寒空の下の歴史的一戦 | 欧州野球狂の詩

欧州野球狂の詩

日本生まれイギリス育ちの野球マニアが、第2の故郷ヨーロッパの野球や自分の好きな音楽などについて、ざっくばらんな口調で熱く語ります♪


 2011年12月4日。俺の人生が、この先何年続くのかは分かりませんが、今日のこの日付は、その最重要項目の一つとして、永遠に刻まれることになるでしょう。

 今日、千葉県我孫子市のYBCフェニーズ専用球場に、フランス・サヴィニー・ライオンズの池永大輔さんのお誘いを受け、池永さん主催の「野球狂の会」の試合を見に行って来ました。東日本大震災で被災した野球人たちに、道具を寄付するためのチャリティマッチとして行われたこの試合は、本来は野球狂の会とフェニーズの交流試合として行われる予定でしたが、前日の雨によりグラウンドコンディションがあまり良くなかったことから、フェニーズ側が急遽対戦を辞退。メンバー同士による紅白戦に変更となりました。

 球場に集まったのは、以前のエントリでもお伝えしたとおり、海外や日本の独立リーグ、社会人野球などでキャリアを積んだ猛者ばかり。アメリカ・カナダ・オランダなどでプレーした大ベテラン、根鈴雄次さんも参加するなど、「草野球」と呼ぶにはずいぶんレベルの高い面々が、顔を揃えました。またメディア方面からは、週刊ベースボールの独立リーグ担当としておなじみの中川路里香さん、野球小僧の公式ブログにて、イスラエル・メキシコ・ニカラグアの野球紀行を連載していた石原豊一さん、鎌ヶ谷での日本ハム二軍公式戦のネットラジオ中継で解説を務める、竹村裕児さん(ちなみに、俺のツイッターでのフォロワーさんでした)も来訪。特に石原さんは、自ら上智大時代のユニフォームを着こんで試合出場、先制2点タイムリーを放つ活躍も見せました。

 このブログで特に注目していた、フェリックス・ブラウン、フレデリック・アンヴィ、エロア・セクレップのフランス勢3選手も、軽快なプレーを披露。ブラウンは白組の「2番・セカンド」、アンヴィは紅組の「5番・ショート」で、それぞれ先発しフル出場しました。8回に白組の一員として登板したセクレップは、1イニングを無失点に抑えています。また、彼らを引率していた池永大輔さんは、紅組の先発として2イニングを投げた後、8回から再登板。寒空の下、計4イニングを投げる奮闘ぶりでした。

 試合中には、訪れていたメディア関係者をはじめ、色々な方々と知り合う機会にも恵まれました。中川路さんと竹村さんは、低迷が続いている関西独立リーグの盛り上げ方について、熱心に議論を展開。来年からヨーロッパ方面での取材が決まっているという石原さんは、イタリアの現行体制とセリエA時代の違いについて、俺にも取材をしてきました。また、池永さんにも様々な人々に、俺自身を紹介していただきました。色々な人々の繋がりがあって、こうしたイベントも開けるんだなぁ、と実感できましたね(でも池永さん、ヨーロッパ野球に詳しいと言っていただけるのは非常に光栄なのですが、さすがに「俺より俺のチームのこと詳しい」は言いすぎですよ(汗))。

 今回の試合では、持参したiPhoneで何枚か写真も撮っています。以下にいくつかご紹介したいと思います(なお、写真が仕様上横向きになってしまっています…。申し訳ありません)。

欧州野球狂の詩

試合前の打ち合わせを行う、白組の選手たち。

欧州野球狂の詩

自分を会場まで車で送ってくれた、ホーランドハンマーこと岩本さん。白組のレフトとしてフル出場。

欧州野球狂の詩

戦況を見つめるセクレップ(右から2番目)。青いコートを着ている人物が石原さんです。

欧州野球狂の詩

ショートの守備に就くアンヴィ。

欧州野球狂の詩

セクレップは8回から、白組の4番手としてマウンドへ。

欧州野球狂の詩

試合終了後は、選手全員でハイタッチ。いい光景ですね!!

欧州野球狂の詩

左から池永さん、アンヴィ、ブラウン、セクレップ。ブラウンとは、アンヴィとセクレップの2人はずっと英語で会話していました。

欧州野球狂の詩

最後に、参加者全員での記念撮影。皆さん、大変お疲れ様でした!!

 試合の方は、紅組が終盤に追い上げを許しながらも、6-5で勝利。試合終了後は、参加した選手全員による寄せ書きや、チャリティーのための道具の寄付が行われた後、一部メンバーは近くのファミレスで食事に。もちろん、俺自身も食事会に参加しました。実はその際、一緒にテーブルを囲んだフランス人3選手に、即席インタビューをしてきたんですが、それは次のエントリでご紹介したいと思います。

 当日は晴天にこそ恵まれたものの、非常に風が冷たく、観戦には少々堪える天候となりました(苦笑)。しかし今回、現役プロや社会人、国家代表選手のプレーを間近で見る機会に預かれたことは、本当に嬉しく思います。食事会の後、主催者の田久保賢植さんには、解散間際に「またこういうイベントはどんどんやっていきたいので、そのときはぜひまたいらしてください」と直々に言っていただきました。もちろん、これからもこのような催しはどんどん継続していってもらいたいですし、第2回目があれば、そのときはぜひまた遊びに行きたいと思っています。