ONESTAR 2
つんとまっすぐな黒い髪。
右頬にだけ出来るえくぼ。
小さな耳。
人一倍気ぃ使うくせに強情で、そのくせ泣き虫で笑い上戸なわけわかんない性格。
怒ったときに左眉だけを吊り上げるくせ。
よく通るアルトの声。
好きになった理由はいくらでもある。
好きになっちゃいけない理由は、
ひとつしかないのに。
「あ、ヨシアキ、あたし。頼みたいことがあるの。」
それだけ言うとねーちゃんは、俺の返事を待った。
バンドの練習からさっき戻ってきてシャワーを浴び、自分の部屋に戻ったばかりの俺は、
パンツ一枚で部屋の真ん中に携帯持って立ち尽くしてる。
「……ダメ、かな?」
あんまり俺が黙ってるもんだから、ためらいがちにねーちゃんがそう言った。
久しぶりに聞くねーちゃんの声をかみしめていた俺は、どうしようもないくらいドキドキしてる心臓を見破られないように短く答えた。
「頼みごとって?」
「う……ん…。あの、込み入ってるから会って話してもいい?」
ねーちゃんが携帯を持ち直す音が聞こえた。
ねーちゃんが俺に電話をかけてくるのなんて何回目だろう。
ねーちゃんの引越しが終わったとき、俺が高校生になったとき、そんでもって、今日、かな?
「いーよ、いつ?」
「明日、空いてる?6時くらい。」
「ああ。」
「じゃ、駅の改札で待ってる。」
「うん。」
「じゃ、6時にね。」
「ああ。」
俺がおやすみを言う前に、ねーちゃんが電話を切り、耳に残ったアルトの余韻がツーツーと言う機械音に掻き消されてしまいそうになってあわてて俺も受話器を置いた。
明日の6時は……確かスタジオを予約してたはずだ。
その後、リホコとデートの約束があったような気がする。
だけど、それが何だって言うんだろう。
ねーちゃんが俺を呼んでる。
それだけで俺は、月まで行けるほど嬉しかった。
次の日、バンドの連中には、リホコにまた浮気がバレてモメていて練習に行けないと言い訳し、リホコには、バンドの連中と新曲の件でモメていてデートに行けないと言い訳した。どっちも大ブーイングだったが知ったこっちゃなかった。
何たって、ねーちゃんが、俺を待っているのだ。
授業もそこそこに家に帰り、じゃらじゃらしてた銀の指輪やブレスをはずし、びっしびしに固めてた髪を洗い、無造作に乾かしてから、昨日からあーでもないこーでもないと一人ファッションショーを2時間近く続けた挙句に決めた古着のジーンズに買ったばかりのTシャツを合わせて家を出た。
俺の部屋の本棚に飾ってあった赤いバッシュを持ち出した俺を目ざとく見つけたおふくろが「どこに行くの?」とキッチンから顔も出さずに聞いた。
どこだっていいだろと吐き捨てて駅に向かった。
ねーちゃんに会うと言ったらおふくろは、
どんな顔をするんだろう。
6時の約束なのに、5時半には駅についてしまった俺は、電車が到着する度に、怒涛のように押し寄せる人混みの中からいつねーちゃんが出現してもいいように、駅の真横にあるタクシー乗り場の陰から改札口を見張ることにした。もちろん、ねーちゃんが現れてから鏡をみて最終チェックをし、走って「今来た」フリをする為だ。だって嬉しくて30分も前に来てしまったなんてバレたらカッコ悪すぎる。
サラリーマン。
学生。
親子連れ。
どやどやと自動改札を抜けて行く連中。
ねーちゃん、ねーちゃん、ねーちゃん。
何ヶ月ぶりなんだ。
最後に会ったのが、高校の入学祝いとかで俺にこの赤いバッシュを買ってくれた時以来だから、3ヶ月ぶり!
ねーちゃん、ちょっとは色っぽくなったかな?
あまりの手持ち無沙汰と落ち着かないのでタバコでも吸おうかと思った瞬間、駅の改札口から吐き出される雑踏の中にねーちゃんを見つけた。
俺の目には、雑多な人混みの中で、まるでねーちゃんだけが景色から切り取られたように鮮明に見える。
まるで、
月からでも見える万里の頂上のように。
俺は、人混みを掻き分けて走り寄りたい衝動を抑え、手鏡で顔と髪をチェックし、「めんどくせーなー、わざわざ呼び出して何の用だよ。」って顔を作ってから改札口に向かった。
ほんとならちょっと隠れてて遅刻しようと思ってたんだけど、ねーちゃんをこんなところに待たせるなんて1秒だって出来なかった。
「ヨシアキ。」
やっと俺をそのきれいな瞳に映したねーちゃんは、にっこり笑って手を振った。
まっすぐな長い黒髪をポニーテールに結び、白いTシャツにジーンズなんて21にしては色気もくそもないカッコは相変わらずだ。だけど、なんか少し、元気がないように見える。ここまで来てやっと俺は、ねーちゃんに「込み入った事情」があって呼び出されたことを思い出す。
何だろう、頼みごとって。
そりゃもちろん、この命をくれと言われても差し出すんだけど。
「なあに?また大きくなったんじゃないの?何センチになったの?」
ねーちゃんは、俺を見上げてそう言った。
ねーちゃんは、俺の肩よりちょっと上くらいの抱きしめるにはちょうどいい大きさだけど、抱きしめるわけにはいかない俺は「180。」とぶっきらぼうに答える。
「おっきー。あ、履いてくれてるんだ。」
ねーちゃんは、俺の足元を見てそう言った。
ねーちゃんがくれたバッシュで地面を歩くのがもったいなくて出来なくて、今日初めて履いたとは言えず、でもどうみても新品なのは隠せない事実で、気に入らなかったから履いてないのかと思われたくない俺は、話があったんじゃなかったのかよ、と話題をそらす。
「そうなの。」
ねーちゃんは思い出したようにそうつぶやき、俯いてしまう。
なんだ。
何なんだ。
「お願いがあるの。」
ねーちゃんが、思い切ったように顔を上げ、俺を見上げてそう言った。
何でも聞く。
あんたが言うことなら、俺は何だってするよ。
すがりつくように俺を見るその瞳が、次の言葉を探して震える唇が、俺のものになるなら、
俺は何だってするのに。
「彼氏になってほしいの。」
「へ?」
あまりのねーちゃんの真剣な眼差しに、危うく吸い込まれそうになりながら、
夢でも見てるんじゃないかと、
俺は思った。
ONESTAR 3
「許せない人」に続く
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