国際球界における「ハーフ」の可能性 | 欧州野球狂の詩

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日本生まれイギリス育ちの野球マニアが、第2の故郷ヨーロッパの野球や自分の好きな音楽などについて、ざっくばらんな口調で熱く語ります♪

 俺は幼少期を、ヨーロッパという多様な人種や文化が入り混じった地域で過ごし、そして現在国際野球の事情をブログなどで追いかけ続けている中で、様々な国で様々なバックグラウンドを有する人々と、直接的・間接的なものを問わず触れる機会をこれまで得てきた。その中で決して少なくない頻度で出会い、またこのブログで取り上げてきたのが、いわゆるハーフと呼ばれる人々だ。


 よく言われることかもしれないけれど、ハーフの人々は同じ人種の両親から生まれてきた人々(便宜上「純血」と呼ぶことにする)と比較すると、純血の人々にはない特徴や強みを有していることが多い。例えば、純血にはないエキゾチックな魅力を持つハーフには、美男美女が多いという。あるいは身体能力という意味でも、外国の血が入っていることによって純血の人々が持ちえない、絶対的な武器を有することとなったアスリートも少なくはないだろう。もちろんそのどちらにしても、全員が全員あてはまるわけでは決してないだろうけれど、それらを自分の武器にできている人は、大きな強みを持っていると言えると思う。


 現在の野球界において、日本でもっとも有名なハーフのプレーヤーと言えば、やはりダルビッシュ有(レンジャース)をおいて他にはいないだろう。日本ではもちろん、メジャーでも1年目から奪三振マシーンと化している彼は、女性誌でもモデルを務めた経験があるほどのイケメンであり、しかもアスリートとしても既にある意味絶対的な地位にいるハイスペックの持ち主だ。ダルビッシュの平均球速である、155kmを上回る速球を投げられる日本人ももちろんいるけれど、そのクラスの速球と多種多様で全て決め球クラスの質を持つ変化球、そして1試合130球を投げてなお壊れないスタミナを両立できる投手が他にいるかと聞かれたら、正直ほとんど思い浮かばない。


 実は広い国際球界を見渡すと、彼以外にもハーフの選手はたくさん存在する。そしてここ最近各国で有望株として台頭してきている選手たちの多くは、実は2つ以上のルーツを背景に生まれてきている者たちだ。例えば、近代野球におけるドイツ初の大リーガーとなったドナルド・ルッツ(レッズ)は、アフリカ系アメリカ人の父親とドイツ人の母親の間に生まれた。同じドイツのスーパースター候補生として名高いマックス・ケプラー=ロシツキー(ツインズ)は、その苗字が示す通りドイツ人とポーランド人の両親を持っている。そのケプラーを上回る「ヨーロッパ最高の有望株」として先日も紹介した、15歳の遊撃手マルテン・ガスパリーニは、父親がイタリア人で母親がジャマイカ人であるという。


 もちろん、彼らはいずれもハーフであるという点で共通点はあるけれど、それだけを以て今日これだけの選手になったわけじゃない。彼らがアスリートとして高みに上り詰めることができたのは、言うまでもなく日々の努力と鍛錬の成果があってこそだ。ただトップアスリートになるためのあらゆるトレーニングは、極論を言えばその道を志す者であれば誰もが積んでいるもの。そうした世界にあってなお、有望株として台頭してくるハーフの選手が多いとなれば、彼ら自身が持つバックグラウンドがそのキャリアを支える大きな原動力となっていることは、疑いの余地のないことと言えるんじゃないだろうか。


 例えばダルビッシュの場合は、イラン人である父親の血を引いていることが、基礎体力やスタミナにポジティブな影響を与えていると言われることがある。ルッツが打席での最大の武器とするパワーは、アフリカ系のDNAとドイツ人としてのDNAとの融合の結果、生まれてきた結晶と言えるかもしれない。ガスパリーニが武器とするスピードも、彼の身体に流れているジャマイカ人の血がもたらしたものだという考えは、ジャマイカという国がウサイン・ボルトやアサファ・パウエルといった有力ランナーを多数輩出していることを考慮しても、いささか飛躍が過ぎるだろうか?


 あまり科学的な根拠はない意見であることは認めざるを得ないけど、俺自身の感覚としてはあまり飛躍しすぎた視点とは思えないんだよね。例えば、ダルビッシュやルッツやケプラーやガスパリーニが、全員純血のプレーヤーとして生まれていたとしたら(その場合、「ダルビッシュ有」という人名は成立しないことになるけど)、果たして野球選手として成功していたかと考えると、正直な話疑問符を禁じ得ないからだ。


 例えば、ダルビッシュ以前にMLBで押しも押されぬ主力として、長期にわたって活躍していた日本人選手は一体何人いただろう。これまで、多くの日本人選手(それも、その大半がNPBにおけるスーパースターだった)が夢を追いかけて海を渡ったけれど、全員がその文脈において成功できたわけじゃない。今年は日本人投手が少なからず活躍していて、その意味ではかなり前向きに捉えられるシーズンと言えるかもしれないけれど、全体的に見ればそれぞれのキャリアのほぼ全てにおいて、MLB各球団において必須の存在とされるレベルにまで上り詰められたのは、ダルビッシュ以外ではイチロー、野茂英雄、黒田博樹、斎藤隆、上原浩治、田沢純一くらいと言えるんじゃないだろうか(まぁ、これだけいれば十分じゃないかと言われるかもしれないけど)。あの松井秀喜でさえ、ヤンキースを放出された後は決してその地位は盤石とは言えなかった。


 ドイツやイタリアの場合、その疑問符はさらに強調されることになると思う。イタリアはアレックス・リッディという初の「イタリア生まれイタリア育ち」の大リーガーを輩出することに成功したものの、その他の選手はアレックス・マエストリ(現オリックス)がカブスのAA級でプレーしたのがせいぜいで、多くはマイナーの低クラスに留まってしまう。マエストリに続く有望株とされたルカ・パネラティ(前富山)も、結局レッズではA級より上に行くことはできなかった。リッディにしても歴史に名を残す存在にこそなれたものの、マリナーズの中ではメジャーとAAA級を行き来するレベルの選手に過ぎない。


 それはドイツに関してもほぼ同様。現在MLB傘下でプレーしているドイツ人選手は、そのほとんどがルーキー級やA-級に配属されている。ヨーロッパ屈指の有望株として名高いケプラーですら、まだ上位リーグでプレーする機会は得られてはいない。彼らの中では唯一、一軍でスタメン起用もされるルッツだけが圧倒的に飛び抜けた存在となっているんだ。そして、独米ハーフであるルッツよりも先に1901年以降の大リーグでプレーしたドイツ人選手は存在しなかった(ドイツ生まれのリリーバーであるウィル・オーマンは、Wikiによればドイツ国籍を持っていることになっているけれど、英語版ページでは「German-born American」と記述されており、個人的には信用していない)。これは、ルッツ自身が持つ独特の強みを証明する何よりの証拠と言えるんじゃないだろうか。


 無論、ルッツやケプラー以外の純血ドイツ人プレーヤーにしても、決して選手として実力がないわけじゃない。彼らは皆国際大会でドイツ代表として、それも代表の主力としてのプレー経験がある。現在MLB傘下でプレーするドイツ人選手の中で、ルッツに次ぐ存在であるカイ・グロナウアー(メッツ)も、ブンデスリーガ時代は文字通りの怪物プレーヤーだった。その彼ですら、北米ではまだ成功を掴み切れてはいない。ルッツを除けば最もメジャーに近いリーグにいるプレーヤーであるにもかかわらず、現役大リーガーである彼の存在が故に完全に霞んでしまっている。


 イタリアのガスパリーニに関しては、そもそもまだプロとしてのキャリアを開始してはいないし、年齢的な問題もあってすぐにイタリアのシニア代表に呼ばれることも、おそらくはないと思う(と言っても、過去のヨーロッパ各国代表のトップ選手の傾向を見れば、今後1~2年以内に招集を受ける可能性は0ではないけれど)。ただ彼が期待通りに選手として育った場合、彼に太刀打ちできる純血のイタリア人選手が果たして何人いるか。そもそも現在のイタリア代表は、国内組中心のメンバーですらベネズエラやアルゼンチンといった、海外系の選手に頼ることが多いんだからね。


 ハーフであるという事実は、実は当事者たちにとっては必ずしも好ましいものというわけでもないらしい。「日本で生まれ育ち、日本国籍しか持っていないにもかかわらずガイジンと呼ばれ差別された」とか、そういう苦い経験の元になることも少なくはないからだ。以前、Youtubeでハーフの人たちにインタビューする動画を見たことがあるけれど、ハーフであることをコンプレックスとして捉えている人は少なくなかった(彼らはアスリートではなく、完全に一般人だけどね)。


 でも、もしそのコンプレックスの源を、ダルビッシュのような選手たちのように武器に変えることができたなら、それはむしろ誇れるポイントとなるんじゃないだろうか。実際、彼らは野球というスポーツの分野においては、既に各国におけるトップレベルの選手になれているわけだからね。確かに、ハーフの人々は容姿にせよなんにせよ、純血の人々とは違う。でも、それは異なる民族の血が混じっているのだから至極当たり前の話。それ自体は良し悪しではかれる問題じゃなく、前提条件として受け入れるしかないと思う。


 むしろ問題となるのは、そういう自らの生い立ちをどのようにとらえ、どう活用していくかということじゃないだろうか。自らにとっての単なるコンプレックスと恥じるのか、逆に純血にはない強みとしてそれを磨いていこうとするのか。少なくとも、ダルビッシュやルッツやケプラーやガスパリーニが選んだのは後者であったはずだ。その結果アスリートとしての成功者の道を歩んでいるのだから、どちらがより生産的かつ前向きであるかは言わずもがなだよね。綺麗事と言われるかもしれないけど、自分の体に流れる血は自分自身が選べるわけじゃない。どのような人として生まれたかじゃなく、どのような人になろうと努力したかこそが、本当に大事なことなんじゃないかな。


 WBCのルールでは、自身がその国の出身だったり国籍を持っていたりしなくても、親のどちらかがそれに該当すれば当該国の代表に選ばれる権利がある。今春のWBCにおいても、中国代表に岡村秀、フィリピン代表に小川龍也という、それぞれの国とのハーフである日本人プレーヤーがメンバー入りした。今後は日本人に限らず、ハーフの選手たちが各国の(特にマイナー国の)代表として活躍する機会も増えるだろう。彼らが彼らであるが故に有している可能性、それは決して小さなものではないと思うよ。