私は上司の前で号泣したことがある。
辛くて辛くて仕方なかった。
限界だった。
人前で泣くなんてみっともない
人前で泣いたら迷惑をかけてしまう
そう思っていたが、我慢出来なかった。
そんな私を前に上司は否定も肯定もせず
「うん、うん。」
と私の話を聞いてくれた。
「うん、うん。」
とただただ私の話を聞いてくれた。
「うん、うん。」
と何も言わず私の話を聞いてくれた。
私が泣き止むまで傍にいてくれた。
救われた。
安心した。
嬉しかった。
ずっとずっと親にしてもらいたいことだった
私の親は人の話が聞けない。
子どもに寄り添うことができない。
話を聞いてほしくても
否定されるか解決策を出されるか、
話をすり替えられるか、なのだ。
「そんなこと言ってどうするの?」
「みんな大変なんだから」
「こうこうこうしなさい」
「ポジティブに捉えるしかないでしょ」
「大丈夫だよ(謎の放置)」
「考えすぎ。めんどくさい。」
「私だって忙しいの」
「あんたの話聞いてる暇はない」
「誰が家事やってくれるのよ!!」
「お父さんも仕事で大変でさ、わかってくれるよな?」
何なのこいつら・・・
私はただ話を聞いて欲しかっただけなのに。
今は、私の話を聞いてほしい、
と言っているのに。
それが私の(子どもの)安心に繋がるんだよ。
あ、私を受け止めてくれる
って安心したいんだよ、子どもは。
次第に私は親に話さなくなった。
どうせ嫌な思いするだけだもん。
心閉ざした。
辛かったなー。
ココロ、死んでた。
今はさ、理解できるんだ。
なぜなのか、理解は出来る。
私の親には難しかったんだと思う。
悪気はなく、出来なかったんだと思う。
親自身が満たされていなくて
不安で未熟だったんだろう。
それは仕方ない。
誰のせいでもない。
だが私の心は泣いていた。
だから話を聞いてくれる人がいることで
救われた。
解決策がほしいんじゃない。
私は受け止めて欲しかったんだ。
安心したかったんだ。
そういう人が近くにいることが
とても有難い。
そういう人を見つけられた自分。
変わってきたな、と感じる。