JRをゴトゴト乗り継いで
久留米に来てます。
河童でした。
「赤いスイトピー」
そういえば
松田聖子は久留米出身でしたっけ。
最初の夫が
久留米からさらに山奥に入っていったところの出身で
その頃、よく来ていました。
2人とも若くて
まるで、おままごとのような結婚でしたけど
義父にも義母にも
ものすごく気に入られていて
可愛がってもらっていました。
娘が3歳か4歳位で離婚した後も
(記憶がハッキリしない ^^;;)
お義母さんの誕生日には
必ず電話をかけさせていました。
(お義母さんは、病気で失明してしまったので、手紙や物よりも、孫と直接話せる方がいいかと思って)
それはお義母さんが亡くなるまで
ずっと続けていて
娘が留学に行く前と
行った後には、顔を見せに行かせました。
私は、離婚後に会う機会はなかったけれど
今でも、九州弁が好きなのは
優しくしてくれた
お義母さんや、お義父さんの思い出なのかと思います。
久しぶりに久留米に来て
元気に話す女子高生達の言葉を聞いて
そんなことを、ふと思い出したのです。
私は、他人(ひと)から見たら
プライベートも仕事も
すごくいろんな道を通ってきて
大変に見えるかもしれないけれど
とても沢山の人に出会って
それだけ沢山の人から愛されて
可愛がってもらってきました。
年下の人にも
子どもにさえも
愛されて、守られて
ヘボヘボでも
許してもらって(^^;;
みなさん、ホントにありがとうございます。
で、久留米で目にとまったのがコレ。
ワタシは
自分が、ホントに出来ないことだらけだ!
と思って、それをさらけ出しながら
それでも前に進みたい!と
言った時に
道が開けて来たと思うんです。
みっともなくても何でも
そんな自分が自分だから
開き直りでもなんでもなく
ただ等身大に認めて
ゴメンなさい。
でも、これが自分なんです。
だから
これで行かせて下さい。
と言ったときに
周りの人たちが
仕方ないね
と認めてくれました。
そんな私を認めて
許してくれてきた人たちに感謝です。
迷惑かけてもね。
自分を殺したらダメだから。
だから私も
自分を生かすために
必死な人がすることは
丸ごと認めます。
世間的にどうだとか
そんなものは関係ない。
自分と自分の人生を生かすことを
真剣にやるならば
その人を尊重する!
でも
そこを諦めて
自分を誤魔化しているのに
それを正当化するのなら
もう勝手にその道を行けばいいと思うのです。
それで
自分が苦しくなっても
自分で選んでるんだから、ね。
やらないくせに
やってるフリとか
全くの無駄だから。
と、まとまりのないブログ、でした。
かずこ







