私じゃなくてもいいことと

私でなければならないことは

何がどう違うんだろう?

 

とよく考えてきました。

 

世の中にあるほとんどの物事は

私ではなくても上手く回っていくし

会社や組織の中で

「私がいなくなったら周りに迷惑をかける」

と思っている大部分は

 

私がいなくなっても

誰かが何とかするのです。

 

小さな子どもがいたり

ペットを飼っている人は

他の人より責任が重いでしょうが

 

とはいえ

「私」がいなくなっても

現実としては、何とかなっていくのです。

 

 

つまりは

外の世界に私の存在する意味は本質的にはなく

 

この世界に何を生みだしたか

どんな関係を作り出したか

どんな思い出を自分の中に、相手の中に残したのか

ということなのかと思っています。

 

 

 

 

 

摂理系の目線で見ると

「生き物は生まれて、生きて、死んでいく」

 

以上

なんですよね。

 

 

人間は、そこに「意味」を見出していこうとする。

 

 

誰かと愛しあったり

家族を作り、守ったり

成功を成し遂げ、権力を得たり

大義のために我が身を投げ打ったり

 

 

宇宙レベルの時空のスケールで見れば

ほとんど意味がないことだけれど

 

人間にとっては、とても重要なファクターです。

 

 

誰に何が残るんだろう?

と考えた時に

 

何も残らなくてもいい

と思う自分が85パーセント以上。

 

せめて家族の心のどこかに思い出が残っていてくれたら嬉しい

と思う自分が10パーセント位あります。

 

この「家族のどこかに」と思う心理が何なのか?

最近は考えてみています。
(この場合の家族というのは、ほぼ子どもたちに限定されていて

親や元夫達にはないので、その違いは何だろうと思っているところ。単なる私の執着なのか。)

 

 

 

 

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