ONESTAR3
「ヨシアキ、ヨシアキ、起きなさい、遅刻するわよ。」
遠くでおふくろの声がした。
胃がむかむかする。
揺するなよ、気持ち悪い。
うるせーんだよ、ほっといてくれ、と言いたかったのに、口の中がパサパサに乾いて声が出ない。
完璧に二日酔いだぜ、ちくしょー!!
「ヨシアキ!どうして吐いた服のままで寝るの!!お布団が汚れるでしょう?!」
俺の布団をひっぺがしたおふくろが酔狂な声をあげる。
やめてくれ。頭に超響く。
「やだ、お酒くさい!いったいどれだけ飲んだの?!高校生のくせに!トモミちゃんが一緒だったんじゃなかったの?!」
怒りに任せたフリをして、おふくろが注意深くカマをかける。
昨日から聞きたくてうずうずしてたくせに。
「ヨシアキ!絨毯に血がついてるじゃないの!あんたコレ、ケガして…」
「……ガッコ…休む……」
「また?出席日数は足りてるの?留年なんかしたら……」
「……あんたの息子は……そんなヘマしないよ…」
用意周到なあんたの血を引く息子がね。
心の中でそう言って、酔い潰れたおかげで浮腫んでいるであろう顔を向け、唇だけで笑ってやる。
俺と目を合わせたおふくろは、朝っぱらからきれいに化粧をしてた。
あの頃と違って、金と時間に余裕のある女。確か今年で40の大台に乗るんだと言ってた。
憎んでいる、わけじゃない。
ただ、どうしようもないだけだ。
たぶん俺は、
この人を、一生、許せない。
「・・・・・好きにしなさい。」
「……おやすみ。」
おふくろがバタンとドアを閉め、部屋を出て行く。
寝返りをうとうとして、本棚の上に置いた赤いバッシュが目に入った。
閉店だと店を追い出された途端、道端に盛大にゲロった俺は、これだけは汚さないように、と途中から脱いで帰った事を思い出した。買ったばかりのTシャツも、探し回って買った古着のジーンズもゲロまみれだってのに。
はあ。
おふくろが言ったように、絨毯にはところどころに赤茶けた汚れがついていた。
靴下一枚で1時間もかけてアスファルトの上を歩いて帰れば当たり前か。
何やってんだろう、俺。
なんかブルー入りかけた時に、ドアをノックする音が聞こえ、何だよ、まだ文句あんのかよ、とシカトしてると、そっとドアが開き、シーツが放り込まれてバタンと閉じた。
「…………。」
のそのそと起き上がり、シーツを拾った。まず、Tシャツとジーンズを脱ぎ捨ててついでにパンツも靴下も脱いで、ベッドからシーツをひっぺがし、洗濯したてのシーツを広げてその上に倒れこんだ。
喉が渇いて仕方なかったけど、おふくろのいるキッチンに行く勇気も元気もなく、ただひたすら昨日の事を思い出さないようにしながら惰眠を貪る事にした。
何も考えたくなかった。
ねーちゃんの好きな男なんて見たくなかった。
ねーちゃんの彼氏のフリなんてしたくなかった。
ねーちゃんの作り笑いも、泣きそうにケナゲな瞳も、見たく、なかったのに。
何だって神様は、こうも俺に冷たいんだろう。
残ってた酒のせいで嫌な夢ばかりを見た。
朽ち果てた遊園地で必死になって回転ドアを回してるのに、一向に外に出られなかったり、
ロウソクの灯りだけで大きな古い洋館の100もあろうかと言うドアを一つ一つびくびくしながら開けて行かなくちゃならなかったり、廃墟のビルの中、リホコとバンド仲間がくすくす笑いながら、俺を解剖してたりした。
俺は何度も目覚めては時計を見て、また眠りに落ちた。
何度目の目覚めかも忘れた頃、外はすっかり陽が落ちて、手元の目覚まし時計の時間すら読み取れなくなっていた。
俺はベッドから起き出し、シャワーを浴びに部屋を出た。
キッチンのテーブルには、おふくろの書置きと昼食が置いてあり、薄暗がりの中で「お花の教室に行って来ます。」と言う書置きの文字を読み取ると、ほっとしながら冷蔵庫を開け、オレンジジュースのパックを取り出して、コップに移しもせずに飲み干した。
干からびた身体が生き返るようだった。
「はー。」
紙パックをゴミ箱に捨てようとして、おふくろが最近ゴミの処理にうるさいことを思い出した。
仕方なくシンクに放り込み、バスルームに向かう。
あんなに寝たのに、身体中が痛くて、脳が疲れていた。
蛇口を全開にして頭っから熱いシャワーを浴びた。
目を閉じると、俺の身体をバラして、嬉々とした声をあげる夢の中のリホコが鮮明に浮かんだ。
俺の返り血をそのきれいな顔にこびりつかせ、高らかに笑う、リホコ。
これは、俺の罪悪感か?
ゲロくさい髪や身体をがしがし洗って、歯を磨いたら、やっと目が覚めた気がした。
浴室の鏡に映った俺は、おふくろに良く似た二重の大きな目を腫らし、浮腫んだ顔をしていた。
シャワーの湯気で曇る鏡を指先で擦る。
俺の顔って、カッコいいらしい、と気づいたのはいつだっただろう。
登校拒否なんてのを2年もやり、他人と話すことも出来ずに脅えて自分の部屋から一歩も出られなかった俺が、年々バレンタインデーのチョコレートの数を増やし、去年のバレンタインデーには、当時の彼女が睨みを利かせていたにもかかわらず、学校で大きな紙袋2つ分、家に帰ったらおふくろが、「ヤマザキ君に渡してください」と女の子たちが次々に持って来たと、うんざりした顔でダイニングテーブルの上の山積みにされたチョコレートを指差した。
それなのに!
学校じゃ超イケててモテモテのヤマザキ君が、たかだかねーちゃんの好きな人に会ったくらいで、
浴びるほど酒を飲んで二日酔いで学校を休んでる。
久しぶりに誰にも会いたくなかった。
一人でいたくて、太陽すら恐くて。
いまだに俺は、晴れた空が恐くて仕方がない時がある。
Tシャツとジーンズと下着と靴下とシーツをまとめて洗濯機に押し込み、スイッチを押してから部屋に戻った。
電気をつけ、時計を見ると7時を過ぎてた。
7時過ぎ。
まだ完璧な夜じゃないけど、窓から入り込む風がひんやりと冷たい。
もう6月だってのに。
昨日もこんな時間だった。
ねーちゃんは、「込み入った事情」をかいつまんで話した。
行きつけのイタリア料理店の店長に片思いしてること。
つきあってる人がいるのを承知で告白したこと。
で、その店長がつきあってるやつが(その店の従業員だそうだ。店長が自分の店の従業員に手を出すなんてよくある話だよな。)、理由があって行方不明で(その理由って何だよ!)、店長だけでは店を開ける事も出来ずに困っていること。ねーちゃんは、カラオケ屋のバイトを辞めたばかりで仕事を探しているし、手伝ってあげたいのは山々なんだけど、告った手前、向こうがとても気を使うのではないかと考えた。
そこでねーちゃんが思いついたのが「こないだは告白なんてしちゃったけど、私にはもう彼氏がいて、店長さんのことなんて、もうなんとも思ってないんですけど、今バイト辞めて時間あるから、困ってるなら手伝ってあげてもいいですよ」作戦だった。
そして、
その彼氏役に白羽の矢が当たったのが俺だ。
そりゃー、ナイスキャスティングだろう。
弟なんて一番後腐れないじゃんか。
ねーちゃんは、「ただ、笑っていてくれればいいいから。」とだけ言って、俺をそのイタリア料理店に連れて行った。
道中ブツブツつぶやいていたのは、店長さんに会ったら、言うべきセリフなのだろう。
思いつめた顔で、ずんずん歩いていくねーちゃんの後姿は、泣きたくなるほど一途で、俺は背中から抱きしめたくなるのを必死になって堪えてた。
店は、
10階建てのマンションの地下にあった。
マンションの平らな壁面に無理やり赤い屋根の飾り付けがしてあって、窓の絵が描いてある。
それだけでもダサダサなのに、積み重ねたレンガ風に見せかけたエントランスには、ウソものの葉っぱをからませ、すんげー少女趣味な店構えだった。
その上店の名前は「リストランテアップル」となっている。
何だってリストランテと来て、次に英語のアップルが入るのかなんて高校生の俺でも持つような疑問をこの店の名付け親は持たなかったらしい。
ねーちゃんは、階段の手前で立ち止まり、臨時休業と書かれた黒板が乗っかったイーゼルを見て、意を決したように、俺を振り返った。
唇が小さく震えているのに、ねーちゃんは、俺に「大丈夫?」と言った。
聞きたいのは俺の方だ、と思いながらも頷いてみせてやる。
ねーちゃんもこくりと頷くと、ドアに手を伸ばした、その時l。
「トモミちゃん?」
俺が、
一生、
声に出して呼ぶことはないであろう、ねーちゃんの名を、
軽々しく呼ぶ声がした。
ONESTAR4
「ストロベリーとクッキーアンドクリーム」
に、続く