前回の続きです。
マスメディアがこの不況の煽りを食って赤字だとかほざいていますが、日本語という壁に守られて、しかも統治権力から独占を許されて、競争のない状態で、広告費を独占し、記者クラブ制度、再販価格制度、クロスオーナーシップという特権を認めてもらいながら、テレビにいたっては考えられないような安い電波使用量(これは我々国民の資産です)、固定資産税免除、安価での国有地の払い下げ、書き出すのもアホらしくなるような独占構造を許されていながら、赤字ってどういう事だよ?って話です。どうやって経営すればそうなるんだ?よっぽどバカか、無駄遣いをしているとしか考えられない。
日本の予算一般会計が80兆、国会で審議する事無く役人のポケットに入って行く特別会計と合わせると212兆、それが公的セクターで天下り先、ファミリー企業や独法、三セクなんかで利益を回している。それが年間グロスで668兆にも及ぶ。これは日本のGDPを100兆以上上回っている。不景気だっつってんのにありえない構造です。権益と非効率と無駄に塗れた構造に、それだけ国民の血税を使って垂れ流されている。こういう所を放置して消費税とかほざいているわけです。
これと全く同じ図式が大手マスメディアにも見られる。独占によって利益を回し、明らかに無駄と非効率に塗れた高コスト構造で回っている。入社3年目で平均年収が1000万を越すといわれる考えられないような人件費、制作費、そしてコネ入社、末端の制作会社を搾取して、偽装請け負いや、いまの派遣問題と全く変わらないような構造で回っている。
これが競争によって得られた結果であるのなら千歩譲ってしょうがないと思いますが、独占を許されて、しかも非効率且つ高コスト構造を放置して来て赤字とはどういう事だ?って話です。これは日本の財政が借金まみれになっている構造と全く同じ構造です。こういう構造を放置して来て、赤字で苦しいとか言っている。バカじゃねえかって話です。
そういう所で不景気であるにもかかわらず金を回して利益を貪っているわけですから、当然そいつらの利益を守ろうとすれば、誰かが痛い目に合わなきゃならなくなる。その構造に気付かれちゃ困るから、経済成長害悪説、経済成長出来ない論、ココロが満たされればいいじゃないか論、のんびりスローライフ論、その他様々な経済成長をさせまいとする啓蒙をまるで幸せはそこにあるかのようにほざいているわけです。
ハッキリ言って彼らは彼らの特権を守る事以外は興味も無いに決まってます。少なくとも意思決定出来る立場にいる人間は、逃げ切れれば知ったこっちゃないからです。そしてそれに従っている人間も現状でおいしい汁が吸えているうちは問題があるのは百も承知だけれど自浄作用なんて働くはずも無い。たまに自己満足の為に反省しているフリを見せる程度で、派遣の人間が野たれ死にするとしたって何とも思っちゃいないでしょう。面白いネタが出来たぐらいにしか。
赤字経営だからといっても、独占が解除されなければ結局何も変わらない。反省する事もないだろうし、自浄作用なんて働くはずもない。官僚にしろ自民党のクズ共にしろ、自分達で自分達の構造を解体出来ないのと一緒で、自浄作用なんて期待するだけ無駄です。
内部から構造を変えるという事にはどうしても限界が生じます。なぜならその人も内部の構造をつくっている一部であるからです。ソ連が崩壊したときもゴルバチョフがペレストロイカ、グラスノスチと騒いでいたけれど、結局彼は解体するまで出来なかった。解任されて共産党を追い出されていたエリツィンが再び外から復活してバラバラに共産党をぶっ壊した。小泉もそう、自民党をぶっ壊すと言ってましたが、彼自身が自民党の一部であるわけで、彼が存在するという事が即ち自民党の存続と生き残りになる。したがって相も変わらずバカ丸出しのクズ政党として残っている。
ただし内部から変化させるというのは長期的に見るとありえる。結局小泉が自民党的統治システムはぶっ壊したと言える。だけど自民党自体はしばらく残ってしまう。バラバラに崩壊するまで、まわりに害をまき散らして存続しようとなりふり構わず振る舞って、まわりをズタズタにしてしまう。
ゆっくりと構造を変化させた方が上手く行く場合もありますが、害をまき散らしているようなマスメディアにしろ、統治権力にしろ、被害の大きい存在は、やっぱり内部からチマチマ構造を変えるなんて事をしている間に、人はどんどん死んで行く。外部から引導を渡してやらないと自滅するまでまわりが被害を被ってしまう。
少し前のエントリーでマスメディアが底を打ったような感じがするという事を書きました。が、それはマスコミが心を入れ替えてまともになるという話ではなく、今の報道なんかをみる限り独力では無理な感じがします。今回の派遣報道なんかもそうで、強者弱者の二元論、弱者救済、格差是正の単純な図式、ポピュリズムに媚び媚びの頭の悪過ぎる報じ方で報道に力なんて入れたら(テレビなんかは今年から各社力を入れるみたいですが)自殺行為に近いものがある。なので既存のマスメディア的なものをボロクソに炎上させるようなネットの梯子はずしとセットでないと、今のマスメディアの力量では報道なんて出来ないでしょう。
なんでマスメディアが底を打ったと感じたのかと言うと、広告収入が激減しているという状況があり、パチンコやサラ金の広告ばっかりになっているという事からもわかるように、ダンピングしているわけで、現状の高コスト構造はどう考えてもビジネスモデルとしては完全に終わっている。
なので変えなければ立ち行かない。それと外部からの牽制の手段がネットによって担保されている。大手マスコミの広告主を撤退させるという力学まで生み出しているので、今のやり方では完全にマスとしては終わっている。本気でみているのは団塊世代以上しかいない蛸壺の一つとして消費されるだけになるでしょう。
そういう外部環境が整ったという事が9割くらいで、心を入れ替えたかどうかは全く期待出来ない。心を入れ替えなくとも変わるしかないというわけで、そうなれば人は知恵を絞るようになる。だから底を打ったように見えるという話でしかない。
全部自業自得、啓蒙の意味を忘れ、ポピュリズムに媚び、身から出た錆です。国民が喜ぶ?必ずそういう事をほざきますが、何の為に独占してんだ?って話です。単純な商業の論理に絡めとられない為に公器として機能する為に、独占を誰も許したわけじゃありませんが、勝手に統治権力と結託して許してもらっているわけです。
悪者はどこにもいないとか、結局は我々自身に問題があるという書き方をいつもするわけですが、それは改革対象がないという話ではありません。改革すべき所や是正すべき制度的欠陥はいくらでもある。そして間違いなく合成の誤謬をいい事に利権を貪っている連中というのも間違いなくいる。結局我々の問題なんだよという落とし方を利用して先送りしている問題点は沢山ありますので、そういう所を是正するという事は悪者かどうかの問題ではなくて必要不可欠でもある。
その為には先ず我々がその事を自覚しないと始まらない。自覚したって、そう簡単にはどうにかなるような構造ではないし、ただ単にぶっ潰せば済むって問題でもない。しかし自覚しない事にはどうにもならない。
そしてこれも重要な事ですが自分は何もマスメディアが悪者だからぶっ潰せとか、官僚こそが諸悪の根源だとか、政治家こそが問題なんだとか、経営者が悪辣だとか、旧左翼的などこかに悪者がいてそいつらを打破しろという事が言いたいわけでもない。
それぞれが自分にとって得になるような合理的選択が、合成の誤謬に陥ってしまう事もやっぱりあるし、狡い考えがあるわけじゃなくて素朴に組織の中でロールをこなしていたら、いつの間にか排除に加担しているという事もあるだろうし、自分の生活を守るために普通に生きている事が、どこかの誰かに取って不合理になってしまうという事もある。そして本当に狡猾で悪辣な己の欲望以外知ったこっちゃねえぜと利己的に振る舞っているのだとしても、それが相互に牽制し合うような仕組みが組み込まれていれば、個人として問題はあってもシステムは上手く作動するわけです。
要するに三権分立とか、日本で言えば二権分立みたいな仕組みが上手く作動すれば、それぞれが狡猾であっても歯止めがかかる。しかしそういう歯止めが働かないように社会が動いてしまう所に問題がある。
例えばネットの問題なんかが騒がれて、何となく規制やむなしみたいな話を言う人もいます。でもそんな事をしてしまえば牽制としての仕組みを失う。問題もあるだろうし、理不尽も生じるかもしれない。しかし牽制が無くなる事の方がもっと理不尽を生み出すという事に自覚的でなさ過ぎる所がある。目の前の理不尽にオタオタ狼狽え、感情的に反応して牽制の仕組みを国民自ら加担してぶっ壊して来た。
アメリカ人が何で銃を手放さないのか?そりゃ銃によって人も死ぬし、理不尽も沢山生まれる。しかしそれが統治権力に対する牽制として必要だと思っているから彼らは手放さない。いざという時には統治権力と刺し違えてでも自分達の自由を守るというのが根本にある。
自分は散々マスメディアの問題点を書きましたが別に無くなってほしいとは思っちゃいない。個人的には全く困らないとは思いますが、例えばネットが僅かとは言え既存のマスメディア的なものへ対する牽制の役割を果たせるのは、マスメディアが愚かであってくれるからでもある。
その事によってそれをネタにするからリテラシーも生まれるし、ネットが単なる蛸壺的コミュニケーションの場として消費され尽くされないヘッジにもなっていると思う。それが無ければネットなんてすでに誰も見向きもしない空間へと落ちぶれていたかもしれない。感情のゴミバケツとしての機能しか無くなってしまっていたかもしれない。
経済成長をして流動化を高めて行くという事は、ある種牽制にもなるわけです。流動化すると多様化するので、理不尽も起こるだろうし、問題も出てくるでしょう。しかしそこに狼狽えて、牽制を失ってしまえばもっと理不尽な社会が待っている。その事に日本人は多少なりとも気付いているはずです。その原因は牽制の無さにある。談合体質にある。その多様性に狼狽える所にある。
派遣村での顛末には批判も多いのですが、左派運動が盛り上がらないから、経営者を増長させてしまうという所があるわけで。早くもどちらかと言えば経営者の手先であるかのような事をほざく輩が結構いますが、ああいった運動は必要だし無いと困る。ただ牽制であるという事を忘れて行きすぎると、新たな排除の始まりにもなるので、そこは気をつけないといけない、それこそがまさにこの国の左派運動、弱者救済図式の大問題だったわけですから。
ケインズの所得再分配論の大本は、革命が起きるよりはマシだろうというのがベースになっている。革命で滅茶苦茶になるんだったら、再分配して弱者から救って行かないとならんという話だったわけです。それはガルブレイスも言っていた。
ソ連が健在だった頃はドミノセオリーなんて話が言われていて、共産主義革命が輸出されて行くという恐れがあった。だから西側諸国も社会主義的再配分政策を取らないと、国内で革命が起こったり、同盟国がそうなっちゃったら大変だから、弱者をないがしろにするのはマズいという発想があったわけです。しかしそれが消え、左派運動はやれば批判される。そうなると段々やりたい放題になってしまったから、今の帰結を招いているとも言える。
ベルリンの壁崩壊が89年、第一次戦略兵器削減条約、所謂STARTに米ソが調印して、事実上冷戦体制が崩壊したのが91年。日本のバブル景気が終わったのも91年。共産主義が完全に葬り去られて、革命への正統性が完全に消える。左派運動が正統性を失ってしまう。
それ以前は、弱者への配分というのが不可欠だったわけで、その為には既得権者が既得権を護持する為だけに振る舞うわけにもいかなかったし、配分するには経済成長しないと配分出来なくなる。したがって既得権護持の為には、経済成長の足を引っ張るという事が自滅する恐れがあったわけです。
もちろん経済成長しても権益を護持出来るような規制で国家と結託して守っていたというのもあるのですが、経済成長と再配分と規制によって弱者も守るというこの構造を支えていたものが、左派的な牽制にあったわけです。
マルクスは労働者への搾取や失業のような問題を無くすためには、資本主義をなくさなければならないと言いましたが、資本主義を無くせば、搾取や失業が無くなるとは言ってません。つまり搾取や失業を無くすためには資本主義を無くす事が必要条件であると言っていただけで、十分条件だとは言っていない。多くの共産主義政党や共産主義者が勘違いしていたのはここの所で、共産主義国が失敗したのもここに原因がある。
つまり共産主義にしても失業や貧困は無くならない。しかし共産主義になれば無くなるはずだと勘違いしている。必要条件でしかないという事を見失い、共産主義になった以上、失業も貧困も無い事にしなきゃ正統性が揺らぐとなり、無理矢理失業が無い状態や貧困が無い状態を作り出した。出来もしない事を無理矢理続ければ、必ずそのしわ寄せがでてくる。あげく共産主義が崩壊したかのように見えてしまった。
だから本来的な意味での共産主義国家は一つもなかったと言える。マルクスは資本主義を経由してウンザリしてから共産主義革命という事を言っていたわけで、資本主義を経由してウンザリする前に共産主義体制を取った国しか無いわけで、そういう意味でも共産主義が死んだわけではない。一度も実現された事が無いまま葬られたといった方がいいかもしれない。だいたいマル経というのは、資本主義の経済学であって共産主義の経済学ではありません。
とは言うもののもちろん本気で共産主義になってしまうというのも困った話ですし、資本主義に替わる体制は今後おそらくしばらくは出て来ない。しかし日本の左派というのは基本的にマルクスもろくすっぽ理解してなかったのでインチキだったのは間違いないのですが、牽制としての役割はバカに出来ない所があった。その牽制が失われた事によって暴走が始まる。
経済成長をして配分をする必要性が消える。そもそも経済成長というのは既得権を無効化してしまう一番有効な手段であるわけで、配分する理由が消えれば経済成長なんてしない方が既得権護持にはいいに決まっている。それプラス日本ではガチガチに縛られた規制が更に既得権が勝ち続けるシステムを担保していたので、強力に経済成長をするモチベーションが消える。
経済成長イコール心の豊かさを失うみたいな紋切り型のキャンペーンで国民を洗脳し、実際に経済成長で猛烈に働く事に疲れ、バブルの狂騒にウンザリしていたというのもあるのでしょうけれど、新たな権益システム、事後チェック型のスキームがガッチリハマってしまった。
あまりにも経済が停滞しすぎているので、規制緩和なんて話を拳を振り上げて言う奴が出て来たりしましたが、経済成長の無い状態でこれからはこっちの方向が儲かりますという風に旗を立てても、中々流動化は起こらない。
しかしそれでも携帯の普及とかネットの普及のように規制緩和が既得権を脅かすような構造が出てくる。競争を避ける為に経済を停滞させているので、そもそも競争力も失ってしまっている。
そこで規制緩和悪、というすり込みや、緩和しやすい所だけを流動化して誤摩化す即ち弱者だけを流動化に叩き込む、自分達が儲かりそうなところを政府の審議会に入って緩和して権益を貪る。
格差の問題が出て来て、弱者にルサンチマンが溜まれば、尚更流動化害悪説を上手く流布させる事が出来るようになり権益護持出来る。ルサンチマンが溜まった人間には、官僚悪説や、中国脅威論、北朝鮮への断固対処論、嫌韓、アメリカニズムへのルサンチマン、正規と非正規、男と女、世代間、地域間、犯罪者への怒り、死刑の是非、実に様々な分断の線を引き分断統治に利用する。ガス抜きとして利用する。
不安こそが統治権力の最大の権益です。国民がみんな裕福になって不満が無くなれば統治権力は無駄遣いが出来なくなる。政治家は税金をバラまいて票を買う事が出来なくなる。敵を設定して動員出来なくなってしまう。その事が何しろ問題なのです。
規制があるという事は規制に守られている人にとっては安定的だけれど、そこからはじかれている人にとってはチャンスのない状態を意味する。規制を緩和するということはそのチャンスをみんなに与える事が出来る。しかし規制に守られていた安定していた人達にとっては厄介な代物なので、反対するに決まっている。
しかし元々独占して来たという事は、普通に考えれば明らかにリソースを多く持っているわけだから、規制緩和を言い訳にして、結局勝つ方は変わらないという事態も起こる。だから無意味に見えたりもする。これはどちらがいいのか単純には言えない事だけれど、要はバランスが肝腎。
こういった構造を何とかしようと思ったら、選挙で意思表示するという話に行き着くわけですが、選挙に行くといっても、選ぶ所が無いんですけどというのが一般的に選挙権を持っている人のリアリティだと思う。虚しく感じる人はいっぱいいるでしょう。
だからそういう意味でも派遣の人達が立ち上がって吹き上がるという事は意味があるわけです。俺達にとって有効な政策のバリエーションを増やせよ!!これが普通この国では殆ど無い。それこそが問題であるとも言える。
どこもロクな政党がねえよと言いながら、政策を口開けて待っていても、政治家はバカだし、役人は利権しか頭に無いし、メディアは面白くないと取り上げもしないわけだから、ああやってわざとらしかろうが何だろうが実際に声を上げて行くというのは非常に効果的であるわけです。
何も自分は彼らの言い分が正しいとか言いたいわけじゃない。彼らを救えるかどうかというのと、それが実際に可能なのかと言えば、ちょっと難しい矛盾した要求を突き付けていると思いますし、実際流動化を阻止しようという方向性なので、それじゃあんたら救われないよと思うのですが、言っている内容は賛同出来ないけれど、ああいう牽制の力学が働く事によって、問題が表面化する、みんなが考えるようになるという意味では、必要な事なんだろうと思う。
流動化を阻止出来たとしても、配分するだけのものが無ければ、一般の労働者が我慢しろって話に行き着くわけですが、それじゃ一般労働者だって納得はいかないでしょう。したがって牽制が上手く働くようになれば経営者の意識もパイを増やすという方向性に意識が向いて行くかもしれない。世の中も経済成長はやっぱり必要だろうという風になるかもしれない。何かが揺り動かす事によって、問題を問題として認識出来るようになる。それだけでももの凄く重要だと思う。
彼らを切り捨てて何とも思わない社会にいるのに、ちょっとそれでズルして配分して貰っている奴がいたからって、怠け者を甘やかすなって話は違うと思う。彼らがそういう風に不満を持って、わけのわからない政党を支持してもしくは、変な役人の権益でしかない弱者救済政策をやらせない為にも、普段からそういう問題に敏感になっておかないと、分断統治に利用されてしまう。
一般的な労働者も、派遣の問題について考える事が、経営者の行動原理を変えさせる可能性を生み出し、結果的に自分達もより良い環境で働けるようになるかもしれない。そういう風に歯車が回り出して、既得権を護持する為に、経済成長の足を引っ張るとか、誰かを切り捨てるなんて事が出来難くなれば、既得権を持っている連中も失いたくはないでしょうから、頭を使って社会的責任を果たさねばという意識も働くようになる。単に分断統治として利用され続ければ、この良い方向にサイクルが回り出すという可能性は無いと思いますが、先ずは問題を認識しないと何も始まらない。そのきっかけとしてはいい事だろうと思う。
そして声をあげるという事が重要であると同時に、それはあくまでも牽制の手段であるという事を自覚しないと、結局は誰かを蹴落として自分達がその権益を得るという構造に加担する事になる。その事も忘れちゃマズいでしょう。
しつこく、まだ続く!!
マスメディアがこの不況の煽りを食って赤字だとかほざいていますが、日本語という壁に守られて、しかも統治権力から独占を許されて、競争のない状態で、広告費を独占し、記者クラブ制度、再販価格制度、クロスオーナーシップという特権を認めてもらいながら、テレビにいたっては考えられないような安い電波使用量(これは我々国民の資産です)、固定資産税免除、安価での国有地の払い下げ、書き出すのもアホらしくなるような独占構造を許されていながら、赤字ってどういう事だよ?って話です。どうやって経営すればそうなるんだ?よっぽどバカか、無駄遣いをしているとしか考えられない。
日本の予算一般会計が80兆、国会で審議する事無く役人のポケットに入って行く特別会計と合わせると212兆、それが公的セクターで天下り先、ファミリー企業や独法、三セクなんかで利益を回している。それが年間グロスで668兆にも及ぶ。これは日本のGDPを100兆以上上回っている。不景気だっつってんのにありえない構造です。権益と非効率と無駄に塗れた構造に、それだけ国民の血税を使って垂れ流されている。こういう所を放置して消費税とかほざいているわけです。
これと全く同じ図式が大手マスメディアにも見られる。独占によって利益を回し、明らかに無駄と非効率に塗れた高コスト構造で回っている。入社3年目で平均年収が1000万を越すといわれる考えられないような人件費、制作費、そしてコネ入社、末端の制作会社を搾取して、偽装請け負いや、いまの派遣問題と全く変わらないような構造で回っている。
これが競争によって得られた結果であるのなら千歩譲ってしょうがないと思いますが、独占を許されて、しかも非効率且つ高コスト構造を放置して来て赤字とはどういう事だ?って話です。これは日本の財政が借金まみれになっている構造と全く同じ構造です。こういう構造を放置して来て、赤字で苦しいとか言っている。バカじゃねえかって話です。
そういう所で不景気であるにもかかわらず金を回して利益を貪っているわけですから、当然そいつらの利益を守ろうとすれば、誰かが痛い目に合わなきゃならなくなる。その構造に気付かれちゃ困るから、経済成長害悪説、経済成長出来ない論、ココロが満たされればいいじゃないか論、のんびりスローライフ論、その他様々な経済成長をさせまいとする啓蒙をまるで幸せはそこにあるかのようにほざいているわけです。
ハッキリ言って彼らは彼らの特権を守る事以外は興味も無いに決まってます。少なくとも意思決定出来る立場にいる人間は、逃げ切れれば知ったこっちゃないからです。そしてそれに従っている人間も現状でおいしい汁が吸えているうちは問題があるのは百も承知だけれど自浄作用なんて働くはずも無い。たまに自己満足の為に反省しているフリを見せる程度で、派遣の人間が野たれ死にするとしたって何とも思っちゃいないでしょう。面白いネタが出来たぐらいにしか。
赤字経営だからといっても、独占が解除されなければ結局何も変わらない。反省する事もないだろうし、自浄作用なんて働くはずもない。官僚にしろ自民党のクズ共にしろ、自分達で自分達の構造を解体出来ないのと一緒で、自浄作用なんて期待するだけ無駄です。
内部から構造を変えるという事にはどうしても限界が生じます。なぜならその人も内部の構造をつくっている一部であるからです。ソ連が崩壊したときもゴルバチョフがペレストロイカ、グラスノスチと騒いでいたけれど、結局彼は解体するまで出来なかった。解任されて共産党を追い出されていたエリツィンが再び外から復活してバラバラに共産党をぶっ壊した。小泉もそう、自民党をぶっ壊すと言ってましたが、彼自身が自民党の一部であるわけで、彼が存在するという事が即ち自民党の存続と生き残りになる。したがって相も変わらずバカ丸出しのクズ政党として残っている。
ただし内部から変化させるというのは長期的に見るとありえる。結局小泉が自民党的統治システムはぶっ壊したと言える。だけど自民党自体はしばらく残ってしまう。バラバラに崩壊するまで、まわりに害をまき散らして存続しようとなりふり構わず振る舞って、まわりをズタズタにしてしまう。
ゆっくりと構造を変化させた方が上手く行く場合もありますが、害をまき散らしているようなマスメディアにしろ、統治権力にしろ、被害の大きい存在は、やっぱり内部からチマチマ構造を変えるなんて事をしている間に、人はどんどん死んで行く。外部から引導を渡してやらないと自滅するまでまわりが被害を被ってしまう。
少し前のエントリーでマスメディアが底を打ったような感じがするという事を書きました。が、それはマスコミが心を入れ替えてまともになるという話ではなく、今の報道なんかをみる限り独力では無理な感じがします。今回の派遣報道なんかもそうで、強者弱者の二元論、弱者救済、格差是正の単純な図式、ポピュリズムに媚び媚びの頭の悪過ぎる報じ方で報道に力なんて入れたら(テレビなんかは今年から各社力を入れるみたいですが)自殺行為に近いものがある。なので既存のマスメディア的なものをボロクソに炎上させるようなネットの梯子はずしとセットでないと、今のマスメディアの力量では報道なんて出来ないでしょう。
なんでマスメディアが底を打ったと感じたのかと言うと、広告収入が激減しているという状況があり、パチンコやサラ金の広告ばっかりになっているという事からもわかるように、ダンピングしているわけで、現状の高コスト構造はどう考えてもビジネスモデルとしては完全に終わっている。
なので変えなければ立ち行かない。それと外部からの牽制の手段がネットによって担保されている。大手マスコミの広告主を撤退させるという力学まで生み出しているので、今のやり方では完全にマスとしては終わっている。本気でみているのは団塊世代以上しかいない蛸壺の一つとして消費されるだけになるでしょう。
そういう外部環境が整ったという事が9割くらいで、心を入れ替えたかどうかは全く期待出来ない。心を入れ替えなくとも変わるしかないというわけで、そうなれば人は知恵を絞るようになる。だから底を打ったように見えるという話でしかない。
全部自業自得、啓蒙の意味を忘れ、ポピュリズムに媚び、身から出た錆です。国民が喜ぶ?必ずそういう事をほざきますが、何の為に独占してんだ?って話です。単純な商業の論理に絡めとられない為に公器として機能する為に、独占を誰も許したわけじゃありませんが、勝手に統治権力と結託して許してもらっているわけです。
悪者はどこにもいないとか、結局は我々自身に問題があるという書き方をいつもするわけですが、それは改革対象がないという話ではありません。改革すべき所や是正すべき制度的欠陥はいくらでもある。そして間違いなく合成の誤謬をいい事に利権を貪っている連中というのも間違いなくいる。結局我々の問題なんだよという落とし方を利用して先送りしている問題点は沢山ありますので、そういう所を是正するという事は悪者かどうかの問題ではなくて必要不可欠でもある。
その為には先ず我々がその事を自覚しないと始まらない。自覚したって、そう簡単にはどうにかなるような構造ではないし、ただ単にぶっ潰せば済むって問題でもない。しかし自覚しない事にはどうにもならない。
そしてこれも重要な事ですが自分は何もマスメディアが悪者だからぶっ潰せとか、官僚こそが諸悪の根源だとか、政治家こそが問題なんだとか、経営者が悪辣だとか、旧左翼的などこかに悪者がいてそいつらを打破しろという事が言いたいわけでもない。
それぞれが自分にとって得になるような合理的選択が、合成の誤謬に陥ってしまう事もやっぱりあるし、狡い考えがあるわけじゃなくて素朴に組織の中でロールをこなしていたら、いつの間にか排除に加担しているという事もあるだろうし、自分の生活を守るために普通に生きている事が、どこかの誰かに取って不合理になってしまうという事もある。そして本当に狡猾で悪辣な己の欲望以外知ったこっちゃねえぜと利己的に振る舞っているのだとしても、それが相互に牽制し合うような仕組みが組み込まれていれば、個人として問題はあってもシステムは上手く作動するわけです。
要するに三権分立とか、日本で言えば二権分立みたいな仕組みが上手く作動すれば、それぞれが狡猾であっても歯止めがかかる。しかしそういう歯止めが働かないように社会が動いてしまう所に問題がある。
例えばネットの問題なんかが騒がれて、何となく規制やむなしみたいな話を言う人もいます。でもそんな事をしてしまえば牽制としての仕組みを失う。問題もあるだろうし、理不尽も生じるかもしれない。しかし牽制が無くなる事の方がもっと理不尽を生み出すという事に自覚的でなさ過ぎる所がある。目の前の理不尽にオタオタ狼狽え、感情的に反応して牽制の仕組みを国民自ら加担してぶっ壊して来た。
アメリカ人が何で銃を手放さないのか?そりゃ銃によって人も死ぬし、理不尽も沢山生まれる。しかしそれが統治権力に対する牽制として必要だと思っているから彼らは手放さない。いざという時には統治権力と刺し違えてでも自分達の自由を守るというのが根本にある。
自分は散々マスメディアの問題点を書きましたが別に無くなってほしいとは思っちゃいない。個人的には全く困らないとは思いますが、例えばネットが僅かとは言え既存のマスメディア的なものへ対する牽制の役割を果たせるのは、マスメディアが愚かであってくれるからでもある。
その事によってそれをネタにするからリテラシーも生まれるし、ネットが単なる蛸壺的コミュニケーションの場として消費され尽くされないヘッジにもなっていると思う。それが無ければネットなんてすでに誰も見向きもしない空間へと落ちぶれていたかもしれない。感情のゴミバケツとしての機能しか無くなってしまっていたかもしれない。
経済成長をして流動化を高めて行くという事は、ある種牽制にもなるわけです。流動化すると多様化するので、理不尽も起こるだろうし、問題も出てくるでしょう。しかしそこに狼狽えて、牽制を失ってしまえばもっと理不尽な社会が待っている。その事に日本人は多少なりとも気付いているはずです。その原因は牽制の無さにある。談合体質にある。その多様性に狼狽える所にある。
派遣村での顛末には批判も多いのですが、左派運動が盛り上がらないから、経営者を増長させてしまうという所があるわけで。早くもどちらかと言えば経営者の手先であるかのような事をほざく輩が結構いますが、ああいった運動は必要だし無いと困る。ただ牽制であるという事を忘れて行きすぎると、新たな排除の始まりにもなるので、そこは気をつけないといけない、それこそがまさにこの国の左派運動、弱者救済図式の大問題だったわけですから。
ケインズの所得再分配論の大本は、革命が起きるよりはマシだろうというのがベースになっている。革命で滅茶苦茶になるんだったら、再分配して弱者から救って行かないとならんという話だったわけです。それはガルブレイスも言っていた。
ソ連が健在だった頃はドミノセオリーなんて話が言われていて、共産主義革命が輸出されて行くという恐れがあった。だから西側諸国も社会主義的再配分政策を取らないと、国内で革命が起こったり、同盟国がそうなっちゃったら大変だから、弱者をないがしろにするのはマズいという発想があったわけです。しかしそれが消え、左派運動はやれば批判される。そうなると段々やりたい放題になってしまったから、今の帰結を招いているとも言える。
ベルリンの壁崩壊が89年、第一次戦略兵器削減条約、所謂STARTに米ソが調印して、事実上冷戦体制が崩壊したのが91年。日本のバブル景気が終わったのも91年。共産主義が完全に葬り去られて、革命への正統性が完全に消える。左派運動が正統性を失ってしまう。
それ以前は、弱者への配分というのが不可欠だったわけで、その為には既得権者が既得権を護持する為だけに振る舞うわけにもいかなかったし、配分するには経済成長しないと配分出来なくなる。したがって既得権護持の為には、経済成長の足を引っ張るという事が自滅する恐れがあったわけです。
もちろん経済成長しても権益を護持出来るような規制で国家と結託して守っていたというのもあるのですが、経済成長と再配分と規制によって弱者も守るというこの構造を支えていたものが、左派的な牽制にあったわけです。
マルクスは労働者への搾取や失業のような問題を無くすためには、資本主義をなくさなければならないと言いましたが、資本主義を無くせば、搾取や失業が無くなるとは言ってません。つまり搾取や失業を無くすためには資本主義を無くす事が必要条件であると言っていただけで、十分条件だとは言っていない。多くの共産主義政党や共産主義者が勘違いしていたのはここの所で、共産主義国が失敗したのもここに原因がある。
つまり共産主義にしても失業や貧困は無くならない。しかし共産主義になれば無くなるはずだと勘違いしている。必要条件でしかないという事を見失い、共産主義になった以上、失業も貧困も無い事にしなきゃ正統性が揺らぐとなり、無理矢理失業が無い状態や貧困が無い状態を作り出した。出来もしない事を無理矢理続ければ、必ずそのしわ寄せがでてくる。あげく共産主義が崩壊したかのように見えてしまった。
だから本来的な意味での共産主義国家は一つもなかったと言える。マルクスは資本主義を経由してウンザリしてから共産主義革命という事を言っていたわけで、資本主義を経由してウンザリする前に共産主義体制を取った国しか無いわけで、そういう意味でも共産主義が死んだわけではない。一度も実現された事が無いまま葬られたといった方がいいかもしれない。だいたいマル経というのは、資本主義の経済学であって共産主義の経済学ではありません。
とは言うもののもちろん本気で共産主義になってしまうというのも困った話ですし、資本主義に替わる体制は今後おそらくしばらくは出て来ない。しかし日本の左派というのは基本的にマルクスもろくすっぽ理解してなかったのでインチキだったのは間違いないのですが、牽制としての役割はバカに出来ない所があった。その牽制が失われた事によって暴走が始まる。
経済成長をして配分をする必要性が消える。そもそも経済成長というのは既得権を無効化してしまう一番有効な手段であるわけで、配分する理由が消えれば経済成長なんてしない方が既得権護持にはいいに決まっている。それプラス日本ではガチガチに縛られた規制が更に既得権が勝ち続けるシステムを担保していたので、強力に経済成長をするモチベーションが消える。
経済成長イコール心の豊かさを失うみたいな紋切り型のキャンペーンで国民を洗脳し、実際に経済成長で猛烈に働く事に疲れ、バブルの狂騒にウンザリしていたというのもあるのでしょうけれど、新たな権益システム、事後チェック型のスキームがガッチリハマってしまった。
あまりにも経済が停滞しすぎているので、規制緩和なんて話を拳を振り上げて言う奴が出て来たりしましたが、経済成長の無い状態でこれからはこっちの方向が儲かりますという風に旗を立てても、中々流動化は起こらない。
しかしそれでも携帯の普及とかネットの普及のように規制緩和が既得権を脅かすような構造が出てくる。競争を避ける為に経済を停滞させているので、そもそも競争力も失ってしまっている。
そこで規制緩和悪、というすり込みや、緩和しやすい所だけを流動化して誤摩化す即ち弱者だけを流動化に叩き込む、自分達が儲かりそうなところを政府の審議会に入って緩和して権益を貪る。
格差の問題が出て来て、弱者にルサンチマンが溜まれば、尚更流動化害悪説を上手く流布させる事が出来るようになり権益護持出来る。ルサンチマンが溜まった人間には、官僚悪説や、中国脅威論、北朝鮮への断固対処論、嫌韓、アメリカニズムへのルサンチマン、正規と非正規、男と女、世代間、地域間、犯罪者への怒り、死刑の是非、実に様々な分断の線を引き分断統治に利用する。ガス抜きとして利用する。
不安こそが統治権力の最大の権益です。国民がみんな裕福になって不満が無くなれば統治権力は無駄遣いが出来なくなる。政治家は税金をバラまいて票を買う事が出来なくなる。敵を設定して動員出来なくなってしまう。その事が何しろ問題なのです。
規制があるという事は規制に守られている人にとっては安定的だけれど、そこからはじかれている人にとってはチャンスのない状態を意味する。規制を緩和するということはそのチャンスをみんなに与える事が出来る。しかし規制に守られていた安定していた人達にとっては厄介な代物なので、反対するに決まっている。
しかし元々独占して来たという事は、普通に考えれば明らかにリソースを多く持っているわけだから、規制緩和を言い訳にして、結局勝つ方は変わらないという事態も起こる。だから無意味に見えたりもする。これはどちらがいいのか単純には言えない事だけれど、要はバランスが肝腎。
こういった構造を何とかしようと思ったら、選挙で意思表示するという話に行き着くわけですが、選挙に行くといっても、選ぶ所が無いんですけどというのが一般的に選挙権を持っている人のリアリティだと思う。虚しく感じる人はいっぱいいるでしょう。
だからそういう意味でも派遣の人達が立ち上がって吹き上がるという事は意味があるわけです。俺達にとって有効な政策のバリエーションを増やせよ!!これが普通この国では殆ど無い。それこそが問題であるとも言える。
どこもロクな政党がねえよと言いながら、政策を口開けて待っていても、政治家はバカだし、役人は利権しか頭に無いし、メディアは面白くないと取り上げもしないわけだから、ああやってわざとらしかろうが何だろうが実際に声を上げて行くというのは非常に効果的であるわけです。
何も自分は彼らの言い分が正しいとか言いたいわけじゃない。彼らを救えるかどうかというのと、それが実際に可能なのかと言えば、ちょっと難しい矛盾した要求を突き付けていると思いますし、実際流動化を阻止しようという方向性なので、それじゃあんたら救われないよと思うのですが、言っている内容は賛同出来ないけれど、ああいう牽制の力学が働く事によって、問題が表面化する、みんなが考えるようになるという意味では、必要な事なんだろうと思う。
流動化を阻止出来たとしても、配分するだけのものが無ければ、一般の労働者が我慢しろって話に行き着くわけですが、それじゃ一般労働者だって納得はいかないでしょう。したがって牽制が上手く働くようになれば経営者の意識もパイを増やすという方向性に意識が向いて行くかもしれない。世の中も経済成長はやっぱり必要だろうという風になるかもしれない。何かが揺り動かす事によって、問題を問題として認識出来るようになる。それだけでももの凄く重要だと思う。
彼らを切り捨てて何とも思わない社会にいるのに、ちょっとそれでズルして配分して貰っている奴がいたからって、怠け者を甘やかすなって話は違うと思う。彼らがそういう風に不満を持って、わけのわからない政党を支持してもしくは、変な役人の権益でしかない弱者救済政策をやらせない為にも、普段からそういう問題に敏感になっておかないと、分断統治に利用されてしまう。
一般的な労働者も、派遣の問題について考える事が、経営者の行動原理を変えさせる可能性を生み出し、結果的に自分達もより良い環境で働けるようになるかもしれない。そういう風に歯車が回り出して、既得権を護持する為に、経済成長の足を引っ張るとか、誰かを切り捨てるなんて事が出来難くなれば、既得権を持っている連中も失いたくはないでしょうから、頭を使って社会的責任を果たさねばという意識も働くようになる。単に分断統治として利用され続ければ、この良い方向にサイクルが回り出すという可能性は無いと思いますが、先ずは問題を認識しないと何も始まらない。そのきっかけとしてはいい事だろうと思う。
そして声をあげるという事が重要であると同時に、それはあくまでも牽制の手段であるという事を自覚しないと、結局は誰かを蹴落として自分達がその権益を得るという構造に加担する事になる。その事も忘れちゃマズいでしょう。
しつこく、まだ続く!!