ONESTAR4
「来てくれたの?ごめん、今日も店開けられないんだ。」
「店長さん。」
振り向けばそこに、若い男が立っていた。
イタリア料理店の店長なんて言うから、日に焼けた肌にギトギトオールバックのヒゲ親父を思い描いてた俺は、ありったけの思いを込めて睨みつけてやろうと思ってたのに、拍子抜けしてまじまじと見つめてしまった。
「店長さん」は、どうみても22,3で、ジーンズにダンガリーシャツなんてラフなカッコをしていた。
身長は俺よりちょっと低いくらい?痩せてて切れ長の目で俺とは正反対系の顔だ。長めの前髪をかきあげながら、男は俺に視線を向ける。
「あ、店長さん、紹介しますね。こないだ言ってたあたしの彼氏です。ヨシアキって言うんです。」
そこまで考えてなかったのか、ねーちゃんは、俺の本名を公表してしまう。
俺は、店長と頭の中のイメージとのギャップにまだついていけずに口ごもって「どうも。」と言っただけだった。
「ササキです。よろしく。」
ササキが笑う。
女が100人いたら、100人全員が「優しそう。」と形容しそうな笑顔だ。
「おんなじカラオケ屋でバイトしてたんです。あ、カラオケ屋は先週辞めたんです。密室だと思って無茶するお客さんが多くて、危ないから辞めろって彼が言うから・・・・」
あんなに緊張してたのに、ねーちゃんは用意しておいたウソをすらすらとつく。
本番に強いタイプだ。
「あたし達、ラブラブなんです。今日もこれから映画に行くんですよ。」
あまりの演技力の高さを呆然と見ていた俺の腕をねーちゃんは、さりげなく握った。
「ね、ヨシアキ。」
「え?あ、ああ。」
まごまごしてる俺の演技を見破られないように、ねーちゃんは、握ってた手を離し強引に俺の腕を取った。
やーらかいねーちゃんの胸が二の腕にあたる。
一瞬、心臓から血が噴出したんじゃないかと思う。
「ヨシアキ?」
腕を組んだまま俺を見上げるねーちゃんの笑みに応えて笑おうとして出来なかった。
ウソの笑顔なんて、これまでいくらだってやって来たはずなのに。
俺は、本番に弱いタイプだ。
「じゃ、映画の時間があるんで、行きますね。」
「ああ、ごめんね。今日はせっかく来てくれたのに。」
店長さんが申し訳なさそうな笑顔をつくる。
「いいんです。でも、あの店長さん。」
「ん?」
ここからが正念場だ。
ねーちゃんの胸のドキドキが二の腕から伝わってくるようなのに、ねーちゃんは平然と言ってのけた。
「ナツキさんが帰って来るまでお手伝いしますよ。今日はたまたまお休みだけど、彼はまだカラオケ屋のバイト続けてるんで、平日の夜はデートできないんです。」
ササキは、ねーちゃんじゃなくて、俺を見た。
温和な笑みを浮かべ、それでもまっすぐに、切れ長の目で。
「いいのか?」と言う意味なんだろう。
俺は、ねーちゃんが一生懸命ついたウソすら見抜かれそうで、
頷くのがやっとだった。
「そっか、じゃ、デートじゃない時だけ、手伝いに来てもらおうかな?」
「いいですよ。店長さんのこと、彼にも話してるんです。夜のバイトって危ないとこ、多いから。ここなら安心だって言ってくれてるんです。あの、明日、電話しますね?じゃ。」
「うん。気をつけて。」
ねーちゃんは右手でバイバイをして、くるりと踵を返し、もう一度俺の腕を取った。
ラブラブカップルを装うために。
ドキドキしてるねーちゃんの心臓に呼応するように、俺の心臓もドキドキしてる。
そのまま二人でまっすぐ歩き、角を曲がったところでねーちゃんは、するりと俺の腕をはずした。
「ありがとう、ヨシアキ。ごめんね、嫌なこと頼んで。」
「……いいよ、別に…」
作戦はうまく行ったんだろうか。
ササキはちゃんと騙せたんだろうか。
「バレてないかな…大丈夫、かな……?」
ねーちゃんも同じ事を考えていたらしく、俺の腕をもう一度取り、すがるような目で俺を見上げた。
その瞳で俺を撃ち殺せるとも知らずに。
「大丈夫だよ、ねーちゃんは名女優になれるぜ。」
[真剣なのよ。からかわないで。]
「からかってなんかねーよ。大丈夫だよ。手伝いに来てくれって言ってたじゃないか。」
「う…ん……。」
ねーちゃんは、自信なげに俯いた。
「ねーちゃんのよさがわからないなんて、バカだよ、あいつ。」
「店長さんにはナツキさんがいるのよ。」
それがどうしたって。
ナツキだかナツコだか知らないけど、ねーちゃんよりいい女なんて、この世にはいない。
「あたしは、お手伝いできるだけでいいの。」
そうしてねーちゃんの性格上、一生懸命あの店を手伝うんだろう。
でもってナツキが帰って来たら、お世話になりました、と笑顔で店を去るんだろう。
ムカつくぞ!!ササキ!!
俺のねーちゃんを何だと思ってる!!
「おなかすいたでしょ、ヨシアキ。なんか食べに行く?」
顔を上げたねーちゃんは、まるで吹っ切れたように笑顔だった。
そんなに好きなのかな、あいつのこと。
想像してた通りの中年ヒゲ親父なら跳び蹴りのひとつも食らわしてやったのに、あんなヤサ男が出てきたら、
なんて言ったらいいのかすらわからなかった。
何だろう、なんて言ったらいいのか、
そう、
確かにあいつはいいヤツだろう。
ねーちゃんが好きになるくらいだ。
それはわかってる。
だけど。
…………ダメだ。
真剣にムカついて来たぞ。
「家にはちゃんと言って来た?うちで夕飯でもいいわよ。」
ねーちゃんは、俺の気持ちなんてこれっぽっちも知らずに、小首を傾げて俺を誘う。
「何がいい?あんまり難しいのは言っちゃイヤよ。」
「……なんでもいい。」
それだけ言うのがやっとだった。
二人でねーちゃんのアパートに行った。
途中でスーパーに寄った。
オムライスはどう?と言うねーちゃんの提案にかろうじてめんどくさそうに「別にいいよ。」と答えた。
俺が持つカゴの中に、次々とオムライスの材料を入れるねーちゃんが、
「まるで新婚さんみたいね。」と言ったので、
俺は、メーカーの違うケチャップを二つ持ち、成分表示を真剣に読み比べているフリをして、
「だよね!!」と答えたい気持ちを押さえ込んだ。
ねーちゃんがお金を出すと言って聞かないので、
俺はデザートのアイスクリームをおごると言った。
エビフライやチャーハンと言った冷凍食品と一緒くたに入っているようなアイスクリーム売り場の前で、
ストロベリーとクッキーアンドクリームとどっちにしようか真剣に迷うねーちゃんがあまりに愛しくて、
目の前の業務用冷蔵庫ごと買ってプレゼントしたかったんだけど、
予算的にもそれは出来ず、「両方買って半分こしようよ。」と言うねーちゃんの申し出をうっかり快諾しそうになり、
慌てて「ちっ、子供みてーだなー。」とめんどくさそうな顔をつくってみた。
ああ。
どうか、唇の端とかが緩んでませんように。
初めて訪ねるねーちゃんの小さなワンルームの部屋は、きれいに片付けられていて、テレビと食器棚と本棚とベッドくらいしかなかった。
「座ってていいのよ。今日のお礼なんだから。」と言うねーちゃんの後ろを子犬のようについてまわりたい衝動を抑え、「なんか手伝うよ。」と出来るだけぶっきらぼうに言ってみた。
「じゃ、サラダつくって。」
「うん。」
ねーちゃんは、てきぱきオムライスを作りながら、俺にサラダ作りの指示を出した。
小学校以来、厨房になんて立ったことのない俺が、何とかサラダを作り上げる間に、
ねーちゃんは器用にオムライスを二個作り上げ、本棚の後ろから折りたたみ式のテーブルを出すと、
ランチョンマットやオレンジ色のコップに入れたコンソメスープで、小さな食卓をコーディネートした。
俺が作ったサラダを真ん中に置き、ねーちゃんがとりわけて俺に笑顔でどうぞ、と皿を渡してくれた時、
このまま時が止まればいいと、本気で思った。
幸せだったのは、ねーちゃんの部屋を出るまでだった。
オムライスの夕食を終え、ストロベリーとクッキーアンドクリームのアイスクリームを半分こし、
お互いの近況を当たり障りのない程度で話し合い、10時を過ぎたところでねーちゃんが「早く帰らないと心配してるよ。」と言い、「今日はごめんね。本当にありがとう。」と笑顔で送り出された。
今度、この笑顔に会えるのはいつなんだろう。
そのまま家にまっすぐ帰る気にはなれなくて、行きつけのライブハウスに行った。
身内だけで盛り上がってるような下手くそな大学生バンドが演奏する中、しこたま胃に酒を流し込む作業に没頭した。
「……ダサ過ぎ……」
ダサ過ぎた。
何もかも。
何もかもが、だ。
何だって俺はこんなところで酒を飲んでるんだ?
好きな女の頼みだからって、何だって片思いの後押しなんてしなきゃならない?
何だって、
何だって俺は、ねーちゃんの弟なんだろう。
とぼとぼと赤いバッシュを抱えて家に帰った。
血が出るほどの痛みなんて感じもしなかった。
まるで、昔のように、部屋から一歩も出たくない。
ねーちゃん。
何かあると夜に逃げ込む癖は、あの頃から変わらない。
そうだ。
あの、ねーちゃんの服の端を握ってないと、どこにも行けなかったあの頃。
おれはあの頃からちっとも変わってないのかもしれない。
ONESTAR5
「どうして」に続く
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