ごきげんよう。


川岸治療院院長 川岸先生の講座の日を
終えました。


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参加者の皆さんとお会いして
進めていきます と伺っていたので

私は 楽しみでなりませんでした。


まず「美容」という言葉を
美 と
という二つの言葉に分け 考える事から
始まりました。

美 が
付けたり
引き上げたり
削ったり…する事
何より時代やそれぞれの価値観によって
捉え方はそれぞれである事



容 は字のように
谷の様に掘った器に入れていく
器にアプローチする事である。

その器の中に血が流れ筋肉があり
臓器が働いている。

容 容姿を維持しようとするなら
その事を考えないといけない。

それを捉える考え方も必要であることを
話して下さいました。


例えば
怒ると右の肩が上がってくるのは
右に肝臓があるから

同じ症状を抱えた患者さんの
考え方による違いをあげ
年齢がすべてではない

という例を挙げながら
容 を保つには 程よく自己中心であること
度が過ぎると人が離れていきますよね。

自分に向きあうことは
結果 自分を大切にする という事になります。

自分をないがしろにしていると
無理が出てきます。

バランスを取るのが自分のため。

この考え方が
私がようやく辿り着き
ブログの中で 皆さんと語り合い
言葉を紡ぎあった

自分のご機嫌は自分でとる
機嫌のいい自分でいること

読者さん、マレーシアのさくらさんの言葉を借りるなら
家族の幸せにも影響するのなら
それも自分の責任 という事になるのでしょう。
(マレーシアで紡ぎたい ♡ひとひらの幸せ  幸せの連鎖 )




講座の中盤にかけて
実際に体を動かしていきました。



お話されながら川岸先生は
受講者の方を望診されているので
3つのタイプにグループ分けされ

お互いを見ながら体の動きや姿勢を
見ていきます。


体は漠然と動かしていてもダメだと
ご指導を受けながら
体を動かしその変化を感じていきました。


自分で痛みや引きつり、こわばりを
どこに どちら側に感じるのか
寝転んでみた時 腰の下にどれ位
隙間ができるのか
どちら側の方が隙間がたくさんできるのか
など

自分の体
自身に向き合っていきます。


しばらくチェックしていただきながら
体を動かした後
変化をみていただくと…。


「隙間が小さくなった‼︎」と
受講者の方が
ものすごく明るい表情で 思わず。

いいお顔でしたね〜。


なかなか気づきにくい
顔色の変化なども指摘して下さいました。

パートナーとチェックしながら
正しい姿勢の基準と普段の姿勢との
違いも実感されていました。


体と向き合うことを通して
自分自身と向き合うこと

それにも時がある
その人の時がある

の言葉がとても胸に残り
それが私だけではなかったことも
嬉しい事でした。


自分の問題として
自分と向き合う…。

治療院のぶろぐ より講座の様子ご覧になれます。


私 こんな絵本知ってる…と絵本が浮かびます。


前々回のブログでご紹介した
まだ日の浅い絵本ですが

読み返してみると
という言葉をたくさん使っていました。


このブログの中では
あなをほる 主人公ひろしの ありよう
回りの人の ありよう
を見つめて
時期
という 読み方であったように思います。




そして私自身受講して
川岸先生と講座を振り返り

川岸先生の皆さんの講座の感想の受けとめ方が
大変勉強になりました。

それを踏まえて
この絵本を読むと


また新しい読みと なりました。

自分と向きあうことは
あなをほるような
谷のようなあなをほる事なのでは
と改めて思いました。

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妹に
     「わたしにも ほらせて」
と言われても

      「だめ」

と 断れる。
普段は ついつい譲ってしまう
ひろしなのかなぁ と思わず深読み。

私が
いや 
だめ
したくない
と 言うのが苦手だったからかもしれません。

しっかり講座の中で
その考え方をするグループに入ってました。
右の背中に 盛りあがりがあるグループです。



グローブを持った友達のしゅうじくんに

     「なにをするんだい このあな」と
聞かれても
      「さあね」と掘り続けます。


汗だくだくになりながら
 ほった あなにすわり


      「これは ぼくの あな」

妹やしょうじ君に

      「おいけに しよう」
       「おとしあなに するのかい」

と 言われても。



前回のブログでは
あなをほる時がある

と書きましたが

自分自身と向きあい
あなをほる事は
必要な事

そうしなければ 突破できないものなのでは

自分のあなは 自分でしかほれない。

人にほってもらうのでも
人のあなを ほりにいくのも違っていて

親子であっても
わが子のあなは ほれない。

わが子の問題でとしてではなく
自分は どう ほれるのだろうと
自分に引き寄せて
向きあうことで見えてくるものがあるのでは

と やっと私にこの絵本を読める時が
きたな と思っています。


今日は こんな物語となりました。

何かと何かが繋がるって
気持ちがいいです。

あ!
ひろしのあなと いも虫がほった あなが
つながった場面もありました!

やっぱり すごい絵本です。


ごきげんよう。


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