過去に起こった出来事は変えられない。
どんなに変えたくても。



タイムマシーン?
存在しない。
瞬間移動?
過去ではない。むしろ今。
(今、というのには語弊がある、
そもそも地球が自転している時点でなんちゃらかんちゃら宇宙からみたら地球は時速1670kmの早さで自転しており、なんちゃらかんちゃら。仮にもし瞬間的に移動したとしたらば1670kmの風速て飛ばされるからしてなんちゃらかんちゃら。瞬間移動どころではない。)どした???



過去の嫌な出来事にとらわれてると
その出来事を「今」にも
持ち込んでる場合が多いと思う。
それって結構辛い。



過去に執着すると、
ココロやばたん。(語彙力






嫌な過去、辛い過去を
一生懸命のりこえて・・・


とかドラマチック美談だけど
正直しんどいと思う、実際。


のりこえられたらいいけど、
のりこえられなかったら、、、
更に辛い過去が増えるだけだよね。笑
結果論だ。





だったらさ、



過去を
変えてしまえばいいじゃない

自分の中で。




過去起きた嫌な出来事も辛かった出来事も
捉え方によって認識を変えられる。


忘れもしない小学校の音楽の時間。



歌をひとりずつ歌うテストがあり
私は真面目に取り組んでいた。
緊張しつつも頑張って歌っていた。



だが、先生は怪訝な顔をして
こちらを見ているのである。
私を見ているのである。



あれ?何か間違えたかな?
不安になった。



その時、自分では気づいていなかったが
私は、音痴であったのだ。
そのためか音楽の成績もよくなかった。



そのことを知らされた時は
物凄くショックでわりと辛かった。
恥ずかしいし、自分が惨めに思えた。
もう人前で歌など歌うもんか
と固く心に誓った。



そして、私は人前で歌を歌ってはいけない
という謎の観念が出来上がっていた。



それでも、まあ、生きていると
いろんな人に遭遇する。
いろんな人に遭遇すると自分の観念が
いかにただの思い込みかに気付かされる。



歌が下手な人など無数にいるのだ。
音痴でも楽しそうに堂々と歌っている人が
この世に存在するのだ。
驚いた。



そうか。
音痴は、ひとつの個性だ。


音痴で恥ずかしい?
ばかを言え。




むしろ、

音痴は
才能である。




きっと、
その先生にはそれがわからなかったんだな。



頑張って習得できるものではない。
(したくは、ない



さらけ出してしまえばいいじゃない。
さらけ出したら稼げるかもよ。お願い
オードリーの若林くんを
ぜひ見習っていただきたい。



音楽の成績は悪かったが、
音痴で損したことなど一度もない。
むしろ音痴を理由にして成績が悪かった
と自分で決めていただけで、
実際は他の理由だったかもしれない。











過去なんてさ
関係なくない?ヽ(・∀・)ノ
なんなんだ、過去って。知ーらね。
過去は過去でしかない。
もう二度と戻れないのだから。



今でしょ!



過去を自分の中かでどう捉えるか?
ノートとペンだな。
地道な作業だと思う。



もちろん、
出来ないときもあるだろう。
思い出したくもないくらい辛いなら
そのままでいい。



ただ、、、
嫌な過去、辛い過去にとらわれてる時間って
自分が辛くないかな?
物事に億劫になる原因にもなる。
声を大にして歌えないぞ。
岡崎体育、歌えないぞ。



過去こうだったから
今もきっとこうなるだろう
なんてただの勝手な思い込み。



どうせ過去なんて
いくらでも改ざん出来るんだから
自分の「今」のために
都合よく解釈してしまえ。
都合よく書き換えてしまえ。