理解のはじめとなる。

そして、気にする必要のないことを、

気にしないでいられる認識を手に入れられる。

 

 

気にする必要のないことが気になってしまう認識の時には、

何か、不安や嫌な予感となってしまうような、古い物や人や場と、関係や時間を持っている状態。

 

 

そうそう・・・わたしは、いつもなんのことないときに、

揺り戻しを起こしてしまい、必要のない過去にさかのぼる。

 

何のことないときに・・・であるw

 

だから、少し、また一つ意地を捨ててみる覚悟を決めるのである。

意地になってフォローを外さずに、いつも頭の中に駆け巡ってしまってた相手を、外してみて、なんだかかなりホッとする。

 

相手にする必要もないことを、相手にしている、わが愚かさよw

 

期待をかけすぎて、過剰になった。

ということをやめてみる決意。

たとえ、自分を含めて、何か言われようと、

私自身の責任の部分と、相手本人の責任の部分が、

重なることはないはずで。

重ねたかったのは、私自身のエゴ。

 

そういうのを少しずつ味わって、意地を開放する事に、少し励んでみようと。

 

そんなこんなで・・・意地の話でした。

持っている意地、それは必要か不要か、考えることも大事。

 

つれづれなるままに・・・・まゆでした。

ありがとうございます。