今日は、何気なく本棚にあったこのマンガに何年振りかで目を通してみました。

ロストハウス (白泉社文庫)/大島 弓子
¥590
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去年から何度も断捨離して、本もかなり処分したけれど、その度にどうしても手放す気になれなくて保留にしておいてある物がいくつかあります。

1つはFLIXという映画雑誌。
今見たら10年分位ありました。
まぁ季刊だったりするので、段ボールにしたら1箱分くらいですが・・・

もう1つが、大島弓子のマンガ
ものすごく暗かった頃に、ずいぶんと読んだものでした。
今も、本棚の奥に何冊か残っています。


久しぶりに読んで・・・

何だかポロポロ泣けてしまいました。

短編集なのですけれど、自分の居場所(それは文字通りの場所だったり、スペースだったり、人だったり、あるいは自分自身の肉体だったり)について繰り返し語られているように思われました。


境界線についての物語とも言えます。


自分と他者

自分の居場所と、そうでないところ

内と外



その境界線はくっきりとしているようで、ある日突然メビウスの輪のようにひっくり返っていたり、溶け合って曖昧になっていたり・・・
思った以上に流動的だから、かたくなに守ろうとすればするほど、苦しくなっていく・・・


そういうものかもしれません。



カラダとつながり
大地とつながり
大気とつながり
人とつながり

エネルギーをめぐらせる
気をめぐらせる


自分というものを囲む境界線が変化していく
カラダから
呼吸から
それを感じる


中国武術やヨガを学ぶことで、
少しずつ、それがカラダで感じられるようになってきました。


ワタシの細胞の一つ一つは、小さく小さく分解していくと
ずっとずっと大昔は、恐竜の一部を構成していた物質だったのかもしれません。

ワタシが今吸い込んだ空気の中には、
もしかしたら、いつかどこかで誰かの身体の中を流れていた原子が含まれているのかもしれません。


そんなことを、大学卒業したてのある日、カフェでお茶を飲みながらふと考えて
友人が描いていたモダンアートや、ヒンドゥー教の踊るような神々の姿に原子のダンスを感じ、

芸術も宗教も科学も、同じものを見ているのじゃないか と思ったのでした。
(23歳にして悟っていたワタシ


そして、その頃は知らなかったけれど

武術は、マーシャル・アーツって言うんですね。
ARTSなのです。



大島弓子のマンガに出てくる主人公たちは、
センシティブで何かに怒っていたり、絶望していたり、厭世的だったり。

でも、怒りながらも、諦めたふうに見えながらも、どこか一生懸命で
自分で作り出した境界線、他人から押し付けられた境界線を、どう越えようかとあがいているのです。
ワタシがこの人の作品を好きだったのは、
どこまでも『今』生きている意味を諦めないところだったのだと今はわかります。


すべてが、何十億年もの間の原子のリサイクルで成り立っているのなら
今、自分が生きている意味はなんなのか?

自分の肉体という境界線を持っているからこそ、味わえる感情や感覚を、しっかりと味わうこと。
それでこそ、生まれてきた意味があろうというものではありませんか。



境界線があるからこそ、感じられるもの
境界線を越えるからこそ、得られる喜び


あなたにとっては何ですか?



かずこらぶ