続きです。

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帰りは仙台まで沿岸部を回って帰ろう

ということになりました。

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リアス式海岸の道路は

くねくねしており
登り下りが激しい。

今でこそ真っ直ぐな道路も出来つつありますが…


そういった道路状況ですので


山を登ってくねくね

下っては海岸

登ってはくねくね

下っては海岸

の連続となります。


そして
下って海岸ごとに
瓦礫の山が…

この瓦礫の山が
本当にいくつあったのか、
数えきれないほどでした。


大槌から釜石へ

釜石は鵜住居地区など
海に面した地区はとても大きな被害を受けていました。

広い土地のある地区は
鉄筋の建物を残し
更地のようになっており、

狭い地区は
なにも無くなり
瓦礫だけが積み上げられていました。


更に南下し

新しい道路は大船渡市の山側を抜け

陸前高田市に入ります。


陸前高田市も
広大な更地に鉄筋の建物が残り
瓦礫が寄せられています

いつも
この道の駅で
お土産のかもめの玉子を買っていました


奇跡の一本松の所では
ボランティアと思われる団体の方々が
おられました。


更に南下

陸前高田市より南は
車で何度か通った程度で
もともとの様子がわかりません。

ボランティアで
初めて訪れる場所というのは
このように見えるのかなと
感じました。



気仙沼を通ると

かなり以前に撤去されましたが

大きな船。

テレビでは見ていましが
実物の信号機と並ぶ様は異様でした。

更に南下し

南三陸町を通り

女川に入りました。


この帰路で
女川はとても印象が強かったように思います。

やはり
なにも無い更地に
砂ぼこりがたち、
鉄筋の建物すらほとんどありませんでした。

一階建てのコンクリートの建物が倒れており

小さな建物だからかと思っていたら
二階建ての鉄筋と思われる建物までも
倒れていました。

女川に押し寄せた津波の力は
どれ程のものだったのか
想像を絶します。

その後
仙台から東北道に入り
宇都宮へ帰ったのですが、

しばらくは
道すがら
土木関連の盛ってある土砂を見ると
無数の瓦礫の山のイメージと重なり
ドキッとしました。



この帰路は

車で
走っても走っても
大きな被害

なんとも形容のし難い気持ちになりました

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キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ


たまにはテーマで書いてみようかと



キラキラキラキラキラキラキラキラ


ブログを書き始めたのは

いつだったか…


覚えてない(^_^;)



ブログも

どこの運営だったか…


当時は

FBもTwitterもInstagramもLINEも無かったのかな?


そっか


まだガラケーでしたね。



同じ町に住むブロガーさんの食べログを訪問したり

自分は他愛もないことを書いていたと思います。



その後

ライブドアブログに行きまして、


けっこう

批判的な事や生意気な事を書いていたような気がします(^_^;)


そして

以前は

auでブログサービスをしていた期間がありまして

auを使っていたので

サービス終了までauブログでした。


今、wikiったところ

2005年開始となっていましたので

auで3~4年書いたのでしょうか。



auのブログサービスが終わり、


どこが良いかと模索し

安定というか片手間じゃないところというか

そういう所を考慮し


アメブロさんになりました。


過去を見ると


それが2010年11月のようです。


ということは

アメブロさんで8年。

早いですねー


以前は

ほぼ毎日書いていたのですが

だんだん

年齢と共に自己顕示欲も薄れ

今は

月数回の記事更新になってしまいました(^_^;)


肝心の

演奏お知らせや

報告もアップしていない始末(^_^;)



これを期に


週1アップくらい書ければと


いま、思いました(^-^)


よろしくお願いいたします_(._.)_(^-^)



以上!


んでば!(^-^)










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