私は昔から宗教美術が好きで
ふらりと1人で京都や奈良へ仏像を見に行ったり
海外にホームステイに行った時には、教会や寺院には必ず連れて行ってもらっていました。
建物よりも、彫像や絵に魅かれます。
昔の人々が、どんな風に神をとらえていたのか、を想像しながら見るのが楽しくて。
特定の宗派に属しているわけではありませんが、気持ちとしては仏教徒。
だから何となく、神社
を参拝したり、十字架
を(ファッションで)身につけるのには抵抗がありました。
けれど、昨年から何故か神様に呼ばれて?神社に行くことが多く
このところは、天使達
が近くなってきています。
でね。
今まであったコダワリが次第になくなってきました。
ソレを神と言うのか、なんと名づけたらいいのかはわかりませんが、
そもそもは同じものをアチコチの角度から見ているのではないかと。
このことは
もう、大学を出てすぐ、暗く哲学やら量子力学やらタオにハマっていた頃から感じていたこと。
周りには芸術家の卵たちが多くて、
量子のダンスみたいなタイトルで抽象画を描いてる人とかいて、
その絵を見た時に、ヒンズー教の神々を連想したワタシ。
あぁ、そうなんだ。
同じことを違う表現であらわしてるんだ
って思ったんです。
いろいろと螺旋状に巡って
今また、そこに戻ってきた感じ。
人間は、名前をつけることでモノゴトを認識してきたけれど
一方で、名前をつけることで自分を縛ってもいるのかも。
今はあまり、こだわらずに
ココロのおもむくままに、行ったり、身につけるのも良いかな
って気になっています。
(敬虔なる信者の方にしたら、そんなのダメ!かもしれませんね。ごめんなさい)
そして今日は、なぜか
イタリアに行った時に撮ったマリア像のことが気になって気になって・・・
帰ったらiPhoneの待ち受けにしようと思って地下鉄に乗り・・・
ふと中津まで来たところで
こないだ通った時に引き込まれるようにして入った教会関係のグッズを売っているお店を思い出しました。
(ピアスビルの隣です。その時は結局何も買わなかった。)
で、すぐに途中下車。
そして今日行ってみて気がついたんだけど、
昔、この先に事務所があって、毎週この教会の前を通っていたのですよ
海外の人がよくミサに来ていたから、取り壊された後どうなったんだろうと気になっていました。
こんなビル内教会に生まれ変わっていたとは
店じまいの片付けをされている隣で、大急ぎでマリア様のものを見たけれどピンと来なかったから、おかしいなぁと思いながらカードを2枚買って・・・
出ようとしたら、ふと目にとまったクルス
。
最初に見たのはイエス・キリスト像のばかりだったので選ばなかったんですけど、マリア像のが1つだけミニブックとセットになって別の場所に売られていました。
私を呼んでいたのは、これか
と思って閉めかけのレジに再び。
左のがミニブック。その下にクルス。
あぁ、マリア様って本当に美しい
人の心の美しい部分
愛にあふれた心が
こういう美しい姿を描かせたのだなぁ、きっと
そういう人の心の美しさや強さを感じれるから
私は宗教美術が好きだったんですね。
そして、帰って待ち受け画像にしたマリア像はこちらです
慈愛の光にあふれています。
イタリアではマリア様のことはマドンナと呼んでいました。
教会だけでなく、町のあちこちに小さなマドンナ像がありました。
ちょうど日本のお地蔵さんのように。
これからの時代は、
マドンナの光
が必要なのかな。
そんなメッセージをもらった今日なのでした。
かずこ
ふらりと1人で京都や奈良へ仏像を見に行ったり
海外にホームステイに行った時には、教会や寺院には必ず連れて行ってもらっていました。
建物よりも、彫像や絵に魅かれます。
昔の人々が、どんな風に神をとらえていたのか、を想像しながら見るのが楽しくて。
特定の宗派に属しているわけではありませんが、気持ちとしては仏教徒。
だから何となく、神社
を参拝したり、十字架
を(ファッションで)身につけるのには抵抗がありました。けれど、昨年から何故か神様に呼ばれて?神社に行くことが多く
このところは、天使達
が近くなってきています。でね。
今まであったコダワリが次第になくなってきました。
ソレを神と言うのか、なんと名づけたらいいのかはわかりませんが、
そもそもは同じものをアチコチの角度から見ているのではないかと。
このことは
もう、大学を出てすぐ、暗く哲学やら量子力学やらタオにハマっていた頃から感じていたこと。
周りには芸術家の卵たちが多くて、
量子のダンスみたいなタイトルで抽象画を描いてる人とかいて、
その絵を見た時に、ヒンズー教の神々を連想したワタシ。
あぁ、そうなんだ。
同じことを違う表現であらわしてるんだ
って思ったんです。
いろいろと螺旋状に巡って
今また、そこに戻ってきた感じ。
人間は、名前をつけることでモノゴトを認識してきたけれど
一方で、名前をつけることで自分を縛ってもいるのかも。
今はあまり、こだわらずに
ココロのおもむくままに、行ったり、身につけるのも良いかな
って気になっています。
(敬虔なる信者の方にしたら、そんなのダメ!かもしれませんね。ごめんなさい)
そして今日は、なぜか
イタリアに行った時に撮ったマリア像のことが気になって気になって・・・
帰ったらiPhoneの待ち受けにしようと思って地下鉄に乗り・・・
ふと中津まで来たところで
こないだ通った時に引き込まれるようにして入った教会関係のグッズを売っているお店を思い出しました。
(ピアスビルの隣です。その時は結局何も買わなかった。)
で、すぐに途中下車。
そして今日行ってみて気がついたんだけど、
昔、この先に事務所があって、毎週この教会の前を通っていたのですよ
海外の人がよくミサに来ていたから、取り壊された後どうなったんだろうと気になっていました。
こんなビル内教会に生まれ変わっていたとは

店じまいの片付けをされている隣で、大急ぎでマリア様のものを見たけれどピンと来なかったから、おかしいなぁと思いながらカードを2枚買って・・・
出ようとしたら、ふと目にとまったクルス
。最初に見たのはイエス・キリスト像のばかりだったので選ばなかったんですけど、マリア像のが1つだけミニブックとセットになって別の場所に売られていました。
私を呼んでいたのは、これか

と思って閉めかけのレジに再び。
左のがミニブック。その下にクルス。
あぁ、マリア様って本当に美しい

人の心の美しい部分
愛にあふれた心が
こういう美しい姿を描かせたのだなぁ、きっと

そういう人の心の美しさや強さを感じれるから
私は宗教美術が好きだったんですね。
そして、帰って待ち受け画像にしたマリア像はこちらです

慈愛の光にあふれています。
イタリアではマリア様のことはマドンナと呼んでいました。
教会だけでなく、町のあちこちに小さなマドンナ像がありました。
ちょうど日本のお地蔵さんのように。
これからの時代は、
マドンナの光
が必要なのかな。そんなメッセージをもらった今日なのでした。
かずこ

