初めて
NYに行ったときのこと。
コネチカットの知人家族の車に乗せてもらって、
マンハッタンに入りました。
車の外の風景は、映画で見るまま。
ブロードウェイに
セントラルパーク。
人種のるつぼと言われるだけあって、様々な肌の色、髪の色の人がひしめきあっています。
ウィンドウ越しにそれを眺めながら、
まるで水族館みたい 
と思ったのを覚えています。
なぜか、外を歩く人たちが水族館の魚

のように思えたのです。
ワタシはガラス越しに眺めている見物人。
そこにいるんだけど、いない。。。

(c) .foto project
その2年程前
フランス

にホームステイに行きました。
場所は、リールの近くのべチューンという小さな町。
フランス人はツンとしてお高くとまっているというイメージを持っている方もいらっしゃるかもしれませんけど
ワタシが実際に会ったフランスの人たちは、お高くとまってるどころか
とにかく
しゃべって、しゃべって、しゃべりまくる
道で会ったら20分の立ち話
図書館行っては館員さんとおしゃべり
工場見学でも質問しまくり
パーティーなどでは、別れの挨拶とキスを一人一人とするものだから、帰ると言ってから1時間以上帰れないこともありました

バカンスシーズンだったので
何度か友人家族を家に招いてディネ(ディナー)の機会がありました。
そんなディネは、アペリティフから始まってデザートまで大体3~4時間もかかるのです。
ある日のこと
やはりご夫婦と息子さんというご家族がみえました。
食事やワインもすすみ
話題はバカンスの話。
どこに行ったか、今年はどうだったかetc・・・
みんなとても楽しく話しています。
ワタシは簡単なフランス語なら何とかやりとりしていましたが、早口で難しい話になると全くフランス語がついていけず、ただニコニコしながら食事をしていました。
けれど自分としては不満はありませんでした。
子どもの頃からの憧れの国だったフランスに来て、その家庭に入れてもらって、ディネの席にいる。
もうそれだけで満足だったのです。
けれど、ある瞬間にハッと思ったのです。
この人たちにとって私は何なんだろう
今、私がこうやってただ黙って座っているだけだったら、
この人たちにとって
私はいてもいなくても同じなんじゃないか。
この人たちにとって
私がここに来た意味って何なんだろう

そこからは、何とか自分から話題を振って、私にでも理解できる話になるようにしていく努力をはじめました。
人と人の関わりというのは、一方的なものではないはずです。
出会いは必ずお互いにとって何かを生み出す。
その出会いが何になるのか
どんな価値を持つのか留学に出る高校生たちに、よくこの話をしていました。
ことばが出来ないと、自分の能力までなくなったような気がしてしまい、なかなか自分から出ていくのは難しいのです。
できるようになってから、前に出よう。あるいは
誰かが手を差し伸べてくれるのを待とう。そんな気持ちになったら思い出してください。
アナタは何をしに来たの
変わりたかったんじゃないの

今の自分を変えたかったんじゃないの

だとしたら
今までの自分のままで待っていても
何も変わらないんですよ。たとえ
フランスに行って、フランス人たちとディネの席に座っていても
たとえ
マンハッタンを車で走っていても
自分は何も変わらない。
留学したって、ただそこにいるだけで
1年後ペラペラになってるなんて思ったら大間違い。
ガムシャラにやるんです。
語学をという意味じゃない。
そこの人たちと生きることを
そこで今までの自分から一歩前に出ることを
死に物狂いでやる。
自分がそこに行った意味を、何かをそこの人たちにも残してくる。そんな話をしていました。
高校生たちとも、いつも真剣に向き合ってきました。
大人だから、子どもだから、ということではく
1人の人間として
アナタはどう生きていくの
と問いかけていました。
それは裏返せば、自分自身に
じゃあ、ワタシはどう生きていくの

日本でそれをやっているの

と返ってきていました。
どこにいたって同じなのです。
いつだって同じなのです。
そこにアナタがいるのか。生きてるってそういうことじゃないですか