皆様お正月はいかがでしたでしょうか?多くの人はもう仕事に戻っていると思いますが、正月ボケは大丈夫でしょうか?
クソ忙しい年末年始が終わり、普段に戻ってホッとしている三日坊主でございます。
今年一発目のネタはと行きたい所ですが、昨年から引っ張っているネタがありますので、初の年をまたいでのネタの続きを書こうと思います。

それではおっぱじめます。

怒りを表明しても、多分それは短期的には変わらないでしょう。だから無駄だではなくて、無駄であっても、ちょっとそれは違うだろと、恥知らずと軽蔑するようなコンセンサスがあるかないかの問題です。

たかがその程度の事とは言え、そのプロセスによって切られた人間を物理的に救済するという事にならなくとも、感情的な公正感は担保出来るはずです。ちゃんとそういう恥知らずな行いをした輩は血祭りに上げられて、責任を取らされる。もしくは責任を取らなければ軽蔑され社会的バッシングを受ける。その過程で多少はスッキリする部分もあるんじゃないかと思うわけです。

アメリカなんかで自動車工場に勤めている人達が連帯する。彼らが現状のまま救済されるという事は無いかもしれませんし、社会的にもいい加減にしろという感じもありますが、ちゃんと経営者が血祭りに上げられる。連帯している人達はそのプロセスを経由する事によって、結果的に負けても連帯して戦ったという行為自体によって救われる部分もあるわけです。

そういう公正感がキチンと担保されているかいないかでは、社会の流れそのものも大きく変わる。そういう制裁が待っているという事になれば、マスメディアも企業も政治家も必ずそれを無視するというわけには行かなくなる。国内で商売をしようと思えば、やっぱりものには限度があるという事を考え直させる為にも、たとえ今の現状を救う事が出来なくとも、後々を考えれば無駄ではないわけです。

そしてこの問題の重要な部分は数が多いという事です。しかも一気に。こういう事をいきなりやれば、社会も混乱するし、益々経済は縮小再生産にしかならない。それじゃ結果的にもっと景気が悪くなって、企業が生き残っても社会の保全にはならねえじゃねえかという事です。こういう事の後遺症は結構引きずるものです。益々社会は空洞化するでしょう。

企業のお偉いさんなんかに、そういう事を言うと、日本から出て行かざるを得ない、雇用があるだけありがたく思え的な言い方をします。こういう輩が仮にも大企業のトップだったりするわけで、そういう恥知らずな会社はとっとと出て行けと言ってやればいい。本当に出て行く気もないくせに。

何でそこで働いている人間がそういう恥さらしなトップがいる事に甘んじているのか?自分達にとっても不名誉な事だと思わないからそういう声も上がらないのでしょうから、不名誉だと思わせるような社会にならなきゃ、ずっと繰り返される。

日本の市場はなんだかんだ言ったって人口も多いわけですから、社会貢献する気が無い国産の企業なら、別に出て行ってくれて結構という事です。どうせ社会貢献する気が無いなら外資だってなんだって同じです。そういう外道企業からシェアを奪う為に、社会保障がしっかりした企業が入ってくるかもしれない。国内の産業が育つ可能性にもつながる。散々外資規制の世論を煽り、新興企業の頭を押さえつけ、自らに都合のいい規制緩和を改革と偽り、あげくにそれじゃ、お前ら一体なんなんだって事です。

こういう連中のこけ脅しをはねつける必要がある。何を守ろうとしてそういう事を言っているのか見極めるリテラシーも重要でしょう。

だいたいなんでどこかが派遣切りを始めたら、それに便乗して空気を読んでお手手繋いで仲良く談合派遣切りという状況になるのか?気持ち悪りいんだよって感じです。相当どうかしている。この隙に一緒にやっちまえみたいなのを見ると、恥ずかしくねえのかよと思う。恥ずかしくないんでしょうね。おそらくは。

他の企業が業績不振の言い訳としてコストカットをしていますとアピールしているのに、なんでお前の所はコストカットしねえんだよという市場からのプレッシャーもあるでしょう。しかしそういう時に矢面に立つ為に責任者は高い金を貰ってるんじゃねえのかよと思う。短期的にはリスクを取って、長期的リターンをあげてこそ優秀な経営者と言える。アッサリクビを切って、自らは反省どころか恥にも感じていないようなクズみたいな奴が、何で人の上に立ってんだか不思議でしょうがない。人をクビにしてコストカットするなんてバカでも出来る。誰でも出来る。

そんな事しか出来ないような能無し野郎が人の上になんて立っちゃダメです。ある意味犯罪です。それこそ高い報酬をそんなクズに払うくらいならそのポジションも派遣にしろよって感じです。クビにして言い訳を言えばいいだけなら、学生バイトでも可能なんじゃねえかと思う。まあ政治家なんか犯罪どころか死刑並のクズばかりなので、どこを見回しても指導者たるべき器でない輩ばかりでうんざりします。おまけに頭まで悪い。一般常識も知らない。手に負えません。

現状のアホ報道のように派遣労働者の無垢性を叫び、無実の人間を救えという話だと、必ず、怠け者を救う必要なんて無いじゃねえか!みたいな話が一方で起こる。怠け者だとか無垢だとかいうのは関係ない。無垢な人間なんていない。みんな汚い側面を持ち、みんな弱いわけです。

確かに派遣の人間が全員無垢で悪くないという事は無い。彼らの人生なんだから、彼らが決めている事だし、スキルを身につけるプロセスを怠ったというのもあるかもしれない。別にそれほど酷い境遇で働いているという風にも見えないし、追い込まれて死ぬ気になれば仕事が全く無いというわけでもない。だけど、いくら何でもほどがあるだろ、という話に持って行って連帯する事が重要なのではないかと思うわけです。

そういうプロセスが全く無いまま、結果的に行政が介入して、住む所が何とかなったとか、何とか年が越せたと言った感じで何とかする所だけしか機能しないとなると、永久に行政と企業がアメとムチを使って民衆をコントロールして搾取し、利権化するという構図からは出られない。

それに怠け者とか言える程、みんな真面目に働いているのかよ?という風にも感じる。誰だって怠けたいと思う事はあるじゃねえかと思う。仕事中に余計な事を考える事だって誰しも経験があるはずです。ちなみに料理人でそれをやると、だいたいパターンとして手を切ったり、火傷したりという風に自分にかえってくる。必ず手を切った後は、何となくやりそうな予感があったと後悔するもんです。それは気が抜けていると自分でもわかっているからです。

今回の派遣村の顛末も、何となく国が頑張って何とかしました的な話に落ちかねない。アメリカの大統領が代わり、経済も多少は上向きになるかもしれない、実体経済はしばらく立ち直れないとは思いますが、少なくとも株式市場はある程度短期的には買われるでしょう。ここまで安売りしてりゃ拾う人がいっぱいいると思います。そうすれば株価も若干は値を戻すでしょう。もちろん昨年の最初の頃の水準に戻るには時間がかかるでしょうが、ほんのちょっと値を戻した時、バカ麻生あたりが、自分の手柄の如くほざくに決まってます。多少痛みが和らぐと、あっという間に忘れる。

派遣村問題の対処なんて言うのは当たり前の話であって、何もしないとなれば憲法違反の疑いがあるわけで、あんな事を何かやりましたなんて言わせては絶対にマズい。というかそう言う所を利用して利権化し無駄な金が流れていないか?キチンと見て行く必要がある。

そんな当たり前の話じゃなくて、どうやってこの国を舵取りして、経済を回復させるのか?という事に対してどれだけサブスタンスがあるのかだけを見て行く必要がある。派遣の人達の問題をキチンと対処出来ているのかどうかを見極める必要がある。

実際今回の年末の派遣村報道なんかを見ていると、「今日程人の暖かみをありがたく思った事は無い」的な、一部の派遣村の人々の文脈を切り離してワンフレーズだけ発言を取り上げ、まるで国家権力の手柄であるかのような報じ方をするバカメディアまである始末。

あれはNPOの「もやい」の人達が頑張っているからここまで問題化する事が出来たという話であって、マスメディアだって国家権力だって、散々知らん顔して来たわけで、「もやい」の方々が今叫び始めたというわけではない。何年も前からずっとこの問題に取り組んで来ている。

だいたいサブプライム問題が顕在化してから、随分と時間もあったし散々放置して来たわけで、企業だって大丈夫だなんて昨年の初頭には経営者達がみんなほざいていた。その責任すら誰も取らない。全部アメリカのせいだという話で終わってしまう。

企業が目先の合理性を考えて最適化するという事はある意味仕方の無い所もある。そして同じ釜の飯を喰っていても、派遣を切れば自分達が助かるという境遇にいる人が無関心を決め込むというのも短期的合理性で考えれば確かに合理性が無いとは言えない。しかし常に合理的選択をしていても、時間が経つと後戻り不能の合成の誤謬に陥る事がよくある。部分部分が最適化をしていても、全体を見ると合成の誤謬によって二進も三進もいかないというパターンもよくある。今の日本の病はまさにそこにある。

自動車が国内で売れなくなって来ているという原因を生み出しているのは、他ならない、企業が自分で自分の首を絞めているわけです。派遣でいつ切られるかわからない人であれば、車なんて買おうとは思わない。将来に希望がなくなれば、安い車で十分だぜという風になるに決まっている。車に乗るという事がそれほど合理的ではないという事にみんなが気付いてしまった。

派遣を切り捨てるような会社に勤めていれば明日は我が身であるという事を自覚した方がいい。派遣の人達の境遇を一緒に考えて改善するという事が結果的に自分達の防衛にもなる。自分は派遣の人に対して可哀想だと思うわけじゃありませんし、職種も全く違いますが、明日は我が身だと思う。病気になるかもしれないし、事故って困る事だってあるかもしれない。そういう可能性は誰でも持っていて、そうなったら後は自己責任で勝手にしろというのでは社会はどんどん荒んで行ってしまう。

こういう問題を格差論から読み込んで行くというのは、ハッキリ言えば問題の本質がぼやける。格差自体はしょうがない。人それぞれ選択する自由がある以上、それによって生まれる帰結に差がでるのは避けられない。そしてたまたま生まれた場所や、生まれた家庭によって、最初からある程度の格差が出来てしまうというのも、これもなくせるものならなくせればいいとは思いますが、中々難しい問題でもある。

国家が再配分政策を打つなりなんなりして機会の平等を担保する必要があるわけですが、これがこの国のバカ統治権力者共なんかでは出来そうもないし、どうせ利権化するに決まっている。恣意性と裁量を抱えコラプションを起こすに決まっている。それがまさにこの国の大問題の根幹でもある。預けてた年金がなくなっちゃうドロボー国家であるわけです。

何かをさせるとなるとロクな事をしないので、国家が抱えている権益を手放して、収入の格差や住んでいる場所による格差を埋めるような政策を打つのも重要なんですが、そう簡単に権益は手放さないだろうし、高コスト構造を是正させるとしてもそう簡単には話は進まないでしょうから、しばらく時間がかかってしまう。

それに誰がそれを決めるのか?という問題もあり、線を引く以上どうしても恣意的にならざるを得ない。まして今の無能な統治権力の体たらくを見ていれば、そもそもそういう能力が無いからこういう状況に陥っている。そうすると必ず分捕り合戦に陥ってしまう。これもまさにこの国の大問題でもある。日本国外まで視野を広げれば、日本に生まれているというだけで、すでに持つものの側に属している人が大半でもあるわけです。

だから格差があるのは現状ではしょうがない。すぐにどうにかするというのは難しい。問題はそこではない。格差の最低ラインが生きられないまでの貧困であるとすれば、それはいくら何でもやり過ぎです。それでは何の為に社会を営んでんだかわからなくなっちゃう。そこが問題の本質であって、それを放置するというのなら、だったら本当に弱肉強食にしなくちゃ不公平です。

社会というプラットフォームにいるおかげで、法律があるおかげで強者であると勘違いして生きられる連中がいるわけです。少なくとも最下層ではないゾーンにいる人間も沢山いる。本当に弱肉強食になれば、格差の底辺にいる人間が這い上がるチャンスはいくらでもある。ぶち殺して持っている奴から奪えばいいだけの話です。

だけど法律や社会というプラットフォームがあるおかげで、そういう暴力による競争の負担を免除されているわけで、社会に生きている以上、誰しもそういう負担の軽減を享受している。生まれながらの機会の不平等に胡座をかいて搾取しているゾーンでシステムの恩恵を享受している。

国家に感謝なんてする必要は微塵もありませんが、社会を生きる構成員である以上、享受しているだけじゃなくて、社会を維持する為に必要なラインを守らなければそれは権利を主張するだけで義務を果たしていないのと一緒です。

よく年金払ってない若者に対してとか、モンスターペアレンツ化する親とかに対して、今回の派遣の方々に対しても、権利ばっかり主張しやがって義務を果たしやがれと、偉そうに言う輩がおりますが、そういう連中に文句を言う前に、お前はどうなんだよという話です。社会というプラットフォームがあるおかげで、弱者から搾取し、貧困を傍観していられるという事がわかってそれを言っているのか?政府の責任に全て押し付け、脱社会化した人間に断固対処重罰化では公平じゃないじゃないかと。

貧困に叩き込まれた人間が選択肢を失い結果的に犯罪を犯してしまった部分だけを断固対処、死刑にしろと言う話には簡単になりますが、そういう境遇に追い込んでいる権力者達を死刑にしろと言う話にはならない。無関心によってそういう状況を放置するどころか、自分のポジションを守る為に、怠け者は自己責任だといった感じで、積極的に排除抑圧している人間がこんなに沢山いる状況であるにもかかわらず、そういう連中を有罪にしろと言う話にはならない。

どんな理由があったって、犯罪を犯してしまえばサンクションを受けるのは当然です。しかしそういうものを生み出す原因と言うものもやっぱりあるわけで、何かをするには多くの場合それなりに理由があるわけです。そこの問題も考えないで放置しておけば社会は益々機能しなくなる。

社会というのは自然物ではありませんので、元々あるものでも何でも無い。人が作ったものです。だから壊れます。壊れれば社会の恩恵を受けている人々全てに被害が広がってしまう。これだけ脱社会化してしまった人間が増え、昨年のアキバ事件じゃありませんが、繋がりを失ってしまった人が増え、そして貧困によって絶望に叩き込まれえている人々が増えている。社会が壊れている。

今必要なのは断固対処ではなくて、壊れてしまった社会を再生させるという方向性ではなかろうかと思います。その為にはまず関心を持たなきゃ始まらない。可哀想と言う話に落ちて政府に何とかしろでは繰り返される。それが結果的に断固対処なんかよりも一番処方箋になる。セーフティネットにもなる。景気の浮揚にもつながる。不安を煽って利権化する下らない連中にとって都合がいい社会では、お先真っ暗です。

社会というのは人が作ったものです。当然その構成員である我々市民によってつくり変える事も再生する事も出来る。我々がその気になれば壊すのも簡単です。社会を保全する為に国家がサポートするという事は重要ですが、我々にその意志が無いのに、国家にお任せで保全してもらってただ乗りするというパターンでは益々社会は疲弊する。日本の社会がここまでスッカラカンになったのは全てここに原因がある。

ハーバマスではありませんが公共性というのを国家が握るのか?我々の市民性によって担保するのか?その鬩ぎあいを忘れてはマズい。もちろん事は二元論的に単純に切れる話ではないのは百も承知ですが、国家にとって都合のいい公共空間の独占であって、我々にとっての公共性で無くなってしまう危険がいつでも裏表で存在する。

この国の統治権力というのは完璧に終わっている。国民の信頼なんてもう微塵も無い。しかしかと言って国家に信頼が無いと言っても無くす事も出来ない。国家は常に存在するし、また存在しないと社会が上手く回らないのも事実です。国家という問答無用の暴力装置が無ければ解決出来ない次元の話もある。必要だけど野放しにするのも危険という厄介な存在をいかに上手く機能させて、我々の社会を保全する為の装置として使いこなすか、それは我々次第です。

そして市民性を盲信するのもまた危険です。そこには民主主義によって民主主義をぶち壊しにする危険があるからです。ヒトラーの例をだすまでもなく、ネオコンだって世論の90%にも支持されていた。小泉にしろ安倍にしろ福田にしろ、麻生でさえ、最初は支持している人がそれなりに存在したわけです。卓越主義的リベラリズムに任せるべき領域も必ずある事を知っておく必要もあります。

つづく!!