例えば郵政民営化にしろ、道路公団民営化にしろ、自分は問題点は郵政を民営化するかどうかではない、道路公団を民営化するかどうかではない。それらをしなくとも問題は是正出来るはずじゃないかと批判したのですが、高速道路無料化にしなくとも、道路の無駄を削れればそれでいいではないかという批判もあるのでしょう。こっちは放置して、自民党の案には反対するのはダブルスタンダードではないかと。
これは根本的に意味が全く違います。なぜなら郵政を民営化に仮に出来たとしても、そのこと自体で何らかの構造転換やこの国の問題点を是正出来るのか?というと、財投改革はとっくに終わっていたわけだから、それを真面目にやる気があるなら、別に郵政を民間会社にしなくとも問題は是正出来たはずで、郵政を民間会社にして何らかの善い事が日本全体にあるのかと言うと、全くないとは言わないけれど、あれだけ大騒ぎしてやるほどの話ではないような気がする。少なくとも選挙の争点にして争うような類いの話ではない。
道路公団を民営化するかどうかもしかりで、民営化であろうが国営であろうが、問題がある事には何ら変化はない。民間にした方がそのスキームが貫徹出来るのなら話もわかるけれど、別にどうしても民間にしないと出来ない改革だったのか?と、見直してみるとたいした事はやっていないように見えるし、余計わかりづらくしているようにも見えるので、そこに悪意を感じざるを得ない。
高速道路無料化というのは、道路の無駄を削るという事が一番重要なんじゃなくて、高速道路を無料化にする事そのものが重要な意味が含まれているのではないかと思える政策です。郵政を民営化したり、道路公団を民営化するような、わかり難いし、効果があまり国民的な実感として感じる事が出来ないような政策と違って、この国の構造を転換させるためには有効な手段であるだろうと思えるからです。
分権化による人口分散、内需型の一次産業への転換、超高齢化への対処、多様性を埋め込む為の一手、単純な景気対策、無駄な道路へ金を使う構造の是正、経済の損益分岐点を下げるための産業構造の分散化、実に様々な処方箋が入っている。もちろん最後には我々にかかっているわけですが、我々の手に委ねるも何もリソースがなければ委ねられたって何も出来ません。
もちろんこれらの方向性というのは高速道路を無料にしなくとも出来るではないかという批判もあるでしょう。確実だとは言えないではないかと言いたい人もいるのでしょう。まあそれはそうなんですが、グズグズしている余裕も今のこの国の状態を見ていると無いわけで、今何とかなりそうな方法で、これらを同時に担保出来るような方法を政治家が考えつくとも思えないし、合意出来るようにも思えない。
何も政策を打たなければ、その構造の転換は進まないでしょうし、構造転換する為には、何らかの政策を打たないと前に進まない。その政策が他にあるのか?という問題です。確実でなければ政策を打てないと言い出したら、政策なんて何も打てないわけで、今の今までフィージビリティスタディもクソもなく無駄に金を使い、無意味な政策を延々と続けて来たのに、政権交代した途端にいきなりそんな厳しい要求を突きつけてもクリア出来なくなるだけです。上手く行かないとしたら、高速の無料化前提で是正措置を打てばいい話です。元々ただにするって約束して作ったんですから、その方がスジが通っている。
今のまま成長戦略も無く、構造転換も進まず、ただどこに予算を付けるのかという奪い合いが繰り返されて行けば、もう出口は無くなる。後5年がタイムリミットでしょう。例えば温暖化対策にしろ、高速無料化にしろ、それによって国民負担が現状より増えるという話が、経産省やひも付きの学者達のネガティブなインチキ試算で出て来て、それの一番高い数字だけをインチキメディアが報じたりしますが、これらは現状がこのまま続かないという前提が入っていない。
要するに温暖化対策をしらばっくれたまま、各国からサンクションを受けたりプレッシャーを受けたり、新興国の台頭によってどれくらいのエネルギー価格の上昇や、その枯渇問題がどれくらいの可能性で、それが外交問題に発展した場合、この国の外交力の無さがどのように悪影響を及ぼすのか?とか、外需依存の中央集権体制一極集中少子超高齢化人口減社会を転換させられない場合のネガティブさがどれくらいの影響を及ぼしてしまうのか?とか、それにともなう国民負担がどれくらい増えるのか?とか、現状がこのまま続かないという当たり前さを考慮していないとか、極めて恣意的に低く楽観的に見積もっている場合が多く、温暖化対策や高速道路無料化がただ単に国民負担を増やす為だけの政策であるかのような報じられ方がされる。
しかし当たり前ですが、現状がこのまま続く事などはあり得ないし、現状維持が出来ないから何らかの温暖化対策なり分権化対策なりが必要であるという話になっているという事をニグレクトしている。最悪の事態に備えて対策は打たなきゃならない。事業仕分けにしてもそうですけれど、ただ削ればいいってもんじゃない的な批判も多いけど、それでは削らずにこのまま現状維持で行けるのかと言えば、行けないからやっているわけで、これは単に予算を圧縮するという目的が重要なんじゃなくて、行政の透明化をはからないと外からの投資を呼び込めないから必要だという話になる。後5年もすれば外人の国債比率を上げてもらわないと、どうにもならなくなります。日本人の資産だけでは財政を支えきれなくなる。金が何に使われていて、どんな効果があるのかもわからない代物に投資をするバカはいません。不透明なまま現状維持をしていても、せいぜい5年が限界で、今回の税収不足による予算の内分けなんかを見ていると、もうかなりヤバい段階に入っています。
それを全く度外視して、分権化も必要ないし、人口分散の必要もない、内需転換する必要もなければ、超高齢化放置でOK、多様性なんて無い方がいいし、景気はこのまま悪化して構わない。無駄な道路だろうがなんだろうがバンバン金を使えばいいし、経済の損益分岐点なんて下げる必要は無く、人件費をバンバン削って、新卒を渋ればOK、全部お上にお任せで構わないのだ。とでも言うのなら、これは論点がそもそも全く噛み合ないので、そう思っている人に無料化の必要性を説いても理解してもらえないでしょうけれど、こういった事は是正した方がいいと思う人の方が多いのでしょうから、無料化よりも効果的な何らかの手段があるのなら示してほしい。
単純に道路が無料になって旅行やレジャーが出来るようになるようなレイヤーの問題はたいした問題ではないと書きましたけれど、それだって不景気で煮詰りやすい状況に多くの人がさらされている現在、どっかに行って気分転換出来れば、それも幸福な生活の一つの糧にもなりうるだろうし、若い子達が就職難で四苦八苦している状況の今、どっかに旅をしたりするだけだって、一つの新たな価値観を開くオルタレーションのきっかけになる場合だってあるでしょう。地方へと生活の場を移すという可能性も開く事が出来る。
自分が今いる場所で上手く行かないとか、煮詰まってしまっているような状況を、簡単に新たな場所に移動出来て生活も出来るようになれば、人生において経験出来る選択肢は増えるでしょう。貧しくともその可能性があれば、人は極端に絶望する事無く生活を送る事は出来ると思う。
超高齢化が手遅れになる前に、高速道路を突破口とした分権化、一次産業へのシフトによって内需を拡大して雇用を生み、いったんドロップアウトしたらお終いの社会ではなく、きちんとセーフティネットによってもう一度復活出来るような仕組み、誰でも社会参加が可能になるには、生活だけでなくて時間にも余裕が無いとできませんから、ワークライフバランスによってお任せする政治から引き受ける政治へとマインドを変える。これは育休の取得率を上昇させるのと連動して、少子化に対する対策にもなっている。
農家への価格補償から個別補償への切り替えなんかも、もちろんこういう構造の変化には重要な政策で、例えば現在の日本の米は700%以上の関税で価格を補償して守っている。だけどこれでは毒米問題で大騒ぎしたように、減反政策をやりながらミニマムアクセス米を輸入しなければならないようなサンクションを受ける事になる。それで自給率が下がったと騒いでいるのだから意味が分からない。これでは農業は守れない。零細農家を零細のまま動員装置として利用する為の制度です。
そもそも民族学者で有名な柳田國男が打ち出したこの国の農政本流の発想からすれば著しくかけ離れてもいる。米とか麦とか国民にとっての必需品は安く供給しなければ、生活者が困窮してしまう。それを価格補償なんてやっている状態は生活者を無視した、JAや農水省を守って農業を守らずという自滅の発想です。
農家を直接個別補償によって支援する事によって、外に日本の農産物をどんどん売れるような体制にする事は農業の発展にも重要です。これはヨーロッパやアメリカ、先進国ではむしろ当たり前の政策でバラマキでもなんでもない。価格を補償して農業の自由化を阻止し、関税をかける事によって必要の無い米を外から買い入れて、国内の自給率を下げるなんてのは愚の骨頂です。農家を直接支援して、自由化を阻止するのではなくむしろ開いて、世界のマーケットを相手に商売が出来るようになれば、農業も大きなビジネスチャンスに繋がる。
道路公団民営化の成功例として猪瀬なんかがよくサービスエリアを民間に開放したのでサービスが良くなっていると言っていますが、確かにサービスは良くなり綺麗にもなったので嘘を言っているわけではありません。しかしこれもやっぱりデタラメな話で、昔はファミリー企業がそこを牛耳っていてその事に猪瀬なんかが文句を言っていたわけですが、国が100%もっている民間会社でありながら、民間会社だから介入するなと、益々ファミリー企業や関係企業がやりたい放題に振る舞えるようにしてしまって、実質上サービスが向上していると見せかけは整えていますが、その上前をキッチリはねている。
これもふざけた話で、国民の資産の私物化に他なりません。そこの土地を全部売却するか、不動産会社にして株を全部売却するべきで、地元優先で民間が誰でも参入出来るようにしないと意味が無い。しかも無料じゃないから外部からは入れない。これを無料化すれば誰でも入れるので客も増える。一般道路脇のお店と同じ扱いになる。国道の出入り口のまわりにどういう店を作るのかという、地域主導の土地計画によって地域参加で決めてくれという方向性に変える事になる。これを天下り集団の利権や道路族の利権の為に牛耳らせておいては出口が無い。
民営化会社や料金所で働いている人達はどうするのだ!!という切り口で猪瀬直樹なんかも批判します。そういう人達を斬り捨てるのかと。まあもっともらしい言い分に聞こえますけれど、道路公団の職員が2万人、料金所で働いている人が6000人と言われています。仮にその人達に仕事が無くなったとしても、それ以上の経済効果や雇用の創出が生まれるのだとすれば、その人達の雇用を守る為に、全国民が犠牲になるのは合理的ではありません。今は多くの人が職を失い、安定を失っている時代なわけですから。
それに国鉄の時は50万人も人がいたから大変だったわけですが、それに比べたらたいした数ではありません。何もそういう所で働いている人達を斬り捨てろって話でもないのです。
今後の高速道路の民営化会社の正しい姿というのは、サービスエリアなどの10兆にも及ぶ土地をいかにして活用するのか?という所にかかっている。要するに売却してその土地土地に街が出来上がる可能性が生まれる。当たり前ですが道を作るよりも街を作る方が雇用は生まれる。
不動産開発会社にするにしても、管理会社が必要になる。今でも出入り口が800あって、それを3キロに一つくらいに増やすと2000カ所以上の出入り口が出来る。そこに仮に半分でも街が出来て行けばもの凄く多くの雇用機会が生まれる。単純に不動産会社で雇用すれば、料金所だけでも6000人と言われる雇用の創出なんて楽勝な話です。逆に手が足りないくらいかもしれない。十分に雇用機会を作る事が出来る。それに街や出入り口の数が増えるという事は、公共事業で飯を食っている人達にとっても仕事が増える事になるわけで誰も損しない。
早く無料化して不動産会社にするか土地を売却してしまわないと、地域の拠点を作る事や、活性化や雇用の創出に繋がらない。やっぱり地方はどうしたって不便であるわけで、わざわざ都市部に行かなくとも、地域地域に拠点が出来てそこそこ便利にならないと人も住まない。
結局都会で働いているサービス業などの人達の仕事が地方に流れて行くだけだから、実質雇用は増えないのではないか?という反論もあるでしょうけれど、それが重要な人口分散へのステップになる。分散化してこそ外需一辺倒から内需、一次産業への構造転換も進む。
それが真の意味での地域主権の強力なリソースになる。住民達にとって便利で、地域経済が潤い、住民が参加して地域を再活性化して行く為の手段です。住民による住民の為の町づくり。当然、短期的には格差も生むでしょうし、人口分散としての高速道路無料化がむしろ人口集中という逆効果を生む可能性ももちろんある。しかし今のままの地域に権限は渡さないけれど、責任は取ってねという方向性では、中央集権型の上を向いて口を開けて待っていればいい事があるかもしれないというマインドは変わらない。
結局それは官僚の利権になり、政治家へのキックバックとなってしまう。脱官僚という事は、地域住民のコミットメントによって、官主導の政策決定や土地計画を国民の手に取り戻してそれを補う必要がある。
それが結局めんどくさいと言いながら、官僚の利権を許すな!!というのは筋が通らない。ただ乗り野郎的メンタリティでは、この方向性は上手く回らない。分権化してもクレクレ主義が国家ではなく、それぞれの地方のお上に変わるだけになってしまう。
その社会へのコミットメントを実現する為に、民主党の政策にはワークライフバランスのような方向性も入っている。これは我々が試されてもいる方向性でもある。このままお上依存のクレクレ主義的発想から脱却出来ないのであれば、この国の復活の経路はもう無いでしょう。国民自らそれでいいと思うのだから、もうどうにもなりません。
高速道路が無料化になるとそれ以外の交通手段が廃れてしまうのではないかというのも反対する人達の一つの根拠になっている。交通弱者達が影響を受けるのではないかと。そういう試算が出て来て、喜んでバカマスコミも報じたりしています。
これも結構おかしな所があって、通勤でバスとか電車を使っている人の多くは、そのまま使い続けるだろうし、バスで言えば高速バスが料金も下がり増えるわけだから、あんまり関係ないのではないかと思える。
要するに人口分散が起こるという事を前提にして言っているのであれば、そりゃ当然都市部の人口が地方に流れて行けば、都市部のバスや電車は人口が減るのだから利用者も減るでしょうけれど、それは分散化するからそうなるのであって、その為に無料化するのだからそんな事は当たり前の話です。
一極集中の現在の構造のままでは、人口減、超高齢化というのはどの道利用者を減らす事になりますから、短期的な目先の利益に縛られると、結局先々どうにもならなくなってからでは手遅れであるわけで、その為の人口分散を考えているわけですから、今の経営者が逃げ切る為の短期的な逃げ切り戦略で交通政策をねじ曲げられちゃかなわない。
今の構造のままではどの道地方は交通の足はどんどん不便になっている。結局車しか移動手段が無い地域が圧倒的であるわけです。そういう構造を転換させる為に、そもそも人口分散が必要だという話になっている。
飛行機会社にしたって人口分散はむしろありがたい話であるはずで、三大都市圏特に東京にばかり人口が集中している現在、羽田線ばかりが混んであとはガラガラの状態です。例えば北海道から石川県に移動するには高速道路では不便に決まっているわけで、高速で移動するのは2~3時間くらいで移動出来る距離ならいいけれど、それ以上になると逆に合理的ではなくなる。人が分散して住むようになれば、飛行機のニーズも増えるだろうし、需要が増えればコストも下がるでしょうから採算もあうようになる。それが観光の再活性化にも繋がるでしょう。
国土交通省というのは全く役に立たない役所で、日本では総合交通政策というのが皆無の状況です。そもそも交通手段の道路や鉄道や飛行機なんかをそれぞれ対立図式で考える事こそが不毛な発想で、国民にとって移動が便利になる、交通をシームレスにしていかに国民に取って便利な交通網にして行くかというのが一番重要な事であるはず。少なくともせっかくバカみたいに金をかけて作った高速道路を、無用の長物にしてしまう事が、合理的な交通政策であるとか、環境対策であるとか、そういう発想そのものがお門違いです。
高齢化社会になれば自動車の運転も難しくなって行くわけだから、都市計画としては歩く事で毎日の生活が事足りるような方向性にして行かなきゃどうしようもない。車を使う時には便利にして、鉄道のアクセスもよくしてあげる。地方都市の中での移動は出来るだけコミュニティバスを作るとか、生活者主体で国土や交通を考える発想が国土交通省には全然無い。利権の道具としてしか考えていない。これをどうにかしないとどうにもなりません。
問題は鉄道で大都市内は黒字で回るけれど、人口が一定より減ると鉄道では赤字になるので道路しかない。鉄道なら鉄道だけの売り上げを考えたり、バスならバスだけの利益を考えたりしているのでは、結局国民にとっての利便性は置き去りにされています。高速道路が無料化されると、鉄道会社が割を食うと言ったような敵対関係で総合交通政策を考えるのではなく、それぞれが相互乗り入れをして利便性を高める事とか、地域を開発するような住宅開発やショッピングセンター、高速バス事業、そういった事業に鉄道会社を優先的に参入させ、地域の開発事業そのものまでも参入させられるようにすると、鉄道会社というのはそういうノウハウも持っているので、そのノウハウを味方に付ければこれほど頼もしいものはない。
この国で自動車免許を持っている人というのは殆どが有権者。そして自動車を使って輸送をしていない企業は殆どない。物流の恩恵という意味で言えば、免許を持ってなくとも、子供であっても恩恵を受けていない人はいないわけで、だから大多数の人にとっては高速道路を無料化する事によって得られるメリットこそあれ、デメリットは少ないはず。一部鉄道会社やフェリー会社なんかは影響を受けるかもしれませんけれど、そういう所にちゃんと地方の再活性化に参加出来るように適切に対策をうてば、この国の構造的な問題を転換する事が出来る。
アメリカは戦前無料の高速道路が無かった時は人口が東部に集中し企業も集中していた。この時は全国の航空網も無かった。しかし無料の高速道路によって人口分散が起こり、世界一の航空網が出来た。航空網を充実させるには人口分散はかなり有効なリソースになる。鉄道網も同じです。
ドイツなんかはアウトバーンの上に高速鉄道を作り、都会には路面電車網を作り、それを深夜まで運転をしている。マルチの交通アクセスを考える事が交通行政であるはずで、先進国はどこもそれを考えている。
高速道路を無料化するなんて、未来に借金を押し付ける気か!!マニフェストなんて支持していない!!なんて吹き上がっていたのではどうにもならない。これは民主党の掲げるあらゆる分野の政策に対する反対の声に対しても同様で、どういうものであるのか自覚して適切にチェックしプレッシャーをかけなければサブスタンスは何も無い状況に陥って、また失われた10年を繰り返すだけになるでしょう。
何度も言いますが高速道路を有料のままにしておく理由は、借金返済でもなければ、財政再建でもありません。高速道路を有料にしておいて得な連中は、役人と政治家と一部のステークホルダー、中央主権国家維持こそが、広告料を独占し既得権護持できる大手マスコミの利権に他なりません。そういう連中の権益の為に多くの国民にとって得になる政策が邪魔されているのが現状です。
自分は比較的政策に関しては割と保守的な立ち位置で眺める癖があります。どんな政策でも必ず副作用があるからです。だけどこの政策に限っては副作用もあるだろうけれど、それを補うだけの効果が期待出来るように思えます。もちろんそれは我々にかかっているわけですが、我々にその気がないのなら、どの道もうどうにもならない。前にも書きましたが自分はどちらかと言うと悲観的にこれからのこの国の先行きを予想しております。ある程度人口バランスが適正化するまでは衰退して貧しくなって行く事は避けられないだろうと本当は思っている。それによってどうにもならなくなってからでは手遅れですので、かなり悲惨な状況にまで落ちる所まで落ちるだろうと。いったんドロップアウトしたら益々お終いの足の引っ張り合いの社会になり、疑心暗鬼は蔓延していくでしょう。それだって日本人が絶滅するわけではありませんからそれも仕方なしと思っている。
政治家や役人なんかに頼ってもろくでもない事になるに決まっているわけで、これはもう不可能である事はとっくにコンセンサスでしょう。
昭和の初期、この国が暴走して道を踏み外して行く時の状況に、今の状況は酷似している。長引く不況、無能な政治家、役人の暴走、大手バカメディアのチェック能力の欠如、国民の民主制に対する絶望。支持したにもかかわらず民主党の政策を指示したわけではないと雄叫びをあげているバカがいっぱいいますけれど、その事一つをとっても民主制が機能していない。政権交代が起こったから民主制がやっと機能したように思えたけれど、それは単なる錯覚でしかなかったというわけです。
昭和初期のその後の顛末を見れば原爆まで落とされて徹底的な敗戦をむかえるまで結局ブレーキは踏めなかった。今はその時と同じように戦争になる可能性は低いでしょうけれど、おそらく同じような悲劇を味合わないとブレーキが踏めないでしょう。国民のマインドは変わらない。考えようによっては前大戦の時の方が物理的に徹底的なダメージを食らったから強制的にブレーキを踏まざるを得ない状況に陥ったわけだから、その物理的な外部からのインパクトが無い分だけ、少しずつ痛みが加速して行って、ブレーキを踏む事が出来ずにズルズルとグズグズと絶望をまき散らして、もっとどうにもならなくなるまでブレーキが踏めないかもしれない。少しずつ痛みが増えるという事は耐性がつきやすいので、慣れてしまうからです。もっと悲惨な事態になるかもしれない。
唯一可能性としてあり得ると思えるのは、分権化して我々が引き受けられるか否かにあると思える。それだって、多分引き受けるのなんてめんどくさいと思う人が大部分であろうし、逃げ切れる連中は逃げ切りにのみ全力を注ぎ、俺に分け前をよこせの足の引っ張り合いは終わらないであろうから、その可能性もか細いものでしかないので本音を言えば無理だと思っています。
しかし仮にその突破口を突破して、分権化が進み、人口分散が進んで、企業が都会から地方に出て行けるようになれば、一次産業への転換も自然に進んで行くであろうし、少子化対策にも一定の効果が見込めるように思える。一次産業というのは人手を必要とするので家族は多い方が有利になるからです。分権化すれば自然に多様性は生まれるであろうし、多少は希望が持てる方向性に進めるかどうかは、先ず分権化によって、人口分散が進むか否かにあると思えます。そこが転がり出せば、後は結構どうにかなるように思える。落ちる所まで落ちる前に、劇的な右肩上がりは無理にしろ、なんとか歯止めがかけられると思えるのです。
民主党の政策というのも、役人のコントロールが全く上手く行かず、財源確保も上手く行かないので、そもそも出来ないような気もするし、4年間キッチリやれば何とかなるかもしれませんけれど、すでに自民党の大臣と大差ない振る舞いをしている愚か者もいるし、鳩山の献金問題もネガティブな影響があるでしょうから、来年の参院選だって怪しい感じがしています。何も出来ずにあっという間にひっくり返る可能性だってある。自民党がより拍車をかけてマヌケなので何とか支持率を保っていますが、それだって記者クラブの利権を守ってもらっている大手メディアの情報操作がかなり影響しているでしょう。チェックが適切になされていない。なので民主党の方向性自体も揺らいでいるので、かなり厳しい状態にあると言えるでしょう。
非常に単純に言うと、小泉改革なるもので、一応目指すと言っていた方向性というのも分権化だと書きましたけれど、これは順番としては小さな政府を優先し分権化をしようとしたのだけれど、国民が耐えきれずに悲鳴を上げて文句を言っていた。だから国民に分配するものを分配した上で、分権化しましょうという方向性に今は切り替わっている。しかし分配するにも分配するものが無いという問題もあるし、俺に分け前をよこせとやり合っているので話も前に進まないのですが、基本的に民主党のマニフェストやインデックスなんかに掲げられた政策というのは、もちろん賛成出来ないものもあるんですけれど、個人的には条件付きで賛成というものが多い。
その条件というのは分権化する事です。この前提が無ければ賛成出来ない。子供手当なんかも分権化して人口分散を進めて行くという前提があって初めて意味が出てくるだろうと思えるし、農業への個別補償なんかもその前提が無ければ次に繋がらない。その前提を担保出来なければ、何をやっても単なるバラマキにしかならず、短期的に救う事が出来たとしても、本質的な救いの手当にはならない。すなわちツケを先送りして、泥舟の沈没の速度を速めるだけです。
その前提を担保するのに効果があるだろうと思えるから、高速の無料化に賛成しているのであって、いわば前提を担保する前提だと思えるからやれと言っているのです。もちろん高速無料化したから、すぐに人口分散が起こるなんて思っているわけではありませんけれど、出来るだけ素早くその体制に移行しないともう時間もない。前提を担保する為に必要な措置を出来るだけ速やかに打つ必要がある。その一手になるだろうと思えるから書いているのです。
もちろんそこを突破出来たからと言ったって問題は山積している。例えば子供手当を例にとりますけれど、人口分散が進んで一次産業への構造転換が進んだとする。その上であったとしても、子供手当で子供を増やす事に対して援助して行くとどういう事になるか?これは簡単な話ですが、高学歴層や高収入な層というのが今現在も子だくさんって訳ではありません。そういう人達は経済的な問題で子供を作らないのではない。だからどっち道子供は作らない。しかし低学歴層というのは今でも出来ちゃった婚なんてパターンが多いように、比較的無計画に子供を作ってしまう。これを支援する事になるわけだから、どういう事になるかと言うと、映画「イデオクラシー」(邦題「26世紀青年」アホなネーミングで泣きたくなりますが、非常に良く出来た悪意満載のSFコメディ映画です)じゃありませんけれど、バカばっかりの社会になってしまう。
実際アメリカなんかはもうそういう状況になっていて、この映画が非常に多くの人に不快感を与えお蔵入りになりはぐった。怒る人がいっぱいいるという事は実際に的を射ているからでもある。日本もすでにそういう状況になっているとも言える。これが益々加速して行くことになるわけだから、バカばっかりの民主主義というのは最悪の状況だとも言える。そうならないような教育の体制が出来ているのかと言えば、今現在でもバカになったと大騒ぎしている輩がいっぱいいるのだから、益々手に負えなくなるでしょう。と言ったように問題は山積みであり、今この段階で必要だと思えるから条件付きで賛成しているだけで、それをやればすべて上手く行くわけではなく、そこから先もやるべき事はいっぱいあるし、民主制によって監視して行く事が必要不可欠です。
中々時間もなくて思うように書き進む事が出来ませんでしたけれど、選ぶのは我々ですから、すでに選択して合意した事とは言え、みんなでその気が無ければ頓挫するでしょう。自分は今の政権の政策の中で、少なくとも高速道路の無料化に関してはやるなではなく、やれのほうがいいと思えます。もちろんそれはあくまで自分がそう思うというだけですので、やるなと言うのも自由ですが、今この国がどういう状況で、必要なものはなんであるのか?
自分にとって必要な事ばかりを言い合いしていたのでは民主主義は機能しません。民主主義が機能しなくても、この国が民主国家でなければ別に構わないのですが、民主国家であるにも関わらず民主主義が機能しないとなると何も出来ない事になる。一度それによって失敗して地獄を味わったのですから、同じ過ちは繰り返して欲しくないものです。
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道路公団を民営化するかどうかもしかりで、民営化であろうが国営であろうが、問題がある事には何ら変化はない。民間にした方がそのスキームが貫徹出来るのなら話もわかるけれど、別にどうしても民間にしないと出来ない改革だったのか?と、見直してみるとたいした事はやっていないように見えるし、余計わかりづらくしているようにも見えるので、そこに悪意を感じざるを得ない。
高速道路無料化というのは、道路の無駄を削るという事が一番重要なんじゃなくて、高速道路を無料化にする事そのものが重要な意味が含まれているのではないかと思える政策です。郵政を民営化したり、道路公団を民営化するような、わかり難いし、効果があまり国民的な実感として感じる事が出来ないような政策と違って、この国の構造を転換させるためには有効な手段であるだろうと思えるからです。
分権化による人口分散、内需型の一次産業への転換、超高齢化への対処、多様性を埋め込む為の一手、単純な景気対策、無駄な道路へ金を使う構造の是正、経済の損益分岐点を下げるための産業構造の分散化、実に様々な処方箋が入っている。もちろん最後には我々にかかっているわけですが、我々の手に委ねるも何もリソースがなければ委ねられたって何も出来ません。
もちろんこれらの方向性というのは高速道路を無料にしなくとも出来るではないかという批判もあるでしょう。確実だとは言えないではないかと言いたい人もいるのでしょう。まあそれはそうなんですが、グズグズしている余裕も今のこの国の状態を見ていると無いわけで、今何とかなりそうな方法で、これらを同時に担保出来るような方法を政治家が考えつくとも思えないし、合意出来るようにも思えない。
何も政策を打たなければ、その構造の転換は進まないでしょうし、構造転換する為には、何らかの政策を打たないと前に進まない。その政策が他にあるのか?という問題です。確実でなければ政策を打てないと言い出したら、政策なんて何も打てないわけで、今の今までフィージビリティスタディもクソもなく無駄に金を使い、無意味な政策を延々と続けて来たのに、政権交代した途端にいきなりそんな厳しい要求を突きつけてもクリア出来なくなるだけです。上手く行かないとしたら、高速の無料化前提で是正措置を打てばいい話です。元々ただにするって約束して作ったんですから、その方がスジが通っている。
今のまま成長戦略も無く、構造転換も進まず、ただどこに予算を付けるのかという奪い合いが繰り返されて行けば、もう出口は無くなる。後5年がタイムリミットでしょう。例えば温暖化対策にしろ、高速無料化にしろ、それによって国民負担が現状より増えるという話が、経産省やひも付きの学者達のネガティブなインチキ試算で出て来て、それの一番高い数字だけをインチキメディアが報じたりしますが、これらは現状がこのまま続かないという前提が入っていない。
要するに温暖化対策をしらばっくれたまま、各国からサンクションを受けたりプレッシャーを受けたり、新興国の台頭によってどれくらいのエネルギー価格の上昇や、その枯渇問題がどれくらいの可能性で、それが外交問題に発展した場合、この国の外交力の無さがどのように悪影響を及ぼすのか?とか、外需依存の中央集権体制一極集中少子超高齢化人口減社会を転換させられない場合のネガティブさがどれくらいの影響を及ぼしてしまうのか?とか、それにともなう国民負担がどれくらい増えるのか?とか、現状がこのまま続かないという当たり前さを考慮していないとか、極めて恣意的に低く楽観的に見積もっている場合が多く、温暖化対策や高速道路無料化がただ単に国民負担を増やす為だけの政策であるかのような報じられ方がされる。
しかし当たり前ですが、現状がこのまま続く事などはあり得ないし、現状維持が出来ないから何らかの温暖化対策なり分権化対策なりが必要であるという話になっているという事をニグレクトしている。最悪の事態に備えて対策は打たなきゃならない。事業仕分けにしてもそうですけれど、ただ削ればいいってもんじゃない的な批判も多いけど、それでは削らずにこのまま現状維持で行けるのかと言えば、行けないからやっているわけで、これは単に予算を圧縮するという目的が重要なんじゃなくて、行政の透明化をはからないと外からの投資を呼び込めないから必要だという話になる。後5年もすれば外人の国債比率を上げてもらわないと、どうにもならなくなります。日本人の資産だけでは財政を支えきれなくなる。金が何に使われていて、どんな効果があるのかもわからない代物に投資をするバカはいません。不透明なまま現状維持をしていても、せいぜい5年が限界で、今回の税収不足による予算の内分けなんかを見ていると、もうかなりヤバい段階に入っています。
それを全く度外視して、分権化も必要ないし、人口分散の必要もない、内需転換する必要もなければ、超高齢化放置でOK、多様性なんて無い方がいいし、景気はこのまま悪化して構わない。無駄な道路だろうがなんだろうがバンバン金を使えばいいし、経済の損益分岐点なんて下げる必要は無く、人件費をバンバン削って、新卒を渋ればOK、全部お上にお任せで構わないのだ。とでも言うのなら、これは論点がそもそも全く噛み合ないので、そう思っている人に無料化の必要性を説いても理解してもらえないでしょうけれど、こういった事は是正した方がいいと思う人の方が多いのでしょうから、無料化よりも効果的な何らかの手段があるのなら示してほしい。
単純に道路が無料になって旅行やレジャーが出来るようになるようなレイヤーの問題はたいした問題ではないと書きましたけれど、それだって不景気で煮詰りやすい状況に多くの人がさらされている現在、どっかに行って気分転換出来れば、それも幸福な生活の一つの糧にもなりうるだろうし、若い子達が就職難で四苦八苦している状況の今、どっかに旅をしたりするだけだって、一つの新たな価値観を開くオルタレーションのきっかけになる場合だってあるでしょう。地方へと生活の場を移すという可能性も開く事が出来る。
自分が今いる場所で上手く行かないとか、煮詰まってしまっているような状況を、簡単に新たな場所に移動出来て生活も出来るようになれば、人生において経験出来る選択肢は増えるでしょう。貧しくともその可能性があれば、人は極端に絶望する事無く生活を送る事は出来ると思う。
超高齢化が手遅れになる前に、高速道路を突破口とした分権化、一次産業へのシフトによって内需を拡大して雇用を生み、いったんドロップアウトしたらお終いの社会ではなく、きちんとセーフティネットによってもう一度復活出来るような仕組み、誰でも社会参加が可能になるには、生活だけでなくて時間にも余裕が無いとできませんから、ワークライフバランスによってお任せする政治から引き受ける政治へとマインドを変える。これは育休の取得率を上昇させるのと連動して、少子化に対する対策にもなっている。
農家への価格補償から個別補償への切り替えなんかも、もちろんこういう構造の変化には重要な政策で、例えば現在の日本の米は700%以上の関税で価格を補償して守っている。だけどこれでは毒米問題で大騒ぎしたように、減反政策をやりながらミニマムアクセス米を輸入しなければならないようなサンクションを受ける事になる。それで自給率が下がったと騒いでいるのだから意味が分からない。これでは農業は守れない。零細農家を零細のまま動員装置として利用する為の制度です。
そもそも民族学者で有名な柳田國男が打ち出したこの国の農政本流の発想からすれば著しくかけ離れてもいる。米とか麦とか国民にとっての必需品は安く供給しなければ、生活者が困窮してしまう。それを価格補償なんてやっている状態は生活者を無視した、JAや農水省を守って農業を守らずという自滅の発想です。
農家を直接個別補償によって支援する事によって、外に日本の農産物をどんどん売れるような体制にする事は農業の発展にも重要です。これはヨーロッパやアメリカ、先進国ではむしろ当たり前の政策でバラマキでもなんでもない。価格を補償して農業の自由化を阻止し、関税をかける事によって必要の無い米を外から買い入れて、国内の自給率を下げるなんてのは愚の骨頂です。農家を直接支援して、自由化を阻止するのではなくむしろ開いて、世界のマーケットを相手に商売が出来るようになれば、農業も大きなビジネスチャンスに繋がる。
道路公団民営化の成功例として猪瀬なんかがよくサービスエリアを民間に開放したのでサービスが良くなっていると言っていますが、確かにサービスは良くなり綺麗にもなったので嘘を言っているわけではありません。しかしこれもやっぱりデタラメな話で、昔はファミリー企業がそこを牛耳っていてその事に猪瀬なんかが文句を言っていたわけですが、国が100%もっている民間会社でありながら、民間会社だから介入するなと、益々ファミリー企業や関係企業がやりたい放題に振る舞えるようにしてしまって、実質上サービスが向上していると見せかけは整えていますが、その上前をキッチリはねている。
これもふざけた話で、国民の資産の私物化に他なりません。そこの土地を全部売却するか、不動産会社にして株を全部売却するべきで、地元優先で民間が誰でも参入出来るようにしないと意味が無い。しかも無料じゃないから外部からは入れない。これを無料化すれば誰でも入れるので客も増える。一般道路脇のお店と同じ扱いになる。国道の出入り口のまわりにどういう店を作るのかという、地域主導の土地計画によって地域参加で決めてくれという方向性に変える事になる。これを天下り集団の利権や道路族の利権の為に牛耳らせておいては出口が無い。
民営化会社や料金所で働いている人達はどうするのだ!!という切り口で猪瀬直樹なんかも批判します。そういう人達を斬り捨てるのかと。まあもっともらしい言い分に聞こえますけれど、道路公団の職員が2万人、料金所で働いている人が6000人と言われています。仮にその人達に仕事が無くなったとしても、それ以上の経済効果や雇用の創出が生まれるのだとすれば、その人達の雇用を守る為に、全国民が犠牲になるのは合理的ではありません。今は多くの人が職を失い、安定を失っている時代なわけですから。
それに国鉄の時は50万人も人がいたから大変だったわけですが、それに比べたらたいした数ではありません。何もそういう所で働いている人達を斬り捨てろって話でもないのです。
今後の高速道路の民営化会社の正しい姿というのは、サービスエリアなどの10兆にも及ぶ土地をいかにして活用するのか?という所にかかっている。要するに売却してその土地土地に街が出来上がる可能性が生まれる。当たり前ですが道を作るよりも街を作る方が雇用は生まれる。
不動産開発会社にするにしても、管理会社が必要になる。今でも出入り口が800あって、それを3キロに一つくらいに増やすと2000カ所以上の出入り口が出来る。そこに仮に半分でも街が出来て行けばもの凄く多くの雇用機会が生まれる。単純に不動産会社で雇用すれば、料金所だけでも6000人と言われる雇用の創出なんて楽勝な話です。逆に手が足りないくらいかもしれない。十分に雇用機会を作る事が出来る。それに街や出入り口の数が増えるという事は、公共事業で飯を食っている人達にとっても仕事が増える事になるわけで誰も損しない。
早く無料化して不動産会社にするか土地を売却してしまわないと、地域の拠点を作る事や、活性化や雇用の創出に繋がらない。やっぱり地方はどうしたって不便であるわけで、わざわざ都市部に行かなくとも、地域地域に拠点が出来てそこそこ便利にならないと人も住まない。
結局都会で働いているサービス業などの人達の仕事が地方に流れて行くだけだから、実質雇用は増えないのではないか?という反論もあるでしょうけれど、それが重要な人口分散へのステップになる。分散化してこそ外需一辺倒から内需、一次産業への構造転換も進む。
それが真の意味での地域主権の強力なリソースになる。住民達にとって便利で、地域経済が潤い、住民が参加して地域を再活性化して行く為の手段です。住民による住民の為の町づくり。当然、短期的には格差も生むでしょうし、人口分散としての高速道路無料化がむしろ人口集中という逆効果を生む可能性ももちろんある。しかし今のままの地域に権限は渡さないけれど、責任は取ってねという方向性では、中央集権型の上を向いて口を開けて待っていればいい事があるかもしれないというマインドは変わらない。
結局それは官僚の利権になり、政治家へのキックバックとなってしまう。脱官僚という事は、地域住民のコミットメントによって、官主導の政策決定や土地計画を国民の手に取り戻してそれを補う必要がある。
それが結局めんどくさいと言いながら、官僚の利権を許すな!!というのは筋が通らない。ただ乗り野郎的メンタリティでは、この方向性は上手く回らない。分権化してもクレクレ主義が国家ではなく、それぞれの地方のお上に変わるだけになってしまう。
その社会へのコミットメントを実現する為に、民主党の政策にはワークライフバランスのような方向性も入っている。これは我々が試されてもいる方向性でもある。このままお上依存のクレクレ主義的発想から脱却出来ないのであれば、この国の復活の経路はもう無いでしょう。国民自らそれでいいと思うのだから、もうどうにもなりません。
高速道路が無料化になるとそれ以外の交通手段が廃れてしまうのではないかというのも反対する人達の一つの根拠になっている。交通弱者達が影響を受けるのではないかと。そういう試算が出て来て、喜んでバカマスコミも報じたりしています。
これも結構おかしな所があって、通勤でバスとか電車を使っている人の多くは、そのまま使い続けるだろうし、バスで言えば高速バスが料金も下がり増えるわけだから、あんまり関係ないのではないかと思える。
要するに人口分散が起こるという事を前提にして言っているのであれば、そりゃ当然都市部の人口が地方に流れて行けば、都市部のバスや電車は人口が減るのだから利用者も減るでしょうけれど、それは分散化するからそうなるのであって、その為に無料化するのだからそんな事は当たり前の話です。
一極集中の現在の構造のままでは、人口減、超高齢化というのはどの道利用者を減らす事になりますから、短期的な目先の利益に縛られると、結局先々どうにもならなくなってからでは手遅れであるわけで、その為の人口分散を考えているわけですから、今の経営者が逃げ切る為の短期的な逃げ切り戦略で交通政策をねじ曲げられちゃかなわない。
今の構造のままではどの道地方は交通の足はどんどん不便になっている。結局車しか移動手段が無い地域が圧倒的であるわけです。そういう構造を転換させる為に、そもそも人口分散が必要だという話になっている。
飛行機会社にしたって人口分散はむしろありがたい話であるはずで、三大都市圏特に東京にばかり人口が集中している現在、羽田線ばかりが混んであとはガラガラの状態です。例えば北海道から石川県に移動するには高速道路では不便に決まっているわけで、高速で移動するのは2~3時間くらいで移動出来る距離ならいいけれど、それ以上になると逆に合理的ではなくなる。人が分散して住むようになれば、飛行機のニーズも増えるだろうし、需要が増えればコストも下がるでしょうから採算もあうようになる。それが観光の再活性化にも繋がるでしょう。
国土交通省というのは全く役に立たない役所で、日本では総合交通政策というのが皆無の状況です。そもそも交通手段の道路や鉄道や飛行機なんかをそれぞれ対立図式で考える事こそが不毛な発想で、国民にとって移動が便利になる、交通をシームレスにしていかに国民に取って便利な交通網にして行くかというのが一番重要な事であるはず。少なくともせっかくバカみたいに金をかけて作った高速道路を、無用の長物にしてしまう事が、合理的な交通政策であるとか、環境対策であるとか、そういう発想そのものがお門違いです。
高齢化社会になれば自動車の運転も難しくなって行くわけだから、都市計画としては歩く事で毎日の生活が事足りるような方向性にして行かなきゃどうしようもない。車を使う時には便利にして、鉄道のアクセスもよくしてあげる。地方都市の中での移動は出来るだけコミュニティバスを作るとか、生活者主体で国土や交通を考える発想が国土交通省には全然無い。利権の道具としてしか考えていない。これをどうにかしないとどうにもなりません。
問題は鉄道で大都市内は黒字で回るけれど、人口が一定より減ると鉄道では赤字になるので道路しかない。鉄道なら鉄道だけの売り上げを考えたり、バスならバスだけの利益を考えたりしているのでは、結局国民にとっての利便性は置き去りにされています。高速道路が無料化されると、鉄道会社が割を食うと言ったような敵対関係で総合交通政策を考えるのではなく、それぞれが相互乗り入れをして利便性を高める事とか、地域を開発するような住宅開発やショッピングセンター、高速バス事業、そういった事業に鉄道会社を優先的に参入させ、地域の開発事業そのものまでも参入させられるようにすると、鉄道会社というのはそういうノウハウも持っているので、そのノウハウを味方に付ければこれほど頼もしいものはない。
この国で自動車免許を持っている人というのは殆どが有権者。そして自動車を使って輸送をしていない企業は殆どない。物流の恩恵という意味で言えば、免許を持ってなくとも、子供であっても恩恵を受けていない人はいないわけで、だから大多数の人にとっては高速道路を無料化する事によって得られるメリットこそあれ、デメリットは少ないはず。一部鉄道会社やフェリー会社なんかは影響を受けるかもしれませんけれど、そういう所にちゃんと地方の再活性化に参加出来るように適切に対策をうてば、この国の構造的な問題を転換する事が出来る。
アメリカは戦前無料の高速道路が無かった時は人口が東部に集中し企業も集中していた。この時は全国の航空網も無かった。しかし無料の高速道路によって人口分散が起こり、世界一の航空網が出来た。航空網を充実させるには人口分散はかなり有効なリソースになる。鉄道網も同じです。
ドイツなんかはアウトバーンの上に高速鉄道を作り、都会には路面電車網を作り、それを深夜まで運転をしている。マルチの交通アクセスを考える事が交通行政であるはずで、先進国はどこもそれを考えている。
高速道路を無料化するなんて、未来に借金を押し付ける気か!!マニフェストなんて支持していない!!なんて吹き上がっていたのではどうにもならない。これは民主党の掲げるあらゆる分野の政策に対する反対の声に対しても同様で、どういうものであるのか自覚して適切にチェックしプレッシャーをかけなければサブスタンスは何も無い状況に陥って、また失われた10年を繰り返すだけになるでしょう。
何度も言いますが高速道路を有料のままにしておく理由は、借金返済でもなければ、財政再建でもありません。高速道路を有料にしておいて得な連中は、役人と政治家と一部のステークホルダー、中央主権国家維持こそが、広告料を独占し既得権護持できる大手マスコミの利権に他なりません。そういう連中の権益の為に多くの国民にとって得になる政策が邪魔されているのが現状です。
自分は比較的政策に関しては割と保守的な立ち位置で眺める癖があります。どんな政策でも必ず副作用があるからです。だけどこの政策に限っては副作用もあるだろうけれど、それを補うだけの効果が期待出来るように思えます。もちろんそれは我々にかかっているわけですが、我々にその気がないのなら、どの道もうどうにもならない。前にも書きましたが自分はどちらかと言うと悲観的にこれからのこの国の先行きを予想しております。ある程度人口バランスが適正化するまでは衰退して貧しくなって行く事は避けられないだろうと本当は思っている。それによってどうにもならなくなってからでは手遅れですので、かなり悲惨な状況にまで落ちる所まで落ちるだろうと。いったんドロップアウトしたら益々お終いの足の引っ張り合いの社会になり、疑心暗鬼は蔓延していくでしょう。それだって日本人が絶滅するわけではありませんからそれも仕方なしと思っている。
政治家や役人なんかに頼ってもろくでもない事になるに決まっているわけで、これはもう不可能である事はとっくにコンセンサスでしょう。
昭和の初期、この国が暴走して道を踏み外して行く時の状況に、今の状況は酷似している。長引く不況、無能な政治家、役人の暴走、大手バカメディアのチェック能力の欠如、国民の民主制に対する絶望。支持したにもかかわらず民主党の政策を指示したわけではないと雄叫びをあげているバカがいっぱいいますけれど、その事一つをとっても民主制が機能していない。政権交代が起こったから民主制がやっと機能したように思えたけれど、それは単なる錯覚でしかなかったというわけです。
昭和初期のその後の顛末を見れば原爆まで落とされて徹底的な敗戦をむかえるまで結局ブレーキは踏めなかった。今はその時と同じように戦争になる可能性は低いでしょうけれど、おそらく同じような悲劇を味合わないとブレーキが踏めないでしょう。国民のマインドは変わらない。考えようによっては前大戦の時の方が物理的に徹底的なダメージを食らったから強制的にブレーキを踏まざるを得ない状況に陥ったわけだから、その物理的な外部からのインパクトが無い分だけ、少しずつ痛みが加速して行って、ブレーキを踏む事が出来ずにズルズルとグズグズと絶望をまき散らして、もっとどうにもならなくなるまでブレーキが踏めないかもしれない。少しずつ痛みが増えるという事は耐性がつきやすいので、慣れてしまうからです。もっと悲惨な事態になるかもしれない。
唯一可能性としてあり得ると思えるのは、分権化して我々が引き受けられるか否かにあると思える。それだって、多分引き受けるのなんてめんどくさいと思う人が大部分であろうし、逃げ切れる連中は逃げ切りにのみ全力を注ぎ、俺に分け前をよこせの足の引っ張り合いは終わらないであろうから、その可能性もか細いものでしかないので本音を言えば無理だと思っています。
しかし仮にその突破口を突破して、分権化が進み、人口分散が進んで、企業が都会から地方に出て行けるようになれば、一次産業への転換も自然に進んで行くであろうし、少子化対策にも一定の効果が見込めるように思える。一次産業というのは人手を必要とするので家族は多い方が有利になるからです。分権化すれば自然に多様性は生まれるであろうし、多少は希望が持てる方向性に進めるかどうかは、先ず分権化によって、人口分散が進むか否かにあると思えます。そこが転がり出せば、後は結構どうにかなるように思える。落ちる所まで落ちる前に、劇的な右肩上がりは無理にしろ、なんとか歯止めがかけられると思えるのです。
民主党の政策というのも、役人のコントロールが全く上手く行かず、財源確保も上手く行かないので、そもそも出来ないような気もするし、4年間キッチリやれば何とかなるかもしれませんけれど、すでに自民党の大臣と大差ない振る舞いをしている愚か者もいるし、鳩山の献金問題もネガティブな影響があるでしょうから、来年の参院選だって怪しい感じがしています。何も出来ずにあっという間にひっくり返る可能性だってある。自民党がより拍車をかけてマヌケなので何とか支持率を保っていますが、それだって記者クラブの利権を守ってもらっている大手メディアの情報操作がかなり影響しているでしょう。チェックが適切になされていない。なので民主党の方向性自体も揺らいでいるので、かなり厳しい状態にあると言えるでしょう。
非常に単純に言うと、小泉改革なるもので、一応目指すと言っていた方向性というのも分権化だと書きましたけれど、これは順番としては小さな政府を優先し分権化をしようとしたのだけれど、国民が耐えきれずに悲鳴を上げて文句を言っていた。だから国民に分配するものを分配した上で、分権化しましょうという方向性に今は切り替わっている。しかし分配するにも分配するものが無いという問題もあるし、俺に分け前をよこせとやり合っているので話も前に進まないのですが、基本的に民主党のマニフェストやインデックスなんかに掲げられた政策というのは、もちろん賛成出来ないものもあるんですけれど、個人的には条件付きで賛成というものが多い。
その条件というのは分権化する事です。この前提が無ければ賛成出来ない。子供手当なんかも分権化して人口分散を進めて行くという前提があって初めて意味が出てくるだろうと思えるし、農業への個別補償なんかもその前提が無ければ次に繋がらない。その前提を担保出来なければ、何をやっても単なるバラマキにしかならず、短期的に救う事が出来たとしても、本質的な救いの手当にはならない。すなわちツケを先送りして、泥舟の沈没の速度を速めるだけです。
その前提を担保するのに効果があるだろうと思えるから、高速の無料化に賛成しているのであって、いわば前提を担保する前提だと思えるからやれと言っているのです。もちろん高速無料化したから、すぐに人口分散が起こるなんて思っているわけではありませんけれど、出来るだけ素早くその体制に移行しないともう時間もない。前提を担保する為に必要な措置を出来るだけ速やかに打つ必要がある。その一手になるだろうと思えるから書いているのです。
もちろんそこを突破出来たからと言ったって問題は山積している。例えば子供手当を例にとりますけれど、人口分散が進んで一次産業への構造転換が進んだとする。その上であったとしても、子供手当で子供を増やす事に対して援助して行くとどういう事になるか?これは簡単な話ですが、高学歴層や高収入な層というのが今現在も子だくさんって訳ではありません。そういう人達は経済的な問題で子供を作らないのではない。だからどっち道子供は作らない。しかし低学歴層というのは今でも出来ちゃった婚なんてパターンが多いように、比較的無計画に子供を作ってしまう。これを支援する事になるわけだから、どういう事になるかと言うと、映画「イデオクラシー」(邦題「26世紀青年」アホなネーミングで泣きたくなりますが、非常に良く出来た悪意満載のSFコメディ映画です)じゃありませんけれど、バカばっかりの社会になってしまう。
実際アメリカなんかはもうそういう状況になっていて、この映画が非常に多くの人に不快感を与えお蔵入りになりはぐった。怒る人がいっぱいいるという事は実際に的を射ているからでもある。日本もすでにそういう状況になっているとも言える。これが益々加速して行くことになるわけだから、バカばっかりの民主主義というのは最悪の状況だとも言える。そうならないような教育の体制が出来ているのかと言えば、今現在でもバカになったと大騒ぎしている輩がいっぱいいるのだから、益々手に負えなくなるでしょう。と言ったように問題は山積みであり、今この段階で必要だと思えるから条件付きで賛成しているだけで、それをやればすべて上手く行くわけではなく、そこから先もやるべき事はいっぱいあるし、民主制によって監視して行く事が必要不可欠です。
中々時間もなくて思うように書き進む事が出来ませんでしたけれど、選ぶのは我々ですから、すでに選択して合意した事とは言え、みんなでその気が無ければ頓挫するでしょう。自分は今の政権の政策の中で、少なくとも高速道路の無料化に関してはやるなではなく、やれのほうがいいと思えます。もちろんそれはあくまで自分がそう思うというだけですので、やるなと言うのも自由ですが、今この国がどういう状況で、必要なものはなんであるのか?
自分にとって必要な事ばかりを言い合いしていたのでは民主主義は機能しません。民主主義が機能しなくても、この国が民主国家でなければ別に構わないのですが、民主国家であるにも関わらず民主主義が機能しないとなると何も出来ない事になる。一度それによって失敗して地獄を味わったのですから、同じ過ちは繰り返して欲しくないものです。
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