昨年も大変お世話になりました。
今年も宜しくお願い致します❣️
丑年
牛の絵本と言ったら
もう
愛おしいこの絵本です。
この牛の名前は
ふぇるじなんど と
ひらがなで綴られています。
フェルジナンド
ではなく
柔らかいのです。
温和なんです。
こんなに筋肉隆々だけど。
黒のペン🖋だけで描かれた
モノクロ絵本ですが
ものすごく絵が語ります。
もう
シルエットだけで
笑わせてくるのです。
海外の絵本だけど
挿絵の豊かさが
落語な感じです。
初めての子育てで
追詰まっている私に
少しだけ登場する
ふぇるじなんど のお母さんが
にっこり
お手本を示してくれました。
うっとりするような
おおらかなお母さんです。
読んでいて印象に残るのが
うしとはいうものの
よく もののわかった
お母さんでしたので
ふぇるじなんどの すきなように
しておいて やりました。
なかなか難しいです。
だから
よく もののわかった お母さん
なんですよね。
このお母さんのように
「あなたが寂しくないのなら
みんなと一緒でなくてはいいのよ」
とは当時は思えなくて。
ふぇるじなんど のように
ガタイはいいのに
人の中に入るのを怯えて嫌がる息子が
心配でなりませんでした。
息子とふぇるじなんどと違うのは
ふぇるじなんどは
突き抜けたマイペース
息子は怯えて怯えて
しがみついて私から離れないのです。
だけどガタイがすごいんです。
すごく食べるから
相撲部屋に紹介してあげようか?
と言われたこともあるのです。
あゝ
これもふぇるじなんど と似ていることに
今気づきました。
ふぇるじなんども
闘牛にスカウトされてしまうのです。
温和なのに。
温和で慎重な息子は
歩けるはずなのに
ずっとハイハイしている子で
歩行器に入れてみたら
歩行器を持って歩く慎重ぶり。
歩き出しても
急ぐ時はハイハイで移動。
だから
筋肉隆々の赤ちゃんになったのです。
幼稚園でやっていけるのだろうか
入園の日が近づくにつれて
たまらなくなる私。
幼稚園バスを見て
「子どもだけで乗せられてるやんか泣」
と震え上がる息子。
当然この世の終わりのように
ふぇるじなんどが
闘牛場に連れていかれるように
先生に抱き抱えられ
大号泣でバスに。
私も泣けてきました。
しばらく
何かにつけて
緊張しまくるので
繊細な息子が心配でたまらなくて
あんまり小さなことでも怯えまくるので
くたびれてキレてしまったことも。
ごめんね。
永遠にそれが続くような気がして
不安でたまらなかったけど
怯えたり
緊張する以上に
ふぇるじなんどのように
独特なペースで逞しく生きるように
なりました。
「お母ちゃんお母ちゃん」
「抱っこしてちょうだいよ」と
抱っこをせがんでくれたのも
数年のこと
私が
18歳から
離れて暮らす息子や娘が
帰ってくるのを待つようになりました。
おさるのジョージのように
いたずら好きの娘も
今年は大晦日は下宿先で過ごし
年明けに帰ってくる予定。
息子は
年明け出張の時に帰るわ と。
二人とも
それぞれの場所で
楽しみ
がんばっています。
「ほらね
大丈夫でしょ?」と
ふぇるじなんど のお母さんの
声が聞こえてきそうです。
「はい
ちゃんと
自分と闘う逞しい子達に育ちました」
と答えながら
一年に何日かだけ会える日に
何を食べさそうか
と考える私を
にっこり笑ってくれる
ふぇるじなんどお母さんと
絵本の中で
懐かしく再会しています。
息子が小さい時はまだ
「男の子だから 女の子だから」
の言葉が飛び交い
息子の温和さや繊細さを
馬鹿にする人や
ピンクを選ぶ息子に
ブルーを勧められる先生
やんちゃさや
腕白さこそ
男の子
というムードが強くてしんどかったです。
「腕白でもいい 逞しく育ってほしい」
の古いハムのコマーシャルの影響が強く
苦しんだお父さんお母さんが
結構いたみたいです。
男の子の中の繊細さも
女の子の中の逞しさはもちろん
男の子だから
女の子だから
ではなく
その子のしっくりとくる生き方を
と紅白歌合戦の
紅組
白組
も違和感を感じます。
ふぇるじなんどのような
少数派や
子ども達
一人ひとりの気持ちが大切にされるように
ふぇるじなんどのお母さんのような人が
沢山いるといいなぁ。
ふぇるじなんどとの再会を綴るつもりが
ふぇるじなんどのお母さんとの
再会と
皆さんへのご紹介となってしまいました。
心和むいい絵本です。
今年も
絵本の中の
魅力的な登場人物のエピソードを
読みあえたらしあわせです。
宜しくお願い致します。
今年も声かけあって
朗らかに機嫌よく過ごしましょう!
大人も子どもも機嫌よく
朗らかに過ごせるといいなぁ