「最前線」に立つことの意味 | 欧州野球狂の詩

欧州野球狂の詩

日本生まれイギリス育ちの野球マニアが、第2の故郷ヨーロッパの野球や自分の好きな音楽などについて、ざっくばらんな口調で熱く語ります♪

 いきなり少し難しい話になってしまうけれど、「世界線」という言葉をご存知だろうか。アインシュタインが提唱した相対性理論においては、世界線とは「四次元時空の中である粒子が動く経路」だとされているけれど、その本来の意味から派生した定義として、「シュタインズゲート」という有名アニメで使われている「世界の1つの可能性」という物が存在する。


 この世の中は無限大の数に上る選択の積み重ねによって成り立っており、人々がどのような行動をその時々で選択するかによって、世界はいくらでも変化しうる。分かりやすく言えば、今まさにこの記事を読んでいるあなたが、これを最初に目にするのは今この瞬間ではなく、もっと後の段階になっていた可能性も存在するということだ。この記事に目を通すきっかけも、もしかしたらあなたが実際に選択した経路とは違うものになっていたかもしれない(アメブロか、スポナビか、ベースボールジャーナルか、野球新聞か、あるいはそのいずれでもないどれかなのかは分からないけれど)。


 こういった話は、特にタイムトラベルを取り扱うSF小説においては、非常に好まれるテーマの1つとなっている。「もし、自分たちが実際に体験しているのとは違う現実が存在したら」という仮定は、確かに非常に興味をかきたてられるものなんじゃないだろうか。実はかく言う俺も、最近時折こういった考えが頭を巡ることがある。「もし、この欧州野球狂の詩というブログを書いていたのが俺自身ではなく、他の誰かだったらどうなっていただろうか」と。


 時が経つのは早いもので、このブログを開設してから今年で4年目になるけれど、今ではおかげさまで決して少なくない数の人から、自分自身のヨーロッパ野球に関する知識の量を称賛していただけるようになった。いわゆる国際野球クラスタの中でも、「『世界の野球』ブログの管理人さんと並んで、知識量に関しては別格」とまで言ってくださる方もいるし、日本の国際野球ファンの中における重鎮とまで呼んでくださる方もいる。もちろん、そういう風にお褒めの言葉を頂戴できるのは非常に光栄なことだし、嬉しいことだ。少なくとも、そう言われて悪い気は間違いなくしない。


 ただ、自分の中ではここ最近そうした評価に対する考え方というか、捉え方が変わってきたのも事実だ。具体的に言うと、「果たしてある特定の分野に関する知識の量が豊富であること、これ自体を自分自身の武器とすることは、この情報化社会を迎えた現代においてふさわしいことなのだろうか」という疑問が、俺自身の中で頻繁に浮かんできているんだ。


 今の時代、ある程度日常的にパソコンに触れている人であれば、ヤフーやグーグルのサイトで情報を検索することによって、あるいはそれぞれのお気に入りのサイトにアクセスすることによって、自分が欲しい情報を手に入れる方法はおそらく誰でも知っている。俺がこのブログを書くうえでやっていることも、それとは何ら変わりない行為に過ぎない。掲載している記事だって、その情報源であるMister Baseballや各国連盟のホームページは、もちろん誰だってアクセスできるような代物だ。ちょっと時間と意欲があれば、ここのブログに載せている情報だって、極端に言えば誰でも引っ張り出せる類のものに過ぎないんだよね。


 だから、俺自身は自分がこのブログなどにおいてやっていることを、特別なものだとは実はそこまで思っていない。確かに、ヨーロッパ野球についての情報を日本語で日常的に発信する数少ないメディアとして、このブログが事実上単なる個人ブログを超えた価値を今や有していることは、事実ではあるだろう。ただ誤解を恐れずに言えば、その情報を載せる行為をする人間が俺自身でなければならない、という理由は実はどこにもない。ぶっちゃけ、このブログを書くにあたって必要なことは極端に言えば、誰にでもできるようなものでしかないわけだからね。


 冒頭の話に戻ると、この世界は様々な選択とめぐりあわせの積み重ねによってできている。それ如何によっては、俺という人間がどの分野においてもある種突出した存在になることなく、単なるその他大勢(時代の中のモブキャラとでも言えばいいだろうか)として生きている世界線だって、存在していても何らおかしくはない。いや、もし世界線という物が同時並行的に無限に存在するのなら、間違いなくそのどれかにはモブキャラとしての俺が生きているはずだ。もちろん仮にそうだったとしても、残念ながらこの世界の中に生きている俺たち自身には、その実在を確認することすらできないけれどね。


 でも、実際には俺自身の立場はそうならなかった。ある意味で国際野球ファンをリードするような立ち位置の1つを占めることになったのは、他の誰でもなく俺自身だったんだ。1988年1月10日にこの世に生を受けてから、日本とイギリスの両国で25年間これまで生きてきた。その中での様々なめぐりあわせによって、今俺はこの場所に立っている。そこにはきっと何かしらの、それなりに深い理由という物があるはずだ。それはいったい何なのかを考えることが、ここ最近の俺の中での1つのテーマになっている。


 さて、単純な知識量がそれだけでは武器にならないとするならば、実際に武器になりうるものとはなんだろうか。俺が思うに、それは自分が獲得した知識を自分の中でどう活用し、どのように実際に行動に移していくかじゃないかと思う。俺がベースボールブリッジというチームを立ち上げたのは、ブログの執筆活動を通じて国際的な野球の「今」に触れたことで、自分自身がその現状を少しでも変える力になりたいと考えるようになったからだ。


 もちろん、人よりも頭一つも二つも抜けた知識や情報を手に入れることは、間違いなく意味のあることだとは思う。ただ、単に吸収し続けるだけでは頭でっかちになってしまうし、俺は少なくともそういう風にはなりたくなかった。だから、実際にこの世界に対して行動するための場としてこのチームを作ったんだ。決して戯れや気まぐれで立ち上げた団体ではないし、だからこそたびたびこのブログでも言及してきたように、クルーでの活動には常に本気で取り組んでいる。人生を賭けたプロジェクトだからこそ、生半可な覚悟では到底やっていられないんだよね。


 無論、実際に行動に移すという言葉自体が、どんな人にとっても「新しい団体を何か立ち上げる」ということを意味するとは思わない。なぜなら、人にはそれぞれ得手不得手という物があるからだ。ネットで情報を収集することはある程度誰でもこなせる普遍的な能力だけど、組織を立ち上げそれを運営していくことはそうじゃない(もちろん、かく言う俺にとっても決して楽なタスクではないよ)。でも、俺がはじき出した答えは「自分が新しい組織を立ち上げ、その中心になる」ことだったという話だ。これまでの25年間の中で体験してきた全ての出来事は、今この瞬間を生きている俺自身につながっている。この記事を書いている2013年4月21日現在、他の誰でもなく俺がこの場所に立っている理由は、きっとその中にあるんだろうね。


 さて、このチームでの活動でやるべきことは、まだまだ山積みだ。来週土曜には、2013年度初のMTGが控えている。それが終わり次第、イランへの第1回の用具送付にいよいよ着手する予定だ。それと並行して、今年度着手することになる大小様々なプロジェクトにも、メンバーとともに身を投じていくことになる。多くのメンバーが他に仕事を持っている身で、決して楽な活動ではないけれど、俺たちはあくまでも前向きに行くつもりだよ。このチームでの活動には、きっと大きな意味があると信じているからね。