最近
心理学や精神分析学の本を
集中的に読んでます。
そういえば、私が星読みにハマったのも
ユング心理学と西洋占星術の関連からだった
最近思い出しました。
もともと占いはそんなに信じる方ではくて
(見るのは好きだけど、あんまり当たってると思ったことがなく
ただ子どもの頃から
タロットと占星術の世界観は好きでしたけど。)
ユング心理学を知ったのは
たしか夢診断からだったと思います。
大人になって
というか、ものすごく生きづらい思春期を送って
高校時代は
太宰治が大好きで
「生まれてきてごめんなさい」的な感じで
大学を卒業するころに
精神世界に興味を持ちました。
その頃は
タオとか量子力学とか原子とか素粒子とか
インド哲学とか老荘思想とかアートとか
そんな世界におりました。
早くに結婚して子どもが生まれて
はじめて
「自分が生まれてきた価値があった」
と思えました。
現実の世界で
私という個人が生きている意味がある
と初めて思えた瞬間でした。
(相当重症だったのね
)
子育ては孤独で
仕事に逃げたり
何度も手を上げてしまったり
ちゃんと出来ない長女に厳しくしてしまったり
(母がやってきたこと、そのまま繰り返してました)
一時期、次女が小学校に行けなくなったときは
大きな仕事はストップしました。
(そのときは、一緒に箱庭作ったりしてました)
その頃
たくさんの外国の人たちと接したり
自分もホームステイに行って
現地の生活にドップリはまってみたりして
自分が普通だと思っていることが
ちょっと外に出たら
まったく普通ではないことを知りました。
子ども時代から
良い子を演じ
まぁそれなりに不良っぽいこともしたりしながらも
ある程度は何でもできてしまう器用さも持っていましたが
海外でホームステイをしたら
なんか、そういうのが
打ち砕かれました(笑)
なんのかんのいいながら
いつも人間というものに関する仕事だったので
心理学やらタイプ分けのいろいろなものは
数知れず勉強し
それでも
自分自身の奥底に向き合うのは一旦保留にしたままに
仕事をガンガンやって
偶然出会ったカンフーから
カラダに目を向け、カラダを手入れし始めたら
いろんなことが動き出しました。
(娘たちからは、カンフーを始めてから怒らなくなったと言われました
)
しばらくは
見て見ぬフリをしていた自分の中の不整合。
それが
5年前くらいから現実が大きく変化しはじめて
そこから
自分を掘り返していく中で
さまざまなことを勉強し
自分を見つめなおし
気づき
体調が悪くなり
無理なことが無理になり
仕事も私生活も
たくさんのものを手放しました。
同時に
新しく始まったことは
実は
全くの新しいものではなく
ずっと私の中にあったものが
仏師が木や石の中に仏を彫りだすように
少しずつ出現してきたのでした。
今の仕事をしながら
お客様の問題と、私も一緒に向き合いながら
自分自身の内側も
見続けています。
今日、ヨガをやっていて
最後に瞑想をしたときに
ふと
よく、生き残ってきたね
という言葉が浮かんできました。
そして
とても新しい感覚を感じました。
私はもう何かになる必要もないし
お金やパートナーや美しさが
あってもなくても
どちらも変わりはない
と思ったのです。
諦めとは違って
あってもいいし、なくてもいい
そこに私というものは左右されない
という感じかな。
若い頃
本当に生きるのが苦しくて
誰かに必要とされなければ
自分に価値があると思えなかった
だから
愛を求めて
共感されることを求めて
絶対的に頼ってくれる子どもという存在に
私が反対に生かされて
でも、そんな自分も嫌で
子どもが自立する方法をずっと選んできました。
そうして
皆がいなくなったとき
私は、また空っぽになってしまうのかな
と思ったら
そうではない
という感覚がきました。
頭で理解ではなく
感覚で。
たぶんね。
最近、また
心理学や精神分析学の本を
集中的に読んでいて
螺旋状に自分への理解が深まっているのだと思います。
なる、とか
する、ではなく
ただ
ある
ということが
次第に自分の中で落ち着いていっている。
そんな感じです。
一時期
もう、自分はこの人生でやることはやったし
いつ死んでもいいかな
と思っていたことがありました。
そして少し前は
生まれたからには
自分を生かして、生ききるということをしよう
と思っていました。
でも、今日
あの感覚が来てから
何かが違う。
そんなことをいろいろと考えなくても
この現実の世界が
キラキラと美しく輝いて見えるのです。
あってもなくても
どちらも変わりはない
なのに
それは諦めではなく
今という世界を
私という個人を
そのまま受け入れている
そんな感覚なのです。
心理学や精神分析学の本を
集中的に読んでます。
そういえば、私が星読みにハマったのも
ユング心理学と西洋占星術の関連からだった

最近思い出しました。
もともと占いはそんなに信じる方ではくて
(見るのは好きだけど、あんまり当たってると思ったことがなく

ただ子どもの頃から
タロットと占星術の世界観は好きでしたけど。)
ユング心理学を知ったのは
たしか夢診断からだったと思います。
大人になって
というか、ものすごく生きづらい思春期を送って
高校時代は
太宰治が大好きで
「生まれてきてごめんなさい」的な感じで
大学を卒業するころに
精神世界に興味を持ちました。
その頃は
タオとか量子力学とか原子とか素粒子とか
インド哲学とか老荘思想とかアートとか
そんな世界におりました。
早くに結婚して子どもが生まれて
はじめて
「自分が生まれてきた価値があった」
と思えました。
現実の世界で
私という個人が生きている意味がある
と初めて思えた瞬間でした。
(相当重症だったのね
)子育ては孤独で
仕事に逃げたり
何度も手を上げてしまったり
ちゃんと出来ない長女に厳しくしてしまったり
(母がやってきたこと、そのまま繰り返してました)
一時期、次女が小学校に行けなくなったときは
大きな仕事はストップしました。
(そのときは、一緒に箱庭作ったりしてました)
その頃
たくさんの外国の人たちと接したり
自分もホームステイに行って
現地の生活にドップリはまってみたりして
自分が普通だと思っていることが
ちょっと外に出たら
まったく普通ではないことを知りました。
子ども時代から
良い子を演じ
まぁそれなりに不良っぽいこともしたりしながらも
ある程度は何でもできてしまう器用さも持っていましたが
海外でホームステイをしたら
なんか、そういうのが
打ち砕かれました(笑)
なんのかんのいいながら
いつも人間というものに関する仕事だったので
心理学やらタイプ分けのいろいろなものは
数知れず勉強し
それでも
自分自身の奥底に向き合うのは一旦保留にしたままに
仕事をガンガンやって
偶然出会ったカンフーから
カラダに目を向け、カラダを手入れし始めたら
いろんなことが動き出しました。
(娘たちからは、カンフーを始めてから怒らなくなったと言われました
)しばらくは
見て見ぬフリをしていた自分の中の不整合。
それが
5年前くらいから現実が大きく変化しはじめて
そこから
自分を掘り返していく中で
さまざまなことを勉強し
自分を見つめなおし
気づき
体調が悪くなり
無理なことが無理になり
仕事も私生活も
たくさんのものを手放しました。
同時に
新しく始まったことは
実は
全くの新しいものではなく
ずっと私の中にあったものが
仏師が木や石の中に仏を彫りだすように
少しずつ出現してきたのでした。
今の仕事をしながら
お客様の問題と、私も一緒に向き合いながら
自分自身の内側も
見続けています。
今日、ヨガをやっていて
最後に瞑想をしたときに
ふと
よく、生き残ってきたね
という言葉が浮かんできました。
そして
とても新しい感覚を感じました。
私はもう何かになる必要もないし
お金やパートナーや美しさが
あってもなくても
どちらも変わりはない
と思ったのです。
諦めとは違って
あってもいいし、なくてもいい
そこに私というものは左右されない
という感じかな。
若い頃
本当に生きるのが苦しくて
誰かに必要とされなければ
自分に価値があると思えなかった
だから
愛を求めて
共感されることを求めて
絶対的に頼ってくれる子どもという存在に
私が反対に生かされて
でも、そんな自分も嫌で
子どもが自立する方法をずっと選んできました。
そうして
皆がいなくなったとき
私は、また空っぽになってしまうのかな
と思ったら
そうではない
という感覚がきました。
頭で理解ではなく
感覚で。
たぶんね。
最近、また
心理学や精神分析学の本を
集中的に読んでいて
螺旋状に自分への理解が深まっているのだと思います。
なる、とか
する、ではなく
ただ
ある
ということが
次第に自分の中で落ち着いていっている。
そんな感じです。
一時期
もう、自分はこの人生でやることはやったし
いつ死んでもいいかな
と思っていたことがありました。
そして少し前は
生まれたからには
自分を生かして、生ききるということをしよう
と思っていました。
でも、今日
あの感覚が来てから
何かが違う。
そんなことをいろいろと考えなくても
この現実の世界が
キラキラと美しく輝いて見えるのです。
あってもなくても
どちらも変わりはない
なのに
それは諦めではなく
今という世界を
私という個人を
そのまま受け入れている
そんな感覚なのです。