3月
震災時の帰省後
いつもなら
夏に家族で帰省するのですが、
その年は両親より「来ないほうがいい」
と言われ
その通りにしました。
「来ないほうがいい」には
いろいろな理由があった事でしょう。
ただ、
帰省はできませんでしたが
震災後は
ツイッターで
毎日の状況がツイートされ
地元のことが
震災前よりも
よくわかるようになりました。
そして
震災後初めて家族で帰省したのが
12月下旬。
この帰省は
とても印象に残るものでした。
3月の時は
もちろん大きな変化を見たのですが、
この12月も
3月からの大きな変化を感じました。
3月の帰省時には
北上~遠野~釜石ルートでしたが
この時は
一関~陸前高田~釜石ルートで
帰りました。
「陸前高田市」は
近しい親戚も友達も居ないのですが
少し
思い出の少なくない所でして、
そのことは記事を改めて
また書きたいと思います。
陸前高田市に入って
はじめに思ったのが
津波の遡上範囲でした。
「え?こんなところまで!」
という驚き
大槌でも釜石(鵜住居)でも
遡上高には驚愕しましたが、
陸前高田市の場合
地形による先入観念が
その驚きを大きくしました。
陸前高田市を山側から海側に通る際
道路の起伏は
このようになります
小高い丘の部分は
平野部の奥にあたり、
今度の津波といえども
ここを乗り越えることはないでしょう。
ところが
この丘の手前部分にも津波の被害があり
非常に驚きました。
しかし
よく見てみますと
近くに川があり、
もしやと思い
俯瞰図を見てみました
見ての通り
津波の到達する可能性がある場所だということがわかりました。
その丘を過ぎ、
丘を越えてからの
眼前に広がる光景に
また衝撃を受けます
震災から8ヶ月が経ち
瓦礫は整理されていましたが
広大な土地に何もない…
普通
この規模の広さならば
草木が生い茂ったり
田んぼや畑があったり
建物があったりするわけですが
砂ぼこりの舞う広大な土地にあるのは
重機とトラックと
積み上げられた瓦礫のみ。
以前
家屋のひしめき合っていたこの土地を
知っている者としては
かなりへこんでしまう情景でした。
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